慈濟傳播人文志業基金會
苦難の衆生を慈悲の舟で彼岸に渡す
水滴が集まって河となり、海に注ぐが如く、
 
人々の心に愛を啓発し、
それは一滴一滴と流れて江河となり、
流れを絶やさず大海に注げば、
慈悲の舟で苦難の衆生を彼岸へ導くことができる。
 
 
今年三月、サイクロン・イダイがアフリカ東部を襲い、マラウイ、ジンバブエ、モザンビークの三国が甚大な災害を被りました。粗末な住居は強風と洪水に耐えられず、長期にわたって飢餓寸前に陥っていた住民は被災後、更に苦しい生活を強いられました。
 
南アフリカの慈済人は二泊三日掛けて二千キロ離れたマラウイに支援に行きました。この世の菩薩は苦労を厭わず、部落の酋長と共に人々を導いて家を建て直し、被災した老弱男女を安住させました。 
 
ジンバブエの首都に住む朱金財居士は、四百キロも離れた被災地の住民を支援するために、老朽化した車にボランティアだけでなく、パンと浄水薬を積んで出かけました。道路状況は悪く、寸断された道もあり、夜は真っ暗で星空を仰いで野宿しました。 
 
愛に満ちたボランティアたちは楽観的で、「もう帰ろうよ」と言う人は一人もいませんでした。苦労をものともせず、堅い意志で前進し、衆生が苦しみから逃れられることのみを願い、自分たちの安楽は求めませんでした。
 
モザンビークもまた容易ではなく、首都から千キロ以上離れたべイラは大きな被害を受け、被災後一時、民間機の飛行が禁止され、救済人員を乗せた軍用機だけが飛んでいました。慈済ボランティアのディノ・フォイが軍用機で被災地に行ってから被災状況が伝えられ、慈済人はようやく状況を知ることができました。
 
被災者たちは無言のまま、壊れた家々の瓦礫の中に立って天を仰いでいました。避難所には数万人が入り、粗悪な衛生環境の中で救済品に頼る日々を過ごしていました。ディノによると、四十四人がコップ一杯の豆を煮て作ったスープで一日を過ごす人もいました。被災後は食料が不足しているだけでなく、浄水や医薬品不足に伴って公共衛生問題が起こり、遂にはコレラが発生しました。
 
被災者の苦痛の声が棄てがたく、救済に赴く人たちの安全も心配でした。第一線で使命を果たし、別の団体の人たちと協力して慈済支部で生活用品を梱包し、千キロ余り離れた被災地まで送り届けてくれたことに感謝します。
 
この大きな国際的な災害支援には、物資をどのような経路と輸送方法で送り届けるかという困難が立ちはだかっていました。現地に倉庫はあるのでしょうか。ボランティアはどうやって順調に被災地に入り、無事に帰ってこられるのでしょうか。同時に異なる国のボランティアが一緒になって方法を考えました。また、五十二の国と地域でボランティアが支援に呼応してくれたことは感謝にたえません。「水滴も河になり、米粒も集まれば俵になる」と言われるように、軽い気持ちもちょっとした奉仕も苦難に喘ぐ人たちにとっては、必ずや救いになるのです。
 
トルコではマナハイ国際学校の生徒が災害支援のために、次々とこずかいを寄付しました。このことをシリア人の教師や大人は子供たちに話して聞かせました。これらアフリカの住民が貧困の上に酷く被災し、住む家を無くしたという苦しみは、戦乱を逃れて異国に流浪している彼らと同じであり、そのやるせなさを思いやることが出来るだろうと考えたのです。
 
このシリア難民の子供たちは普段からこずかいを節約し、慈済が支援活動を行っていると知ると、直ちに呼応しました。この数年、一度も欠かしたことはありません。何処に災難が発生しても彼らの心はそこにあり、その相手を思いやる心はとても価値のあるものです。彼らは異郷に逃れ、暗くて粗末な家に住んでいても、愛の心は明るいのです。人生の中に愛があれば光輝き、愛を伴った光りは千年の暗闇までも照らすことができるのです。
 
慈済がハイチに関心を寄せてから十年余りになります。貧困救済の配付活動と学校の支援建設で現地人ボランティアを育ててきました。今回、アフリカの災難を聞き、ハイチの彼らが勇猛に寄付した二千台湾元相当のお金は、すべて、彼らのポケットにあった唯一だったのです。容易な事ではなかったでしょう。誠に心打たれます。
 
東アフリカの苦難に喘いでいる人たちが必要としている助けを大衆に呼びかけるために、北区慈済ボランティアと台北慈済病院は共同でチャリティーコンサートを催しました。李仁甫と高原の若い二人は静思晨語でそれを聞くと、直ちに「愛の流れをつなごう」という新曲を作って会場で披露し、会場の聴衆が一緒に合唱しました。
 
苦難の人々が暮らす暗くて太陽の届かないような所にどうやって希望の光りを射し込ませたらいいのでしょうか?手を差し伸べ、「水滴が集まって河となる」ように愛を繋げることが「苦難の人々を彼岸に渡す」唯一の方法なのです。しかし、それが一時限りの活動で終わってはならず、持続して人々の心に愛を啓発しなければなりません。河の流れのように途切れることなく、暗闇にいる苦難の人々に明るい灯をかざして上げることです。皆さま、心して精進しましょう。
(慈済月刊六三〇期より)
NO.270