慈濟傳播人文志業基金會
前科を改め清らかな人生を送る
 酒を飲むと妻子に暴力を振るっていた。麻薬を買うため母親の形見の金を使い込んだ。自らの人生に行きづまっていた劉邦洲は、慈済ボランティアが差し伸べた手をつかんだ。
 正しい道に戻るには実に困難が多いが、ただ一つの願いを胸に、努力している。母親に恩返しをして、家庭を壊したことを償いたいのだ。
 
●劉邦洲は仕事後、慈済リサイクルステーションに来て回収物の分別整理をした。行動で以て子供たちが持っていた父親のイメージを立て直せることを願った。(撮影・施龍文)
 
「師姑(年配の女性慈済委員の尊称)、自分はこの役柄を演じると感情が抑えきれないので、これ以上はできません」。環境保全ボランティアの劉邦洲は手話ミュージカル「父母恩重難報経」に参加していた。彼が演じる役柄には親に対するあらゆる反抗的な行為をする場面があり、それは自分がかつて母親にしたことを思い起こさせたのである。彼は高ぶる感情を抑制することができず、リハーサル中懺悔の涙が止まらなかった。
 
二○一五年、劉邦洲の母親は病気を患い入院していた。ある日の夕方母親を見舞いに行った時、彼は麻薬への欲望が抑えられず、ついベッドの横のテーブルに置かれた母親の財布に手を出してしまった。その日の夜十時過ぎ、妻から母が亡くなったとの連絡が電話であった。
 
彼は思わずべッドから飛び上がった。頭の中が真っ白になり、思考が停止した。すると突然、頭の中で自分を責める声が鮮明に聞こえてきた。「自分は母さんの形見の金を盗んで麻薬を買った。何と許しがたい親不孝なことをしてしまったんだろう!」。
 

子どもから恐れられ疎まれる

 
劉邦洲は嘉義県東勢地方に生まれた。小さい頃に両親が別居し、末っ子の劉邦洲ら兄弟三人は高雄でセメント業を営む父親が引き取った。二人目の兄は病弱だったため東勢に住む母親の元へ送り返された。
 
父親の友人はほとんどがヤクザのような仲間で、兄弟は自ずとその悪癖が身に染みついてしまった。「九歳の時に警察に輔導されたことがありました」。劉邦洲は警察署や少年鑑別所への出入りを繰り返していた。
 
進学しなかったためどんな仕事をしたらいいのか分からず、また、父親も失業したので、親子は故郷の東勢に戻った。劉邦洲は祖父の運搬業の仕事を手伝った。トラックに乗って梨山や卓蘭地方と東勢を行き来し、季節の果物や野菜を台湾各地に向けて運んでいたのである。二十歳の時に、当時会社で経理をしていた同僚と結婚し、息子と双子の娘をもうけた。
 
劉邦洲は酒を飲むとしばしば妻や子どもたちに暴力をふるう悪癖があり、さらには薬物にも手を出してしまった。母親の説得もむなしく、妻を深く傷つけた上、子どもたちも父親に対して恐れと憎しみの気持ちを抱かせてしまったので、ついに妻は劉邦洲が家族に近づくことができないように、家庭内暴力保護命令の申し立てをした。
 

「あの、大丈夫ですか」

 
二○一六年の中秋節の前日、台中慈済病院ボランティアの黄明月は普段通りに患者に挨拶したり、ボランティアに声をかけたりしていた。その時不意に髪が肩までのび痩せた若い男性を見かけた。彼は今にも失神しそうな様子で、ふらふらと院内のホールをゆっくりと移動していた。黄明月は本能的に、「この青年は助けを必要としている」と思った。
 
数日後、ボランティア事務室に座っていた黄明月は、病院の廊下で、先日見かけた青年らしい後ろ姿に目をとめた。青年は、タバコと透明のペットボトルを持っていた。長年ケアの経験を積んできた黄明月は、ペットボトルの中身が水ではないとすぐ判断した。青年はタバコを一本、二本と吸い続けた。彼が三本目に火をつけたその時、黄明月は「今だ!」とテーブルに置かれた梨を手に取って、青年のもとへ向かった。
 
「あの、大丈夫ですか?」青年は黄明月をちらっと見てタバコを吸い続けた。「病院に来たのですから体に問題を抱えているのでしょう。いま手に持っている二つのものは貴方にとって良くないのは確かです」。青年は相変わらず無表情で、何の反応もなかった。
 
黄明月は続けた、「あなたは体の調子もよくないのでしょうが、ひょっとしたら経済的な問題もあるのではないですか。あるいは家族に無視されているのでは…?」すると、青年は「どうして分かるんですか」と目を大きくして言った。
 
彼の反応は予想通りだった。黄明月はこの機会を逃さず、「この梨と貴方のタバコとボトルを交換しませんか」。彼は梨に目をやると、優しい眼差しになった。
 
「梨なら自分の実家がある東勢の名産ですよ。自分は以前トラックで梨をたくさん各地に出荷していたんです」。
 
「そうですか。では、代わりにパイナップルケーキと交換しましょうね!」。黄明月はボランティア事務室に戻って、パイナップルケーキの箱を持ってきて、青年の手からタバコとボトルをうまく取りあげた。
 
この青年が劉邦洲である。アルコール依存症が原因で膵臓炎を患い、手術をしなければならなかったが、一人で通院していた。手術のスケジュールは決まっていたのだが、「お金はどうすればよいのか?誰が自分を看病してくれるのか…」とずっと悩んでいたのだった。
 
彼が行き詰まっているのを見かねた黄明月は、入院中も毎日のようにお粥を病室に持って行った。退院後も台中慈済病院に近い新田リサイクルステーションのボランティア呂明煌に連絡を取り、傷口が全癒するまでサポートを要請した。さらに、かつて多くの改心した前科者に関わってきた蔡天勝にも、「劉邦洲に寄り添って、新しい人生の方向へ導いてやってください」と依頼した。   
          
途方に暮れた劉邦洲にとって、黄明月との出会いは、まさに道を照らしてくれた灯火のようなものだった。彼はこの縁を大切にして離さないと決心した。また、蔡天勝と呂明煌も父や兄のように接してくれ、家族のような温かみを感じていた。こうして劉邦洲は、毎日バイクでリサイクルステーションへ行き、ボランティアとともにリサイクル活動に参加するようになった。午後は慈済病院の静思書軒で静思語を書き写し、かつてなかったような静けさと安心感を心に感じることができた。
 
しかし、このように東勢と潭子の慈済病院の間を毎日バイクでで往復する生活を長く続けるのも良策とは言えなかった。そして、劉邦洲が以前の生活と縁を切ることを決心したので、黄明月と呂明煌は、「自分が過去に犯した罪に勇敢に向き合い、安心して刑に服しましょう。そして将来刑期を終えて出所したら、清らかな人生を取り戻せますよ」と劉邦洲を励ました。
 
二○一七年二月、黄明月と呂明煌は台中の刑務所まで劉邦洲に同行し届け出をした。手錠を掛けられて鉄格子に入ろうとした際に、「中では、何があっても屈せず、じっと我慢して下さいね」「懺悔のため刑に服しましょう。刑期を終えて、改心して、清らかな身と心で社会へ帰ってきてほしいのです」と母のように温かく話す黄明月の言葉は、劉邦洲の心に深く刻まれた。劉邦洲は、振り返って鉄格子の外の黄明月と呂明煌に、「師姑、師伯(年配の男性慈済委員の尊称)、一年七カ月後に会いに行きます」。「はい。待っていますよ!」と黄明月ははっきりと答え、約束した。
 
●2017年1月、ボランティア黄明月(写真右)は劉邦洲(写真左)に、「勇敢に自分の過ちに立ち向かって、清らかな人生を取り戻すように」と励ました。

リサイクルステーションで心を癒す

 
劉邦洲は、ほぼ毎週のように刑務所から黄明月と呂明煌に宛てて手紙を書いた。自分の心境をつづるほか、妻や子どもたちの近況を知らせて欲しいとボランティアに伝えた。
 
劉邦洲が安心して刑に服すことができるよう、また、妻と子をいたわるために、黄明月は東勢の劉邦洲の実家を訪ねた。二回、三回と訪問を重ねるうち三人の子供も懐いてきて、黄明月のことを「おばあちゃん」と呼ぶようになった。妻も病院へ来る度に、ボランティア事務室に寄るようになった。
 
「お子さんと一緒にリサイクルステーションに来てください」と黄明月は親しくなった一家を誘った。それから、毎週の土曜日に妻は三人の子どもを連れて東勢区から新田リサイクルステーションに来るようになった。子どもたちは楽しそうに遊び、妻は回収物の分別整理をしながら、ボランティアと楽しくおしゃべりをした。
 
「あなたたちのお父さんは、環境保全に尽くして人柄も改まりました」。四年生と六年生の子どもは、ステーションの師姑、師伯から自分の父親のことをそのように聞いても、暴力を振るう昔の父親の印象は拭いきれなかった。
 
劉邦洲がどれほど家族を傷つけていたか、黄明月と呂明煌はよく分かっている。劉邦洲は、妻に許してもらい、子どもたちを抱きしめたいと願っているが、一度心に受けた傷は、時間をかけて癒さなければならないのだ。
 

刑務所を出てまっしぐら

 
二○一八年六月六日、黄明月は通常通りに患者や付き添いの家族たちを見て、支援が必要かどうかを考えながら、廊下を歩いていた。
 
突然、携帯電話が鳴った。電話に出ると、「ボランティア事務室に劉邦洲という青年が来ています」との知らせだった。「あら!劉邦洲はまだ刑務所にいるはずなのに?」不審に思ってちょっと不安を感じた。事務室に戻ってみると、目の前に立っているこの人が誰なのかさっぱり分からない。髪を短く刈り、旅行鞄を両手に持ち、生き生きとした目で微笑んでいる。一年四カ月ぶりに見た劉邦洲は、以前とはまったく違って、しっかりした自信を持っているように見えた。
 
「仮釈放が早くなったと今朝知りました。師姑に知らせるより直接会いに来る方が早いと思ったのです」と劉邦洲は興奮した様子で黄明月に報告した。「そうだったのですか。住む所はあるのですか?これからの生活はどうするのですか?」。質問が次々と黄明月の頭の中をめぐった。
 
黄明月の知らせで駆けつけてきた呂明煌が、劉邦洲とリサイクルステーションの部屋で一夜を過ごした。二人は久しぶりに再会した家族のように話が弾み、呂明煌は劉邦洲の過去についてより深く理解した。これから正道に歩みだそうとする劉邦洲に、呂明煌は手を差し伸べることを決心した。
 
ボランティアの傅美珠は劉邦洲の状況を知り、無償で部屋を提供した。住居の問題は解決したものの、どのように生活していくか。刑に服する前のように毎日リサイクルステーションにいるわけにもいかない。
 
呂明煌が金物工場を営んでいるボランティア頼明徳に話すと、「改心した人にチャンスを与えることはとても大切だ」と言って、劉邦洲を従業員として迎え入れた。
 
工場は蒸し暑く、体が慣れない時期もあったが、蔡天勝から「頑張ろう!初めての給料日にはご馳走しますよ」と励まされた。
 
月曜日から金曜日までは工場で働き、土曜日の午前中を環境ボランティアに当てた。残った時間は調理ボランティアをしたり、読書会に参加したりした。何か活動に誘われると、時間の許すかぎり参加した。回数を重ねるにつれて、慈済とともに新しい道を歩もうと、彼の決意は固まった。
 
●多くの更生者をサポートしたボランティア蔡天勝(写真中)が読書会で劉邦洲(写真左)に付き添って、さまよう心を安定させた。
 

受け入れてくれる

 
三人の子どもはリサイクルステーションで彼らの父親の姿を見かけてもなかなか近寄れなかった。劉邦洲が刑務所から釈放される前に離婚した妻は、まだ過去の葛藤に苦しんでおり、元の夫を見ることすらしたくなかった。呂明煌は「気にしないで、実際の行動であなたの誠意を示しなさい。子どもと前妻があなたを理解して許してくれるかどうかは、縁の成り行きに任せましょう」と励ました。
 
時間が経つにつれて、ある日、長男は父親がくれるお茶を受け取るようになった。子どもが徐々に彼を受け入れるようになったことを知って、劉邦洲はとても嬉しかった。今では三人の子どもがよく彼にもたれかかって、一緒に遊ぶようになった。
 
その日、劉邦洲が台中の静思堂へ調理ボランティアに行く途中、「父母恩重難報経」の手話ミュージカルに参加しないかとボランティアに誘われた。活動の内容も知らず、ただ「慈済の活動だから参加すべきだ」と思って承諾した。だが、彼に与えられたのは「反抗する子」という役で、両親に対するあらゆる反抗的な内容は以前自分が母親に対してしたことを思い起こさせた。ステージでリハーサルをする度に、彼は泣き出してついに辞退しようと思った。
 
スタッフは諦めず、がんばって役を演じるよう劉邦洲を励ましたが、彼にはまだ劇に出る勇気がなかった。丁度給料日になり、約束の食事をごちそうしようと蔡天助がやって来た。劇の事を相談すると「それは出た方がいい。僕が付き添いますから」と言った。劉邦洲は背中を押してもらった気がした。
 
二○一八年八月十八日の公演の日、二階の舞台の袖で出番を待っていた劉邦洲は、緊張のあまり感情をうまくコントロールできずにいた。やがて時間となり舞台に上がった。プロの俳優に導かれ、全体の雰囲気に呑み込まれてしまった。病気の母親の様子が心に思い出されて、悔やまれ、いつのまにか涙で濡れていた。どうやって演技を終えたのか自分でも覚えていない。舞台を降りた後、彼はすぐにトイレに駆け込み、顔を覆って泣きくずれた。
 
二日連続で六回の公演があり、その度に劉邦洲は涙が止まらなかった。「母親の形見の金を勝手に取って麻薬を買い、家族の心を傷つけた。自分はとんでもない親不幸者だ」
 
●「父母恩重難報経」の手話ミュージカルで「反抗する子」を演じる劉邦洲(写真右1番)が、昔の自分を描いたようなその役を演じ、懺悔した。
 
劉邦洲の前妻は、彼が以前犯した大きな過ちをまだ許すことができなかったが、二日間の出演中、彼女は行動で彼をサポートして、父親の変化を見せようと思い、子供達を静思堂に連れて行った。劉邦洲にとってこれほど心強い応援は無かった。「父親の代わり様を見せることで、父親が本当に改心して慈済の正道を歩んでいるのだと知って欲しかったのです」。
 
その後、地域の親子成長クラスと慈済少年クラスが始まる日、家で休むつもりだった劉邦洲も台中慈済病院の人文広場に来て、ボランティアと一緒にテーブルと椅子を並べたり、お茶を準備したりした。ボランティアのユニフォームを着た彼は、リラックスした笑顔で、自分の子どもたちと同じ年ごろの学生たちを見かけると話しかけた。「私の前妻も子どもたちを児童クラスに参加させています。将来子どもたちが私のように過ちを犯し家庭を壊して後悔の淵に陥ることのないように願っています」。
 
「世の中に悪い人はいない、過ちを犯した人だけがいる」という證厳法師のお諭しを劉邦洲はよく覚えている。以前は人の借りた闇金を返済させるために、二十~三十人のヤクザを連れて、あちこちで悪事を働いた。昔と今の生活を比べると彼は今安堵を覚えるという。「慈済人と一緒に善行を行うととても幸せです。以前は、いつも警察に捕まるのではないかと怯えていました」。
 
劉邦洲は「二度と過去の過ちを繰り返したくない」と決心した。また黄明月と呂明煌ら慈済ボランティアたちの導きにより、一歩一歩新たな人生の道を進んでいる。「天国にいる母を慰めるため、僕は母からもらったこの身体で、人の役に立つことをしていきたいと思っています」。
(慈済月刊六二七期より)
NO.270