慈濟傳播人文志業基金會
言っていけないことは言わない
たとえ自分の娘でも言葉と時を選ぶべきである。
言いたいことを我慢するのは困難なことだが、
言ってはならない時には言わずに我慢する方が良い
 
娘は初産で母となり、私も初めてお婆さんになりました。娘が産婦人科を退院して産後ケアセンターに移った日、赤ちゃんの黄疸が安全指数を超してしまいました。センターはこれ以上悪化すると責任は負えないと言うので、娘は二日間自分一人で赤ちゃんを抱いて病院に通いました。
 
その日は、夜の十時を過ぎても婿が帰宅しなかったので、娘はタクシーで余り遠くはない病院に、赤子を抱いて黄疸の照射に行きました。私はお産が済んだばかりの娘が哀れで、つい口をついて出てしまいました。「お産が済んだら私が世話をするから実家に帰るように言ったでしょう。それに病院は実家の方が近いから何かあってもすぐ行けるのになぜ言うことを聞かないの」。話し終わらないうちに、娘は泣き出して「どうして私を責めるの。赤ちゃんの黄疸はとても大切なことよ」と訴えました。その時私は自分が間違ったことを言ったのだととても後悔しました。
 
私は娘が大事で、娘は赤ちゃんが大切、二人とも間違ってはいなかったのです。ただ当初娘と婿が私に苦労をかけまいと思いやって産後ケアセンターを選んだのに、私は娘たちの心をくんで上げられなかったのす。
 
證厳法師は朝の説法『法華経》の中の「分別功徳品)で「事に触れ理を解する」ことを説いておられました。法はこのように教えています。私たちはそれをどんな方法をもって、人として世の中の事に当たればいいのでしょうか?如何にすればこの道理に当てはまるのでしょうか?
 
翌日法師の説法の中で「華、香、瓔珞」の中で、華は善心、香即ち善徳、瓔珞妙厳即ち忍辱衣、とそこまで説くと少し話題を変えて「多くの事は適切でない時に言うべきではなく、言ってはなりません。我慢するのです、とにかく用心することです」と教えられました。
 
その一瞬、私は何かに押しつぶされたように心が痛みました。そうだ、言ってはいけなかったのです。すべてのことは熟考を重ねなくてはいけないのです。口による業を慎むのはなんと困難なことでしょう。たとえ腹を痛めた我が子でも、言ってはいけないことがあるのです。
 
法師は毎回諭されるお話しの最後には「細心の注意をはらうように」と言葉を結ばれます。それは日常生活において「何事につけても理に叶うように」するのが肝心ということではないかと思うのです。
 
 

耐え忍ぶのも孝行のうち

 
私は毎週、台中慈済病院付属養護老人ホームへ姑の面会に行きます。ある時そこのボランティアが私に「あなたはあのお婆さんの娘さんですか?」と聞きました。「いいえ嫁です」と答えると「本当に親孝行だこと」と感心するのです。私は「これは嫁として当たり前のことですよ」と答えました。こういう会話がよくありました。そして、暫く後、私は花蓮精舎の朝会の書類を整理していた時、ある病院ボランティアがこう話していました。毎朝七時になるとやってくる中年の婦人のことです。その婦人は寝たきりのおばあさんに朝ご飯を食べさせているそうです。そこではスタッフに任せてよいのでなぜだろうと不思議に思い、お婆さんの娘さんかどうか確かめると、実はお嫁さんだったのです。
 
ボランティアが「今時、こんな姑孝行の嫁さんは珍しいですね」と褒めると「私は嫁いだ日から、何をしても良く言われたことがなく叱られてばかりでした」と言いました。少し気に触っていたような口調だったので、ボランティアは「そんな姑さんなのになぜ毎日世話に来ているのですか?」と尋ねると「仕方がないのです。兄弟は誰一人世話をしませんから」と答えました。そして、気が収まり「世話をしているのが習慣になって、一日でも姑の顔を見ないと落ち着かないのです」と付け加えました。
 
「孝行をしているのですから、不満を言わないようにしましょう。言っても仕方がないでしょう、お姑さんはそういう人なのですから」とボランティアが言うと、諦めたように「隣の人たちからも気にしないことだと諭されますが、毎日そう言われるとかえって気分が悪くなってしまうのです」と続けました。
 
この時ボランティアは「もしも廻光返照(死ぬ直前に過去のことが走馬灯のように頭の中に現れること)という現象が本当にあるのなら、お婆さんはあなたの手をとって『有難う、貴女に幸せがあるように』といいますよ」と言葉をかけました。するとお嫁さんは泣き出してしまいました。
 
ボランティアは間違ったことを言ったのではないかと驚きました。理由を聞くと今までお姑さんの不満を言う度にみんなが「そんなこと言わず、我慢しなさい」とおざなりなことを言うだけで、誰も彼女の立場を考えてくれていないような気がしていたそうです。しかし今のボランティアの言葉に、彼女は心にわだかまっていたものが解き放たれたように頭を上げ、微笑んで「有難う」と言いました。
 
私は書類を整理しながら聞いていましたが、、涙で文字がかすんでしまいました。私はこの人と同じ境遇でしたし、今はもしも一週間姑に会いに行かず晩御飯の世話や仏のお参りに連れて行かなかったら、その一週間は何かやり残したような気がして仕方がないのです。でもそれは心からの親孝行ではなかったと分かりました。姑の健康な時に姑の無明に対して恨みを呑み込んで孝行することはできませんでした。記憶喪失の今になってから孝行を尽くしても孝行と言えるだろうか?この人に比べると私のしていることは劣っている様に思えて反省したのです。
 

自覚を促すサルスベリの樹

 
早期、中高年の委員たちが法師を母親のように思って、家庭内の些細なことを訴えていました。法師はそれを「嫁の嫁に、子供たちの子供になりなさい」と戒められておられました。
 
忍辱は修行の中でも困難な行いです。突然思いのままにならない場面にあうと、理知は一秒で忽ち覆されてわけのわからない無明に攪乱され、瞬く間に努力した甲斐がなくなってしまいます。これは家庭内の親子関係でよく発生することです。
 
時代の変化に伴って親子の考え方には大きな違いが生まれています。私たち親がよく言う「過去の苦労」は、今の子供たちに通用するとは限りません。これは親として一度深く考える必要があることなのです。
 
数日前に精舎へ帰った時、ボランティア朝会の合間に散歩していると、大きな石の上に一本の木が生えており、その下には、複雑に絡み合った根が目につきました。顔を上げ、「これが精舎の尼僧が話していた、サルスベリの樹に違いない」と思いました。
 
徳念尼僧は当初、大きな石に小さな木が付いているのをそのままにして精舎に運び込みました。その後、枝が伸び、葉が散っては芽を出し、いつしか人々がその木陰で休めるまでに成長したと聞いていましたが、それがこのサルスベリでした。
 
人と人の間では、常に人事の纏わりから抜けきることができず、酷いときになると親族間でも関係の破綻をきたすことがあります。纏わり付いている木の根は、無明が自分を縛り付けているように見えて私たちの一生を表しているようでした。よく見ると根はそこから抜け出して枝葉をつけた後、葉を広げて成長し、自由開豁に伸びていく糧となっているようでした。私たちに一事を経ると、一つの智慧が付くということを示しているようではありませんか?
 
「骨身を刺す寒さを超さなければ、鼻をつく梅花の香は得られない」と言われます。逆境は増上縁であり、また私たちの道業の糧になり、「事に当たっては理に叶っているか」と鑑みることが大切なのです。
(慈済月刊六二六期より)
 
NO.270