慈濟傳播人文志業基金會
貯米の経済学
米粒は不思議な無限の力を持っている。種籾を土に埋めれば無数の稲穂に育ち、米を炊いてご飯にすれば、何千何万もの人のお腹を満たすことができる。貯まった米は適時に人を助け、良縁を結ぶ。  
 
貯米に賛同した会員が米櫃を持って里帰りするのは、ミャンマーにおける慈済活動の恒例となっている。持ち寄った米櫃の重さはまちまちだが、農家の人達が生活状況に応じて懸命に貯めたものである。農民達の米を受け取る時、ボランティア達が跪いて謹んで米袋の口を大きく開け、農民たちにそれを入れてもらった。あちこちから「ザーッ」という音が聞こえた。素早く流れ落ちる米は真珠のように目に映るが、よく見ると、米粒は大小様々であったり、砕けた米粒もあった。
 
●「貯米箱の里帰り」はミャンマーにおける慈済活動の一環となっている。子供たちは楽しく列に並び、貯米箱に貯めた米を人助けする米の山に空けた。
 
ミャンマーの農家は今でも昔ながらの小さな竹の容器で計っている。貯米箱から集められた米はこの竹の容器で測って米袋に詰め分けられる。ボランティアは手慣れている。袋詰めが終わるとケア世帯に手渡すが、両手は米粉で真っ白だ。
欠けた米粒も完全なものも食糧難の危機に直面した家庭に届ければ、一日三食が解決される。
 
普段から明るく善行好きなミャンマー人は毎日一握りの米を貯めて人助けすることを忘れない。今年の二月、慈済がヤンゴンで一回目の種籾配布施活動をした時、ボランティアはその場で貯米箱で集められた大量の米を受け取った。
 

農民の悲しみは代々続く

 
今回配付した種籾は、被災地の状況に従って異なった品種を選んでいるが、全てミャンマー農業庁の認証を受けた優良な品種である。即ち、種を蒔いた時から成長過程を追跡し、刈り取り後の処理、選別を含め、農業庁の厳しい審査を通って何重もの関門をクリアしてから再認証を受けることができるのである。
 
今回の種籾を雨季に植えれば、来春の穀物が保障され、向こう三年間続けて植えることができる。一般的に農家は窮困しており、毎年の田植え時期になると、国や金持ちから借金して種を買わなければならない。もっと貧しい農家は近所と物々交換したり借りて農耕している。毎年の収入は不安定で、収穫した稲を全部売っても債務を全額返済できない。大半の農家はこのような状況に甘んじ、代々借金しながら農耕している。
 
「家内が嫁にきた時は嫁入り道具として手首から上腕まで金の装飾品を着けてきました。私が村長になってから、農家が生活のために畑を売りに出すか装飾品を売りに出していると聞きました。家内も装飾品を売り、嫁入りの時に持ってきた装飾品箱が空っぽになりました」とヤンゴン省トングワ町リョウニ村の村長が話してくれた。
 
「農家は借金しても返済できず、我々も彼らの畑を取り上げるのは忍びないのです。ただでさえ満足に食べられない状況下で農耕する畑がなくなったら、子供もいる家族はどうやって生きていくことができるでしょう?」
 
村長の話しは、ミャンマーの農家の悲しみを語り尽くしている。
 

クラウドシステムで温く繋がった

 
●バゴ地区で行われた慈済の種籾配布会場では役人が農民の身分と資格を確認していた。
 農業庁は毎年緊急時に備え、種籾を備蓄しているが、去年のように水害が広範囲にわたると、被災した農家の需要に応じ切れなくなる。
 
今回初めての種の配付活動でラジック(Ragic)クラウド・データベースが採用され、配付対象になる四万七千世帯の農家の資料をデータ化した。前準備の作業はミャンマーの配付活動で最も忙しいものとなったが、村町の農業庁は辺境にあり、場所によっては基本的な電気、水道も行き届いていないため、全て紙に書く手作業に留まっている。慈済は農業庁から農民の名簿を受け取った後、一世帯ずつ配付用データベースに入力した。
 
データ入力から、校閲、最終確認に至るまでの膨大な作業はミャンマー人の慈済青年ボランティア(慈青)が引き受けていた。彼らは配付活動のプロセスを熟知しており、準備作業の中心人物でもある。慈青たちの養成は十年掛かった。助学金を受けていた子供たちはいつもボランティアの後について活動に参加してきたため、今では恒例の活動を取り仕切るまでになった。
 
配付活動はラジックの効率のお陰で過程が簡素化され、祝福カードのバーコードをスキャンすれば、農家の資料が直ちに出てくる。農民は受付を終えた後は自分の時間に合わせて、各地の農業庁の倉庫から種籾を受け取ればいいのである。
 
●慈済ボランティアはスマホで農家の人達が受けとった祝福カードをスキャンし、資料をクラウドに保存した。これで農民は支援物資受け取りの手続きが完了し、後日そのカードで近くの農業関係の役所から種籾を受け取ることができる。
 
活動では種籾の受け取り手続きが早くなっただけでなく、何よりも大切なのはボランティアが住民と交流できる時間が確保できたことである。長い間、訪問ケアを行なってきた慈済の郭バオユー師姐は農民と最も多く交流してきた現地ボランティアと言える。配布後のケアの中で農民からお金がなくて三食にも困り慈済の種籾を米と取り替えるしかない、という話を聞いた時、彼女は心がとても重くなった。
 
バオユー師姐は居ても立っても居られず、ある日、彼女は仕事場から慈済ヤンゴン連絡處にやってきて、この件について私に相談があったので、直ちにマレーシアの葉淑美師姐に連絡を取った。彼女は十年前のサイクロン・ナルギス風災支援の後、ミャンマーに四年間留まり、黙々と背後から皆を励ましてきた人である。
 
「必ず、『翌春の種籾を残す』という法師の期待を農民に伝えて下さい。以前、一部の農民が我々から受けとった上質の種籾を質の悪い米に換えたことがありますが、却って損をします。村長がそういう行為を耳にしたら、必ず私達に知らせるよう、村長に協力を求めて下さい」という葉師姐の切実な呼び掛けが遠くから入ってきた。 
 
電話を切ってから、私とバオユー師姐は互いに見つめ合い、心の中で、今はスタッフ総出で配付活動をしているが、如何にして素早く農民達の実状を把握できるかを考えた。村長に約束を取りつけ、ヤンゴンから最も近いトウバク町に向い、農民が種籾を受け取ってからの実状を把握することにした。
 
私たちは手ぶらで行ったわけではなかった。先の配付活動で既に七百キロの貯米が集まり、ヤンゴン連絡處に運ばれていた。そこで直ちに曾て米屋を経営していた羅達明師兄に頼んで米の袋詰めをしてもらった。彼は竹の容器と秤を使って手慣れた様子で米袋から一枡ずつ白い米を掬い出した。バオユー師姐は計算し、過去の経験から一世帯一ヶ月に必要な米の量を大体三十枡(約六十キロ)になると推測した。
 
車を予約しようとした時、運転手は我々が三百キロもの米を運ぶと聞いただけで、金儲けを諦め、予約を断った。結局、トラック一台を予約し、翌日早朝に出発した。
 
●貯米箱の里帰り会場では子供たちが一杯になった貯米箱を抱え、嬉しそうに列に並び、縁の有る人に愛の心を捧げるのを待っていた。
 

種籾も日々の食事も大切

 
ヤンゴンからトウバクまで車で約二時間かかる。トラックは混み合う市内を通り抜け、次第に狭い田舎道に入った。朝日の射す中、田園一面に薄い霧がかかっていた。豆畑の中では、豆を収穫していた農夫たちが編笠をかぶり、色とりどりの服を身につけ、心踊るような光景を作り出していた。
 
トングワに着くと一人の農婦がトラックに飛び乗ってきた。まるでお出掛けでもするかのように、両頬にタナカ (Thanaka:タナカの木から作られた粉)を厚く塗り、綿の生地でできた花柄の帽子をかぶり、スパンコールがいっぱいついた紫色の伝統衣装を着ていた。
 
農婦は車に乗ると直ぐにバオユー師姐と延々と喋り出し、彼女が始終合掌して感謝していたのが目に入った。そして暫くして師姐は私の方を見て説明した、「こちらは農村の訪問に同行する為に村長が推薦してくれた村人です。彼女はとっても熱心な方で村の老人や子供に助けが必要な時は必ず手を差し伸べています。彼女は以前緑豆種の配付活動に参加したことがあり、今回も種籾を受け取ったそうです。彼女はとても慈済が好きで、ボランティアになりたいと言っています」。
 
今日の目的地はワニ池村で、四十九世帯が去年慈済から緑豆の種を受けとっており、今ちょうど収穫期である。そして、二、三日前に慈済から種籾を受けとったばかりで、皆、とても喜んでいる。慈済ボランティアが来たと訊いて、集まって来たのである。
 
私たちが村の入り口にたどり着くと、何人かの村人がバイクに乗って出迎えに来てくれるのが見えた。皆、慣れた様子でバイクの後部座席に座って出発した。村に入る道は意外と快適で、コンクリートで整備されていた。また、村中の建物には政府が支給したソーラー・パネルが取り付けられていた。我々がよく訪れるタイクイ村付近の貯米をしている村々に比べて、インフラ整備がかなり整っている方だ。
 
●月一回行われた貯米の寄付活動が終わると、地元の農民は集められた米を米袋に詰め替えを手伝い、ケア世帯に届ける準備をした。
 
バイクは一軒の農家の前で止まった。その庭先の瓜棚には大きな瓢箪ができていた。屋内の女の子が客人の来訪を知ると、素早くゴザを持って来て敷いた。それはミャンマーのもてなしである。
 
屋外で十七、八歳くらいの綺麗な少女が水鉢の側でコップを洗っていたが、その後、湯呑みと急須をテーブルまで持って来た。その聞き分けの良い仕草に好感が持たれ、人々に深い印象を与えた。
 
座って間も無く、農民たちが徒歩やバイクなどで続々と集まり、人が多くなってきたので、村長が向いの寺の住職から場所を借りて集会しようと提案した。
 
寺に入って法師に礼拝した後、椅子が整然と並べられた小ホールに案内された。多くの農民は緑豆の収穫で長時間、農作業するため、皮膚は真っ黒に日焼けしていたが、皆、元気に笑顔を浮かべて席に着いた。
 
バオユー師姐が今回の収穫はと聞くと、皆、「とっても良いです」と嬉しそうに言った。 
 
「去年九月に慈済人が調査にきた後、花蓮に戻って證嚴法師に報告しました。緑豆を配付して、この期間中に経済的に支援できる作物からできれば、来季の種籾を買うことができると法師が言いました。私たちの法師は皆さんのことを非常によく分かっていると思いませんか?」とバオユー師姐が問いかけると、
 
「法師様は我々のことを思って下さっている」と居合わせた三十人余りの農民が異口同音に答えた。
 
「収穫したら、来季用の種籾を買えますか」とバオユー師姐が聞くと、農民は全員笑い出した。その背後には様々な答えがあり、ミャンマー人の楽観的な性格を表した。多くの農民は緑豆を売ったお金で借金の利息を返済にするが、来季の種籾はまた借金するしかないのである。
 
「法師は再度、私たちを種籾の配付によこしたのですが、皆さんの困難をよく分かっておいでだと思いませんか」とバオユー師姐が笑い声の中で軽く訊いた。皆、頷いた。
 
師姐はゆっくり見渡して言った、「今回、配付される種で雨季に田植えもできますし、どんな農地も荒廃させないことを法師は望んでいます。私たちが住む地球上にはまだ、食糧がなくて飢えている人が沢山います。食糧不足の問題を少しでも解決する為に、皆さんは努力して耕作してくれますか?法師のお気持ちを分かってください」。
 
「我々はいくら辛くても、法師様からいただいた種を売ったり、碾いて食べたりしません」と誰かが感激しながら椅子の上に立ち上がって叫んだ。
 
「しかし、食事も現実的な問題ですよ」と師姐が心配して聞いた。
 
●米粒も貯まれば籠一杯になり、人助けの力となる。貯米で恩恵を受けた世帯は緊急の食糧を受け取ると、楽しくボランティアたちと記念写真を撮った。
 
皆、下を向いて黙り込んだので、師姐は村長に聞いた、「村長さん、もし村人が食糧不足になった時は、必ず連絡して下さい!ここにいる人たちは大丈夫ですか」。
 
村長は直ぐにこの中で、毎日借金して米を買っている二人を指さした。師姐は根気よく皆に慈済の支援方式を説明した上で、持ってきた米をその二世帯に送ると同時に、親族や隣同士が助け合うようお願いした。
 
一粒の米には計り知れない不思議な力が隠されている。土に植えれば無数の稲穂に実り、炊けばご飯になって何千何万世帯のお腹を満たすことができ、籠いっぱいになって適時に人助けして良縁を結ぶことができるのである。
(慈済月刊六二九期より)
NO.270