慈濟傳播人文志業基金會
あの一年を忘れること莫れ
その一念を忘れること莫れ
 
あの年に発心した一念を忘れる莫れ。
 
智慧を発揮し、一緒に歩んでくれた、あの人たちを忘れる莫れ。           
 
あの一念を堅守し、心を込めて精進し、
 
分秒を時代の見証に使い、この世の歴史を書こう。
 
 
慈済教育志業体は五月と六月に順次、卒業式が行われました。慈済科技大學の卒業式は荘厳で規律正しく行われ、少なからぬ外国人卒業生の家族が遠路はるばる卒業式に参加していました。そして、静思精舎で感動と感謝の言葉を述べました。「子供が台湾の学校で勉強すると聞いた時は心配しましたが、学校と懿徳ママの世話で安心しました。まるでもう一つの家庭に入ったようでした」。
 
慈済大学付属高校と小学校の生徒は順序正しく、一人ひとり台上に上がって卒業証書を受け取っていましたが、とても純真で規律正しく、美しい光景でした。彼らには「尊師重道」の精神が窺われ、とても礼儀正しく、心が和みました。慈済大学は大学生から博士課程の卒業生まで、校長先生と教授たちが卒業証書を手渡し、タッセルの儀式は学生数が多くても、古来からの儀式ゆえに省略しませんでした。
 
慈済の一貫教育は幼児園から大学院まで、即ち種から培養し、芽が出て小さい木から大樹に成長するように人材を造っています。教育志業の創設と医療は関連しています。一九七九年、花蓮に病院建設の考えが起きた時、志が立っていた故に歩みを進めました。一路とても苦労しましたが、一九八六年八月十七日、花蓮慈済病院は開業しました。同時に教育の重要性にも気づき、東部での医療スタッフの募集が困難だったことにも迫られ、看護師学校の設立を決めました。一九八九年、慈済看護専門学校が開校し、台湾全土から二万人が来て、百七人の第一期生を祝福しました。
 
慈済科学技術大學は当時の慈済看護専門学校が改制されたもので、創設三十年になりました。卒業式の情景をスクリーンで見た時、感謝の気持ちでいっぱいになりました。また当時、台大病院を退職した楊思標教授が私の最も必要としていた時に、喜んで初代校長を引き受けてくれたことに感謝しています。
 
この三、四十年間、楊教授は慈済の医療と教育に投入し、数多くの智慧のある意見を提供してくれたお陰で志業は前進することができ、東部台湾に良質のものをもたらしてくれました。楊教授は今年百歳になられ、生き生きとした老松のように、たとえ百歳でもリタイアせず専門知識を発揮し続けると言っています。彼の人生の価値観と方向は非常に正確で、医療界と教育界の模範を示してくれています。
 
 
今、心からあの一年のあの一念を理解し、私たちは人生と志業の恩人に感謝すべきで、その中には人生の貴い足跡も残っているのです。
 
学校にしろ病院にしろ、一つの瓦やレンガ、砂やセメント等々、慈済人の布施と労力がなかったら、工事を完成させることはできなかったでしょう。多くの志を共にした専門スタッフが花蓮の医療に投入し、三十余年の間に無数の人の病苦を取り除き、健康を取り戻して来ました。慈済教育志業は数多くの卒業生を送り出し、今でも多くの人が志業体で重責を担っています。
 
当初、無一物だった状況下で、病院と学校を創設することを決心し、その一念を行動に移しました。人々の信頼と助力に感謝しなければなりません。縁が結集したことで、この世のためになる建築物が次々と完成しました。行動してきた時間が累積して、今のような成果を目にすることができたのです。これが歴史であり、経典なのです。
 
当時のことを忘れず、その一念を忘れないように。正しいことは行動に移し、世の人々のために際限のない善行をして千秋万世に影響を与えればいいのです。もし一念が偏り、一歩踏み間違えれば、誤った方向に行ってしまいます。ですから心の在り方に注意しなければならないのです。
 
善行するには六度:「布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧」の行いが必要です。菩薩心が起これば精進し、道が如何に遠くて困難であっても「無縁大慈、同体大悲」の精神を持ち、衆生の為にどんな辛いことでも進んで行い、重々の困難を取り払い、種々の執着を克服して耐えるのです。もし、他人の言った一言に耐えられなければ、どんなに良い事でも途中で消えてしまいます。
 
あの年に発心したあの一念を忘れず、更にそれを守り通さねばなりません。またこれまで多くの人が智慧を発揮し、体で実践して共に歩んできたこの道を忘れてはならず、こんなにも貴い人生なのですから記憶に残しておくべきです。
日々、時間を無駄にせず、慇懃に精進し、放逸を慎み、片時も時代を見証することを忘れず、人の世のために歴史を書きましょう。皆さん、心しましょう。
(慈済月刊六三二期より)
NO.272