慈濟傳播人文志業基金會
環境保全の責任を担おう
 
澎湖(以下ポンフー諸島と略す)慈済のリサイクルボランティアは二十年余り前から既に地元で地域の環境保全を行なっていた。近年、観光の発展に伴ってゴミと海洋廃棄物が増加する中、ボランティアは依然、持ち場を離れていないが、担う責任は以前よりも重くなっている。ポンフー諸島の北から南までボランティアの足跡をたどることができる。皆、心を一つにして、この海と環境を守ろうとしている。
 

思い出の海岸に戻る

 
ポンフー本島の西嶼北側の海岸を歩いていると、毎日、拾った回収物を飼料袋に入れながら背中に背負っている、一人のお婆さんに出会う。八十歳近い陳楊專お婆さんである。冬になると、大量のゴミが漂着し、ポンフー本島の人にとっては長年の悪夢である。しかし、陳楊專お婆さんは進んで行動することでその問題と向き合っている。というのも、その海岸は自分が成長した庭先であると共に、家族を懐かしむ場所でもあるからだ。
 
 
以前、陳楊專お婆さんと夫は漁師で、漁をして生計を立てていたが、この住み慣れた海が自分の愛する人を奪ってしまうとは思ってもいなかった。ある日、船が転覆して夫は亡くなった。それはお婆さんにとって大きな打撃だった。毎日、涙に暮れるばかりで、二度と海岸に近づかなくなった。ある日、お婆さんは慈済ボランティアに出会い、師姐たちはお婆さんの世話を続けると共に、早く苦痛から抜け出すよう励ました。そして、「浜辺にたくさんの資源があり、それを回収すれば、ゴミが減るだけでなく、人助けにもなるのです」と言った。思いがけず、その簡単な一言でお婆さんは生きがいを見つけ、勇気を出して新たな人生に踏み出したのである。今では毎日、勤勉に浜辺で漂流物を拾い、行動で故郷を綺麗にし、夫への思いを奉仕に変えた。
 

模範的なキャプテン

 
島に住んでいる石龍耳は今回インタビューした中で唯一のキャプテンだが、彼もれっきとしたリサイクルボランティアである。私たちが訪ねた時期は丁度イワシ漁の季節で、石龍耳は毎日、夕方海に出て翌日の早朝に帰ってくるという生活を何カ月も続けるのである。
 
 
漁師は海に出る前、漁具の準備だけでなく、食糧や飲み物なども用意して航海に備える。長い間、漁船の狭い空間と低い環境保全意識から、漁師は利便さを追求して不要のゴミを海に捨ててきた。それは海洋を汚染するだけでなく、海洋生物の命も脅かす。石龍耳は環境保全を知ってから、ゴミが海洋の生態と環境に危害を及ぼすという重大さを理解した。海に出ている間、自分の漁船を模範に、ゴミを捨てないだけでなく、資源を回収するよう船員に言い聞かせている。
 
海に出ない時、彼は集めた回収物を整理する。この小さい島では誰もが知り合いで、船長が環境保全に力を入れていることも知っている。住民は回収物も持って行くだけでなく、量が多い時には整理と分別の手伝いもする。整理された回収物を石龍耳は漁船で馬公まで運び、慈済の環境保全センターで処理してもらう。彼の漁船は瞬時にして環境保全船になり、船長も海を守る環境ボランティアになった。これからもっと多くのポンフー諸島の漁民が、この海と土地を大事にすることを望んでいる。 
 
目下、世界16の国と地域に561カ所の慈済環境保全センターと10,267カ所の地域リサイクルステーションがあり、106,498人のリサイクルボランティアが自発的に活動に参加している。
地域のリサイクルステーションには休日はない。台湾では9万人余りの慈済リサイクルボランティアが地域社会を守っており、ポンフー島にも環境保全センターが1カ所あり、16カ所の地域リサイクルステーションは毎日運営されている。
 
 

市場の環境保全を伝承する

 
夜が明けたばかりのポンフー本島馬公市の北辰市場は既に賑やかで、見渡すと新鮮な野菜や果物、魚、肉などが並べられ、人の行き交いが絶えない。市場の店は慈済のリサイクルボランティアをよく知っており、皆、野菜や果物の段ボール箱や緩衝用の紙類をボランティアの回収のために取っておく。しかし、市場での資源回収は決して楽ではなく、固い材質の段ボールを解体するのにかなり力が要る。また、その前に野菜の葉っぱを綺麗にしたり、周りの掃除をしてから帰るのだ。これが薛佩麒夫婦が以前、残してくれた美徳である。
 
 
薛佩麒師兄と言えば、リサイクルボランティアの誰もが感謝と懐かしい気持ちでいっぱいになる。少佐を退役し、最初市場で野菜を売っていた。七十歳を過ぎてから環境保全を知り、妻と一緒に市場で資源回収を始めて十年余りになる。北辰市場のリサイクル作業の方法は殆ど彼が築き上げたものである。
 
薛佩麒師兄は気さくで優しく、年中休むことなく熱心にリサイクル活動に取り組み、大勢の人に尊敬されていた。彼は四年前、交通事故で亡くなった。しかし、彼が残した模範的な姿はボランティアの心に深く焼き付いており、彼が愛した環境保全をボランティアが引き継いでいる。
 

環境保全で繋がった絆

 
山水里の山水ビーチにはやわらかい黄色い砂浜と青い海がある。馬公市での観光客の水遊びと写真撮影の絶好のスポットであり、毎日、大勢の観光客が自転車で向かう。しかし、山水ビーチから遠くない道路脇には見慣れた慈済のリサイクルステーションがある。そこはリサイクルボランティアの翁順安師兄が提供した土地で、しかも建物は回収したもので建てられている。外観はパッとしないが、地域住民に資源回収の場として提供している他、そこには翁順安家族が環境保全に投入した因縁がある。
翁順安師兄は普段、リサイクルステーションで回収物を分別するだけでなく、資源回収車で地元の家一軒一軒を回って回収物を集め、ステーションに持ち帰っている。また、そこでは彼の家族の姿もよく見かける。長兄の翁武吉さんは彼より二回りも歳上で、お父さんのようでもあり、楽しくリサイクル活動に参加している。平時、翁順安師兄は仕事で忙しく、ステーションに回収物がたくさん貯まった時は、お兄さんやお姉さんが自主的に整理や回収分別の手伝いをしに来てくれる。彼らはいつも黙々と奉仕し、家族間の感情と暗黙の了解は環境保全でしっかり結ばれている。彼らの奉仕は周りの友人たちをも感動させ、友人の子供たちも参加するようになり、今や翁順安一家のリサイクルの助っ人となっている。
 

 

異なる世代に共通した期待

 
私たちは取材を終えた後、ポンフー本島のこの小さな島をあちこち散策した。綺麗に並んで停泊していた漁船を見ていると、楽しそうな笑い声が聞こえた。村の子供たちがダイビングしていた。午後の太陽は強かったが、海水は冷たく、無邪気な子供たちにとって格好の遊び場であり、最初に水泳を覚える場所でもある。近くの女性たちが日差しを利用して小魚やイカを干していた。日が暮れた後、彼女たちは薄暗い街路灯の光を頼りにそこに戻り、十分に干したイワシを選別していた。それはその季節の重要な仕事で、住民たちの主な収入源でもある。
 
 
取材中、私たちはお婆さんに、苦労して遠洋で取ってきたイワシの体内には、マイクロプラスチックが出てくるかもしれないとは言えなかった。また、子供たちには次の世代が今のようにこの港で泳げるかどうか、海洋生物のようにプラスチックの海に浸かっているだけになるかもしれないと伝えることもできなかった。目の前にある漁村の島の純朴さと静かな光景が消えてなくなり、ポンフー諸島の人々と子孫の共通の思い出となることがないよう心から望んでいる。
(慈済月刊六二九期より)
NO.272