慈濟傳播人文志業基金會
澎湖 ごみの波に翻弄される島
 
澎湖( 以下ポンフー島と略す) は以前、真っ青な海、白く細かい砂の浜辺が国内外の観光客を惹きつける観光地だった。しかし紅羅にあるごみ転送場に行くと、潮の香りに混じってごみの異臭が鼻を突いた。眼の前の落下防止ネットには大きな穴が空いており、正に離島がごみ処理問題に手を焼いていることを物語っている。このネットさえもごみ大軍の勢いを止められないようだ。
 

ごみ問題の渦中にある国連

 
ポンフー島のボランティア鄧宝珠師姐の案内で湖西町の東沿岸に車を走らせた。ひときわ高く立つ白い風車は遠くからも目に付くが、近づいてみると、白く続く砂浜に廃棄物が一面に打ち上げられ、見るに堪えない惨たらしさだった。海洋廃棄物の深刻な問題が、今まさに凄まじい勢いでこの海岸に押し寄せていた。
 
心配されているのは、毎年全世界で海に流れ込む海洋廃棄物が、プラスチックゴミだけでも八百万トンと推計されていることである。その大部分がアジア地域に源を発しており、流出が最も多い中国から百四十キロしか離れていないポンフー島は地理的に矢面に立たされている。モンスーン及び黒潮の流れによってポンフー島の海岸線に流れ着いたごみは、殆どが中国大陸、韓国、日本および東南アジア諸国からのものであり、中でもペットボトル、プラスチック類が大部分を占め、次に漁船から棄てられた漁具、魚網、ブイ、電球などがある。
 

ゴミは海のえさではない

 
その日、私たちは地元の慈済ボランティアと共に湖西郡の菓葉ビーチで清掃活動を展開した。菓葉地方はポンフー島の東部に位置し、日の出を眺める名所である。日射しが雲の隙間を突き抜けて美しい海面とボランティアを照らした。私たちは目の前の景色に見とれながらも、至る所で海洋ごみを目にして胸が痛んだ。しばらくしてボランティアたちは大きな袋いっぱいにごみを詰めながら、「電球がこれほど多いのはなぜでしょう。直接海へ捨てにくるのでしょうか」と驚いていた。
 
地元のボランティアによると、ゴミは、冬は季節風によって東北沿岸に流れ着き、夏は黒潮に乗って南海岸に打ち上げられるそうだ。これらの海洋ゴミに対して政府機関或は民間企業、学校、ボランティア団体などが、常に海岸清掃活動を展開してポンフー島本来の天然の美しい海岸線を取り戻すために努力している。しかしご存知の通り、ここのごみは拾ってもきりがない。ゴミ捨て自体を禁止するかプラスチック製品の使用を減らさなければ、海洋ゴミ清掃が終わる日は訪れないだろう。
 
  
 

旅人には見えない負担

 
ポンフー島は県政府と民間企業の努力のもとに、観光業で人の流れと商機を掴んでいる。しかしその成功の背後にゴミ処理問題という大きな試練に立たされている。ポンフー島にはごみ焼却炉が無く、県内一市五町のあらゆるごみは船で高雄の焼却炉へ運ばれて処理されるので、その費用は非常に高い。特に毎年行われる国際海上花火大会のある一カ月は、ごみの量が一千トンに達するため、花火から出るごみを直接海に沈めたこともあるそうだ。それを誰も気に留めなかったという。
 
元々、地元住民の生活にとってごみ処分は負担になっていた。そこに観光客のもたらした膨大な量のごみが加わってまさに泣き面に蜂だ。その上毎年の砂浜清掃後には大量海洋廃棄物の処理にも追われることになってしまった。内憂外患の挟み撃ちに遭い、ポンフー島のゴミ問題は今正に厳しい圧力へのチャレンジを迫られているのだ。
 
そこで一つ考えて欲しいことがある。私たちが船で台湾本土からポンフー島馬公市へ観光に来て持ち込んだ飲み物の容器、ビニール袋などのごみは、当地の政府機関の予算で台湾本土へ運ばれ、焼却されることになる。そこから吉貝、七美、望安などのマリンスポーツで人気の島まで足を伸ばした場合、私たちが残したすべてのごみは定期船で馬公市へ送られ、さらに本土へ転送されるのだ。だとしたら、私たちがマイ食器やショッピングバックを持参するだけで、ポンフーのごみ処分の負担減少に役立つのではないだろうか?
 
  
 

最終処分場の末路

 
私たちは、ポンフーの離島である吉貝、島嶼、望安、七美を訪れた。離島のすべてのごみを転送拠点の紅羅に運搬するに十分な経費と人手を有しているとは限らず、ある地区では現地で埋めざるをえないという現状が分かった。この日、私たちが訪れたある最終処分場では、当地で処分できない家具、漁具、日常用品などがそこに集められていたのである。
 
離島でもリサイクルを宣伝しているが、回収後の処理が行われていないため、回収物はごみとともに最終処分場に埋められていた。その上、ビーチ清掃活動で拾った大量の海洋廃棄物も最終処分場に置かれたままだった。地中に埋められたゴミは数年経てば分解されると思うかもしれないが、その実そうではない。ある考古学者がごみの山で三十年前の分解されていない新聞を見付けたが、文字までもはっきり読めたそうだ。ごみの増加が加速すると加圧により密度が高くなり、腐化の空間が欠乏してプラスチック類は百年経っても分解されないことがわかる。土地には限りがあるのにごみは無限に増え、最終処分場は飽和状態に達している。その責任はやはり人類が担わなければならない。
 
 

ごみの背後の勇者

 
ポンフー島では毎日のごみの平均量は約四十トンほどだが、観光シーズンになるとそれが五十トン以上に上る。しかしそれらは一般ごみだけで、資源回収された量は含まれていない。
 
二〇一八年四月に高雄市の中心地にある資源回収の工場が火事になり、焼却炉が稼動できず、ポンフー島のごみ処理にまで影響を及ぼし、一時は持ち込みが禁止された。これは恐ろしい事態であった。数十トンのごみが毎日変わらず押し寄せて絶え間なく積み重なるのに、転送する場所がないのだ。私たちがごみ転送拠点の紅羅に行った時も目の前のゴミの量は膨大だった。ここでは職員が数日間積まれたままのごみの悪臭を心配して四角形に圧縮し、ビニールに包んで悪臭を閉じ込めていた。ごみの中から再利用できる物を選んで分類し、少しでもごみの減少に努める労働者もいた。
 
職員が連日悪臭に満ちた環境の中でごみを処理していることに、心の中ではやるせない思いを抱きつつ、彼らには心を込めて感謝の意と敬意を払わずにはいられなかった。
 
  
(慈済月刊六二九期より)
NO.272