慈濟傳播人文志業基金會
艱難な時代の感動的なパワー
「苦難の多い時代では目を開けるとこの世が見え、目を閉じると地獄が見えます。しかし、この数日、目にするのは菩薩ばかりです。そう!苦しみの多いこの世には菩薩が必要なのです」。これは先月證厳法師がサイクロン・イダイの被害を被った東アフリカ三カ国について心を砕いて語ったもので被災地は地獄のようだと嘆いた。幸いにして多くの国の慈済ボランティアが現地ボランティアと共に、悪路を厭わず、食糧の緊急支援を順調に終えた。
 
今回、被災したモザンビークとジンバブエ及びマラウイは全て年間平均収入の低い貧困国家である。
 
慈済ボランティアは遠い距離を物ともせず、台湾、マレーシア、アメリカ、中国及び南アフリカなどから被災地に赴き、三カ国の現地ボランティアが言語や文化の隔たりを補った。彼らは万難を突破して被災者に食糧や住宅用の建材と大工工具及び生活に必要な農作物を届けた。
 
東アフリカ三国の貧困状態を今日の豊かな台湾と比較すると、まるで別世界のようだ。しかし、半世紀前、證厳法師が花蓮に落ち着き、苦労して慈善行為を始めた時は、まだ東部の住民も貧しく、今から考えると想像し難い光景だった。なかでも花蓮よりも遠方にある台東は尚更だった。
 
今期の主題報道に載っているが、慈済功徳会設立一年余りの時、法師は新聞の報道で台東のある墓の側に住む失明した年寄りの話を知って訪問し、それが慈済の長期ケアの最初のケースとなった。その時、小学校校長をしていた王添丁夫婦が大いに支持してくれたお陰で、貧困者の訪問ケアが当地に深く根を下ろすきっかけとなった。
 
その頃、政府の社会福祉政策には、貧困家庭をケアする制度が確立されておらず、台東の慈済ボランティアは法師の指示のもとにケアを必要としていた貧困家庭の調査を行っていた。彼らは山間部や海辺、離島にも出向き、ひと月以上掛かる時もあったが、気力と忍耐で遂行した。また、毎月の配付活動では施療も行った。
 
「台東慈善経験」は、慈済史上幾つかの重要なマイルストーンとなった。例えば一九六九年の強い台風エルシーが引き起こした卑南村の大火の際に行った支援は初めての大規模な災害支援となった。次に一九七三年の台風ナラの被害に対しては、それまで最も被災者数が多くて広範囲にわたる支援となったため、最も高い援助額に方策を練ることとなり、今日の支援活動の基礎となった。
 
社会の工業化につれ、人口が流失し、台東は一九九〇年代には既に「高齢化社会」に突入していた。医療及び福祉資源に限りがあった環境の中、王校長夫婦に従って訪問ケアをしていた人たちも老いて少なくなり、若いボランティアたちにバトンタッチされるようになった。
 
台東慈善訪問ケアボランティアによる歴史の口述と記録は今年六月に上梓されるに至り、困難な時代の支援の足跡と感動的な慈悲心の願力を実証している。それはこれまで長い年月をかけて慈済が行って来た国内外での苦難の支援を語る時に忘れてはならない出発点でもある。
(慈済月刊六三一期より)
NO.272