慈濟傳播人文志業基金會
菜食の産後食・産婦も衆生をも護る
陳春菊は産婦の世話をしているが、思いがけず菜食を奨励する道が拓けた。体を健康にするためには殺生しなくても、栄養バランスが取れた菜食で産婦を元気にすることができる上、衆生と良縁を結ぶこともできる。このことを自分の料理の腕で伝えている。
 
鍋に熱くなった胡麻油で生姜を炒め、香ばしくなったら、ヤマブシタケを入れ、胡麻油がなじんだ頃にオウギとナツメ、クコなど元気にする薬膳と水を入れて煮詰める。冷え性の改善に良い胡麻油ヤマブシタケは産婦の産後食にうってつけであるだけでなく、家族全員で楽しむことができる。
 
●陳春菊は機転を利かせて、栄養があって美味しい産後食を作った。肉食の人にも健康な菜食を試してもらった。(撮影・楊秀麗)
 
中国は昔から、産婦は十ヵ月の妊娠期間を経て出産するため、体力を消耗し、また出産後の授乳の栄養も考えて「月子(一月の産後休養)期間」に栄養補給して元気にする必要があるという習慣がある。
 
七十二歳の陳春菊は産婦を世話して二十五年になる。信仰の関係で菜食を始めた彼女は十二年前、産後食を肉食から菜食に切り替えた。しかし、その過程は容易ではなかった。というのも、産後食の食材と調理方法は特別で、最初、彼女は限られた食材に頭を抱え、どう調理したら良いのか分からなかった。
 

幸福な人生は長く続かず、

家計のために転職した

 
二十五歳の時、陳春菊は大家族の長男の嫁になり、一家十二人の生活を担うようになった。
 
海南島生まれの彼女は結婚前、海南島料理は一品しかできなかった。姑は生え抜きの客家人で、姑以外に近所に住む従兄の嫁からも変化に富んだ料理を教えてもらい、次第に好みが異なる家族を満足させるまでになった。
 
しかし、幸せな結婚生活は長くは続かなかった。夫が浮気したが、幼い子供のことを考えて辛抱して家庭を守った。彼女は生活費や子供の学費を工面するために掃除婦として働き、それが終わると実家の海産物店で山積みされた赤貝の処理を手伝うなどして、一日中働き通しの日々を送った。
 
四十七歳の時、母親が脳卒中を患い、生活は一層苦しくなった。友人は見かねて、産婦の世話をする仕事を紹介した。その仕事は収入が安定しており、「やっと母に大人用紙オムツを買い続けることができるようになりました。有難う」と友人に言った。
そこでの一番大事な仕事は、新生児の世話の他、産婦の食事を用意することである。
 
産婦の食事は健康な人の食事の調理法と違って、食材が決められている。ごま油で生姜やキクラゲを炒めることしか知らなかったので先輩に「私はここで働き続けたいと思っていますが、産婦専用の食事はよく知らないのです。教えて下さい」と率直に頼んだ。
 
幸いにも産婦の家族が惜しみなく教えてくれ、少しずつ調理できる料理が増えていった。彼女は懸命に学ぶと共に、調理法を自己流で解釈し、メニューを増やした。
 

心を入れ替え、料理に専念する

 
陳春菊は料理を続けるうちに益々上手になり、学んだものに薬膳を加えることで産後食ができるようになった。一年間に八ヵ月は産婦に付き添い、平均して一月に魚十五匹、鶏十から十二羽、豚半匹の量を料理した。
 
彼女は人の世話をして元気にさせているが、自分は長年の昼夜を問わない疲労が蓄積しているため、よく病気になる。目が腫れて痛み、涙が出たため、様々な薬を飲んできたが、三十年や四十年経っても原因が分からない。
 
仏教を信じる友人は、目さえ治れば菜食しますと発心することを勧めた。病気はまだ治っていないが、その発願で慈済に出会い、そこから菜食の縁ができた。
 
二○○二年、陳春菊は慈済ボランティアの呉桂花と知り合い、ボランティアになることを勧められた。彼女は料理が好きで厨房で野菜を洗ったり切ったりして、菜食の調理法を学ぶようになった。
 
二〇〇七年に大愛テレビの番組で證厳法師の開示を聞いた。「動物は屠殺される時、恐怖のために体から毒素をいっぱい出します。私たちは肉を食べてはならず、衆生と良縁を結ぶべきです」という。その言葉は彼女の心に残り、他人にも菜食を勧めるようになった。産婦に出した食事のことを思い返してみると、ひと月にどれほどの殺生をし、どれほど無数の悪縁を結んでいたかと考えるようになった。「動物の命を使わず、体に元気を取り戻させることが、私にもできるだろうか?」と思わずにはいられなかった。
 
陳春菊は野菜でいっぱいになった食卓を見て目を見張り、再び料理に自信が持てなくなった。それでも彼女は学ぶ精神を発揮して慈済志業体の職員のために産後食を作ってみたが、毎食同じような菜食を出した。産婦のご主人が休日に干し豆腐や黒きくらげなどの食材を買ってきて、甘酢と黒酢を加えて煮炊きすることで菜食の「酢豚」が出来上がった。陳春菊は学びながら手伝い、自分の菜食の産後食レシピーに付け加えた。
 
陳春菊は上手に魚や肉の代わりに菜食の食材を使い、産婦それぞれの体質や習慣に合わせて様々な料理を作った。
 
ある時、インドネシア華僑の産婦の母親が、香茅、ウコン、生姜、亜参(酸味のある香料の一種)と鶏肉を煮込んだものを娘に食べさせていた。彼女は傍で見ていて母親に「作り方を教えてくれませんか」と聞いた。「もちろんです。この料理は子宮の収縮をよくしたり冷え症によく効くのです」と言った。
 
その後、陳春菊は工夫して、亜参の代わりにトマトで酸味を出し、魚に似せた精進魚や豆腐を鶏肉の代わりに使用し、適度に甘酸っぱくして普通の人も美味しく食べられる菜食料理に仕上げた。
 
以前の習慣では、お産の後は大量の生姜と料理酒を使っており、退院すると直ぐに産婦に飲ませていましたが、彼女は産婦のためにと思って、医者に教えを請い、薬剤も食材も体質に合ったものにしようと考えた。以前の習慣では、産婦は野菜類を食べてはならなかったが、実は、生姜、枸杞、乾燥棗などを入れれば体が温まる。
 
産婦が肉食を要求する時は、食材を色々変えた菜食料理を出して勧め、その美味しさを助言している。栄養バランスを考えると同時に衆生と悪縁を結んではならないのだ。
 
陳春菊は今でも覚えているが、ある産婦の主人から「私は菜食は食べないので、私には出すな」と念を押された。ある日、菜食の酢豚を作ってインドネシア人の家政婦と食べようとしていた時、その主人が帰って来て、それをいっぱい食べてしまった。それから彼は、二度と菜食を拒むことはなくなり、彼女は菜食の勧めに成功して嬉しくなった。
 
●陳春菊(右)は生活のために産婦を世話する仕事に就いたが、意外にも新たな人生を踏み出すことになり、数多くの産婦とその家族と良縁を結んだ。(写真の提供・陳淑環)
 

無私で伝承する愛のメニュー

 
陳春菊は自身の食事は簡単に済ませるが、産婦の食事には一日も早く元気を取り戻せるようにと気を使っている。
 
慈済ボランティアの陳淑環は二度のお産とも彼女の世話になった。長男を出産した時、退院する前に陳春菊は食欲をそそる産後食を作って持ってきた。そして、退院する時、陳淑環の夫も脊髄の手術をしたばかりだったため、陳春菊が新生児の世話だけでなく、手術後の夫の食事も用意してくれた。そのことを今でもとても感謝している。
 
振り返って料理ができなかった時の苦痛を思うと、陳春菊はレシピの公開は厭わない。しかし、コピーはさせないという原則を貫いている。学びたい人は自分でノートに書いてもらう。「書くことによって印象が深くなり、途中で分からなくなれば、分かるまで私が教えてあげます」と彼女が言った。
 
●72歳の陳春菊(左)は持病があるが、時間があればボランティア活動に参加し、栄養のある料理を作って皆と分かち合う。(撮影・陳延北)
 
十五歳年下の妹陳春芳にレシピを渡して「私たちは産婦の世話をしている以上、自分の娘のように世話しなければいけません。精一杯すれば、相手も感謝の気持ちが起きます」と念を押した。姉にならって菜食して一年余りになる春芳は健康になったことを感じ、再び産婦の世話をする仕事に戻ってからは産婦たちに菜食を勧めている。
 
長年の苦労で眼の病気だけでなく、不整脈や高血圧もあるが、いつまでも休んでいられない性格の彼女は直ぐに出かけてしまう。産婦の仕事がない時は慈済に出かけてボランティアする。「私はあまり健康とは言えませんが、毎日、菩薩にボランティアを続けさせて下さいとお願いしています。人の役に立ち、皆に料理を出せるのが最高の喜びなのです」と言った。
(慈済月刊六二七期より)
NO.273