慈濟傳播人文志業基金會
肉食から菜食へ 美味しさで 顧客を引き止める
ある常連客が看板を見上げて驚いた。「いつから菜食に変わったのだ?」実は肉食から菜食に変えて既に半年が過ぎていたが、その客は気づかなかったのだろう。コックの梁祺順は菜食でも美味しく食べてもらえると信じている。曽ては肉がなければ食事が喉を通らなかった梁祺順は、「私にもできたのだから、あなたも絶対にできると信じています」と言った。
 
未明の早朝五時、マラッカ州ヤシン県のフードコートから證厳法師が『法華経』を開示する番組の音が聞こえてきた。梁祺順と黄婷婷夫婦は毎日仕事を始める前に必ずテレビのチャンネルを大愛テレビ局に合わせる。忙しい一日が始まる。朝食の提供から午後五時に閉店するまで、一日中大愛テレビを付けてお客さんと過ごしている。
 
マレーシアのヤシンで生まれ育った黄婷婷は故郷を後にしてクアラルンプールで美容室を始め、夫の梁祺順と知り合った。結婚後、夫は料理を提供する屋台を始めたが、黄婷婷は美容室を続けた。二〇一〇年から、彼らはヤシンに戻って定住したが、「法は水の如し」の経典劇を見て感動を覚え、そこに心の拠り所を見つけた。
 
二〇一一年、彼らは慈済ボランティアになり、朝山拝礼に参加すると共に一ヵ月間斎戒した。朝山拝礼が終わった後も黄婷婷は夫に菜食を続けたいと言うと、梁祺順はそれに賛同した。
 
「以前、菜食を試したことはありましたが、一週間続けただけで誘惑に負けてしまいました。今回は思いもよらず、比較的簡単にできました」と黄婷婷が言った。しっかりした敬虔な気持ちがあったので、心が揺らぐことはなく、軽やかで自在になることができたのである。
 
菜食は梁祺順にとっては容易ではなかった。シェフである彼は味の濃い美食を好む習慣が身に付き、肉なしでは食事は喉を通らなかった。
 
梁祺順は「菜食はあっさりして食べても味気ないので、好きにはなれませんが、それに順応することはできます」と言った。三十年余り吸ってきたタバコも辞められたくらいだから、菜食もきっとできると信じている。
 
変えると決めたら直ぐに行動するタイプの梁祺順は最初はご飯の上にカレーのタレや肉用のソースをかけていたが、野菜のさっぱりした甘みに段々慣れて来ると、もう味の濃いソースに頼らなくてもよくなった。
 
梁祺順は諦めたことは一度もない。黄婷婷が夫の純粋な心を見て、彼の意志の強さと決意に感服した。
 
●2015年、マラッカのボランティアたちが「法は水の如し」の経典劇を順調に終えた。その1字1句が殺生による悪業の果報を説いており、梁祺順(左から1人目)は菜食を提供することにした。(撮影・郭巧雲)
 

メニューチェンジ 

小さい店の対応は早い

 
黄婷婷のお母さんは最初、娘が菜食に変えたことに対して懐疑的だったが、菜食による健康への利點を目のあたりにした。兄弟は皆、遺伝的に高血圧だが、彼女だけは健康である。今は高血圧のお母さんも菜食の調理法を学んで食習慣を変え、菜食者になっている。
 
以前、夫婦ともに菜食を始めた頃も、店では相変わらず肉料理を出していた。このことは黄婷婷を苦しめた。「自分は菜食しているのに、他人に肉食を薦め、殺生をさせていたのです。しかし、菜食料理に変えたら、店は経営していけるのだろうか?と悩みました」。
 
まず暫くの間はメニューを菜食と肉食を半分ずつにし、調味料は全て菜食用に変えた。それでも、黄婷婷の心は晴れなかった。
 
二〇一五年に二人は「法は水の如し」の経典劇に参加し、繰り返し経文を読み上げて練習した。その一字一句が殺生による因縁果報を教えており、黄婷婷は日増しに懺悔の気持ちが強くなっていった。そして、いつも「仏法は衆生の平等を教え、證厳法師も生命の尊重を呼びかけており、間もなく認証を受けて證厳法師の弟子になる身として、肉食を提供し続けるわけにはいかない」と考えた。
 
「菜食に変えましょう」と黄婷婷が自分の考えを言うと、夫は「そうしよう!コストのことは心配するな。儲けが少なくなったら、節約すればいい」と賛成してくれた。
 
しかし、黄婷婷のお母さんは反対した。「フードコートで唯一の菜食の店は経営が苦しく、近いうちに店じまいするのよ。飛んで火に入る夏の虫になってどうするの!」
 
黄婷婷はお母さんに、「今がいいチャンスだよ。肉食から菜食に変えても、他の店と客の取り合いをしてお互いの関係を悪くすることもないし、ベジタリアンのお客さんにも引き続き食事を提供できるのよ。商売が良ければ多く献金できるし、収入が少なければ節約するから、心配しないで!」と言った。
 
娘の固い意志を感じて、お母さんは心配するのを止めて祝福した。家族の応援の下に、黄婷婷は心が軽やかになり、二〇一六年一月から菜食を提供するようになった。
 
●梁祺順(左)と妻の黄婷婷(右)は日々楽しく客に食事を用意し、菜食の良さを分かち合っている。
 

美味しい料理を

様々な民族の人が食べに来る

 
菜食に変えてから、顧客の反応は二種類あった。菜食と聞くと、背中を向ける人がいる一方、わざわざ来てくれる人もいる。
 
セールスの仕事をしている黄美珍は健康の理由で菜食を二十年以上続けている。仕事の関係で各地に出張しなければならず、ヤシンに来ると食事のことで悩んでいた。「ヤシン付近には菜食の店は全くありません」。町の人の紹介で梁祺順の店を見つけ、後に同僚にも紹介した。
 
「菜食に変ってから、前よりもよくここで食事をするようになりました」。ガナマニカムさんは店の常連であるが、まだ完全なベジタリアンではない。宗教の関係で、インドに帰って巡礼に参加する二ヵ月前には菜食生活する必要があるのだ。菜食の店がなかった頃は、自分の家で調理していたが、いつも同じようなものばかり食べていた。「この店が菜食を提供するようになってからほとんど毎日食べに来ています。野菜とご飯を選んで注文できる上、麺類もあってメニューが豊富だからです。私の食事は菜食中心になりました」。
 
●菜食の店はバラエティなメニューとオーダーしてから調理することで客を引きつけると共に、野菜が少ないマレーシア料理とは異なる選択肢を提供している。
 
店がある地域には、インド系とマレー系の人が多く住んでいる。マレー人の食生活には野菜料理が少なく、菜食は容易ではない。そのためマレー人であるザカリアが初めて店を訪れた時、梁祺順夫婦は驚いたが、嬉しかった。
 
ザカリアは一日三食を殆どそこで済ませている。彼は、「肉食は一食、最低でも八リンギ(約二百円)しますが、菜食は三から四リンギで済み、一日でかなり節約できます。菜食料理は美味しい上、健康にもよく、以前は高血圧でしたが、今は正常に戻りました」と言った。
 
梁祺順は、菜食料理を求めてやって来る客と対照的な一人の常連客の面白い話を思い出した。菜食料理に変えて半年が経ったある日、その常連客が看板を見上げて驚いたように聞いた、「何時から菜食料理に変ったのだ?」常連客はメニューを覚えていて、そのまま口頭でオーダーするため、特に看板に気を留めず、そうやって半年も食べていて気がつかなったのである。
 
黄婷婷は、「常連客の中には、初めは試そうとしないのですが、また來てくれる機會があると、『以前と同じように美味しいねぇ』と言ってくれ、再び常連になった人もいます」と教えてくれた。
 
黄婷婷は以前、魚や肉を沢山食べた後、体に湿疹が出たり肌に痒みを感じ、口の中が爛れたりしたが、まさか「禍は口から」とは知らなかった。菜食して暫くしてからそのような症状はなくなり、大きく悟ったのである。
 
「以前は肉料理が一番美味しいものだと思っていましたが、菜食を出すようになってからは、肉の生臭い匂いが手につくと料理の匂いまで生臭く感じるようになったのです」。梁祺順は時間があると座って常連客とお喋りするが、肉食から菜食に変えた体験を分かち合って、もっと菜食するよう勧めている。「私でさえ口の欲望を克服できたのだから、あなたもきっとできると信じています!」
(慈済月刊六二七期より)
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