慈濟傳播人文志業基金會
回顧を冊子にして、人間の経典にする
歴史を回顧する時、
殊更慎んで戒めて敬虔になり、
現代の啓示と教育にするのです。
天地の間で生活するには、
規則や法の如く、
天を敬い地を愛してこそ
福縁が結集するのです。
 
 
今年六月から七月にかけての三十一日間の行脚では、慈済の人たちと百五十六回もの心温まる座談会と開示を行うことができました。テーマは、「あの年を忘れるなかれ、あの人を忘れるなかれ、あの一念をも忘れるなかれ」です。半世紀以来、台湾の何処かで災害が発生すれば、慈済人はすかさず行動を起こし、数分後には現場に駆け付けていました。そして、心がどんなに痛んでも勇敢に苦難の人に寄り添ってきました。
 
皆で回顧して時代を見出し、断片を寄せ集めて、真実の歴史を残しましょう。数多くの話を聞く中、感動的なものもあれば、悲惨な過去もありました。それよりもあの人達が「聞聲救苦」(助けを求める声を聞けば直ちに救いに行くこと)をして恨みも悔いもなく奉仕してくれたことに感謝します。
 
今年は九二一大地震の二十周年に当たります。当時、激しい揺れが収まると、慈済人は地から湧き出たように、夜も明けきらないうちから、温かい食事や物資を被災者に提供し、身近な所からさざ波のように遠くまで広げていきました。そして、次々に行われた救援活動は被災地において拠り所となりました。
 
被災者の長期にわたる不便なテント生活を考慮し、自分たちの家が完成するまで少なくとも三年間過ごしてもらえるよう、急いでプレハブ式仮設住宅を建てました。借地して設計から起工するまで全台湾の慈済人が動きました。鉄骨フレームは一人では持ち上げられなくても、二人や四人、または六人で運ぶことはできます。女性はかがんで床板を敷くだけでなく、勇敢に屋根の上に上がってネジを締める作業もし、夜は地面に寝ました。
 
色々な話を聞いているとその苦労を思い忍びなくなりますが、皆の価値ある生命をとても嬉しく思います。当時の仮設大愛村の近くには、小川に小さな橋が架かる緑豊かな景観がありました。十二坪の屋内には三部屋と居間、ダイニングキッチン、浴室洗面台などが完備されていました。落成した時、皆に「家の広さよりも心の広さが大事です」と言いました。家は小さくても心を広く持てば、困難を乗り越えることができるのです。
 
続いて五十一カ所の学校建設という「希望工程」に移りましたが、充分な資金があったから引き受けたのではなく、テントの中で暑さや雨風に堪えて授業をしている子供達の様子は見るに耐えず、また学びに適した学齢を考えると時間を無駄にすることができなかったからなのです。
 
今年六月、台中静思堂では希望工程の学校を卒業した青年たちが集い、時代の意味を見出しました。二十年前、彼らはテントの中で授業を受けた後、新しい教室に入り、そして卒業しました。今では社会で成功し、責任のある仕事に就いています。彼らを見ると、心から喜びを感じます。
 
私たちが被災直後すかさず支援し、幸いにもあの年に多くの学校を建設できたことは、あれだけ多くの慈済人がいてくれたからこそ、その力があったからこそ成し遂げられたのです。さもなければ、ただ一人でその心があっても、そんな力はありませんでした。
 
もしあの時すかさず支援に投入し、大愛村の建設、希望工程等の中長期支援を行わなかったら、今のように「あの年」を振り返ったり、同じ志を持った慈済人と深い縁を結ぶこともなかったでしょう。無私の人助けの行動は一念によって起きますが、それが一番大事なのです。皆が初心を持ち続け、時間を無駄にせず、絶えず開拓して生命の価値を高められるよう願っています。
 
もし、過去の一分一秒を無駄に過ごしていたら、今日の慈済志業は成就しなかったでしょう。「観身不浄、観心無常、観法無我(この身は不浄と観る、心は無常と観る、法は無我と観る)」。一分一秒たりとも留めることができない故、毎秒の「自分」を把握して、深く、広い歴史にしなければなりません。
 
一分一秒を繋ぎ合わせたのが年月です。回顧を冊子にしたのが慈済大蔵経であり、「時代を見出し、人類のために歴史を刻む」のです。そして回顧する時はもっと自分を戒めて敬虔にならなければいけません。地震には周期性があり、それを現在の啓示として若者たちの教育にするのです。天と地の間で生活している私たちは、規則や法の如く、誰もが法律を知ってそれを犯さず、物欲を善の念に変えることで社会が平和になり、天を敬い地を愛してこそ、福縁に恵まれるのです。皆さん、心して精進しましょう。
(慈済月刊六三四期より)
NO.274