慈濟傳播人文志業基金會
生存をかけた孤児たちの挑戦
この五年間、エボラ出血熱の伝染から雨季の洪水と土石流被害に至るまで、西アフリカの貧しい国シエラレオネ共和国の国民は、生存の試練に立たされてきた。最も苦難に直面したのは災害で両親を亡くした孤児たちである。食糧と教育、医療が欠乏している中で無事に成長できるかどうか、いまだ未知数なのだ。
 
慈済(ツーチー)とシエラレオネ共和国の縁は、二〇一五年エボラ出血熱が伝染する中で幸いにも生存した人たちを支援したのが始まりだ。今年で五年目を迎えるが、ケアは途絶えたことがない。エボラ出血熱の伝染が鎮まった後も、国民は更なる苦難と向き合わなければならなかった。二〇一七年、土石流と洪水で多くの人命が奪われ、多数の孤児が残された。
 
この五年来、慈済はシエラレオネ共和国内で、カリタス・フリータウン基金会とヒーリー国際救援基金会及びランイ基金会と非常に良好な協力関係を結んできた。そして「最前を行き、最後までやり通す」という共通理念の下に、苦労を厭わず住民のために奉仕し、慈済の愛の軌跡を持続させてきた。それは全国のエボラ出血熱生存者に手を差し伸べるだけでなく、多くの収容所や孤児院、診療所、社会福祉機構などでも人々に寄り添ってきた。
 
今年の四月十一日から十六日まで、私は慈済アメリカ支部ボランティアチームと一緒に世界各国から寄せられた愛の義捐金を携えて再度、ケアのためにシエラレオネ共和国の首都フリータウンを訪れ、貧困と苦難に喘ぐ人々に、「あなた達を忘れてはいない」ことを伝えた。
以前は台湾の白米やエコ毛布、携帯用食器を贈ったが、今回は四千五百二十缶の五穀粉(注)を西部地域にある診療所、病院、孤児院、収容所、学校などを含む十二カ所の施設に届け、千百二十三人の住民が恩恵を受けた。
 
(注)  五穀粉   大豆、ハトムギ、オーツ、蕎麦、もち米、玄米、紅小麦、トウモロコシ、粟、紅豆、緑豆、ブラック・アイド・ピーズ、グリーンピース、黑豆、ベニバナインゲンなど五穀類をミックスした粉。栄養豊富で水を加えてそのまま飲用できる。
 
●4月16日,フリータウンにある総合児童センターに慈済と協力団体から贈られた五穀粉が届いた。センターには40人の子供がおり、大半が栄養不良に陥っていた。

教育はもっと大切

私は故郷マレーシアからシエラレオネ共和国まで、飛行機を三回乗り換え、二十五時間かけてたどり着いた。その他のボランティアはアメリカのカリフォルニア州やニューヨークから来て落ち合った。
 
私たちは北部のルンギ国際空港から更に三十分船に乗って、やっと西側にある首都フリータウンに辿り着いた。船からは、水辺でたわむれる子供たちや洗濯する女性たちの姿が見えたが、海岸はゴミでいっぱいで、衛生観念の欠乏と環境汚染の問題が見て取れた。
 
マレーシアでも台湾でも、アフリカと聞けば貧困と不衛生、後進国を連想する。しかし、今の南アフリカを例にとれば、インフラが次第に完備され、一定の生活水準にあるといえる。
 
それ故、私はシエラレオネ共和国も南アフリカのように活気に溢れる現代都市だと思っていた。しかし、空港からホテルまでの道中、私の考えが間違っていたことを知った。空港から三十分も走らないうちにその国の困難が見て取れた。
 
私たちが目にしたのは、極端に粗末な家や路上で物を売る少年たち、そして、路上で這いまわる小さい子、ぼろぼろの服を着た子供と手で食べ物を口に頬張る子など、その全てに驚くばかりだった。そのような情景が国家の首都の随所で見られるのだから、遠く離れた地域の貧苦は想像を絶するものがあるのだろう。
 
私たちはクリニックと病院を訪問した時、医療の乏しさと水準の低さを目にし、あらゆる部門が同じ問題を抱えていることを知った。看護人員が不足し、十分な医療設備も無く、その上公共衛生と保健教育の観念が不足していた。医師がなく、看護師が医師を兼ね、クリニックの管理だけでなく、患者のケアから妊婦の出産まで担当しているクリニックもあるのだ。
 
貧しい故に多くの妊婦や新生児、患者は充分に栄養をとることができず、病気や衰弱から回復することができない。今回、私たちが持ってきた五穀粉は彼らに大きく役立った。
 
二〇一四年、エボラ出血熱が広がり、二〇一七年は雨季の土石流と洪水で家々が流されたため、多くの子供たちが両親や肉親を亡くして孤児院に送られた。それらの孤児院は資金も人力も不足しており、慈善団体から贈られる資源に頼るしかなく、彼らは非常に不安定な生活を送っている。
 
しかし、生活がどんなに貧しくても、子供たちは楽しそうな表情を見せており、単純な生活が彼らの心を純真なものにしているのだろう。だが私は彼らを見て教育の重要性に気がついた。
 
比較的資源が豊富な孤児院に住んでいる子供たちは学校に行く機会があり、私たちと英語で話すこともでき、彼らの未来は比較的明るいように思えた。資源の乏しい孤児院の場合は大きな違いがあり、六歳になろうとしている子供が教育の機会を得られていないため、私たちとは手まね身振りで自分の意志を伝えるしかなかった。
 
●慈済ボランティアは4月にフリータウンの多数の医療機関を訪問し、医療人員不足と狭い病室、病床や医療施設の不足を認識した。

慈善の効果

 
今回私たちは五年来、慈済が支援してきた成果を目にすることができた。特に白米の配付は食料不足を補っただけでなく、支援を受けた住民の生活水準と安全性を高めていた。
 
ドン・ボスコ避難所は虐待を受けた子供や女性が暫く安住する場所で、二〇一七年にフリータウンが水害に襲われた後、慈済が長期支援する社会福祉機構の一つになっている。二〇一七年から翌年にかけて、慈済は約七千袋即ち七万五千四百五十キロの白米を贈った。今回、私たちは食糧援助がもたらした効果を見ることができた。
 
避難所に入ると、去年慈済が贈った米がまだ残っていた。それを見て非常に倹約して使われていることが分かった。そこで暮らす女の子や青年たちは米袋で美しい手提げ袋を作っていた。
 
今年、私たちはドン・ボスコ避難所に一缶七百グラムの五穀粉を九百五十缶届けた。慈済アメリカ総支部の曽慈慧副執行長が、五穀粉は水を加えて飲料にしたり、凍らせてアイスキャンディーにすることができると紹介した。避難所で最も若いのは一歳と三カ月の子供で、母親に五穀粉飲料を粉ミルク代わりにして乳幼児に飲ませることができると教えた。
 
避難所は生活の場と食べ物を提供するだけでなく、子供たちに教育の機会と権利を与えている。かつて収容所の向かいにあったコミュニティーが大火で焼けた時、避難所は備蓄の白米を被災者に分け与え、住居再建にも協力した。
 
避難所の責任者ジヨージ神父(Father Jorge)は、慈済が食糧問題を解決してくれたお陰で、余裕を持って新らたに避難所を設ける計画を進めることができ、より多くの虐待に遭った子供たちを助けることができると言った。また、ジヨージ神父は土砂災害の被災者が住むための「ドン・ボスコ村」を建てている。敷地は三十三エーカーで今年末に完成する予定である。一方で安定した生活ができるよう孤児たちの引き取り先を探している。
 
神父によると、二年前、米が一袋しか残ってなく、四百人の子供がお腹を空かしており、何処から食糧を手に入れることができるだろうかとただ天に向かって祈るしかなかった時、その一秒後にカリタス・フリータウン基金会のピーター神父から電話で慈済が白米を贈ることを告げられた。慈済は天からドン・ボスコ避難所に与えてくれた贈物だとその時深く感謝したとジョージ神父が言った。
 
2019年 慈済シエラレオネ共和国支援計画
・コノート病院( Connaught Hospital)9号病棟18床の修理完了
・五穀粉、白米、文房具、衣類の配付
・環境保全教育
・過去五年間の配付成果の検証と支援方向の査定

彼らには夢がある

 
土砂災害の被害者や孤児たちを住まわせる「ドンボスコ村」の環境は市街地の喧噪から離れて静かで設備は整っているが、住民の衛生上の常識不足で、至る所まだ雑然としている。
 
その村に住んでいる子供たちは学校に行っておらず、食糧の供給も安定していない。子供たちはジヨージ神父と慈済人たちが来ると、とても嬉しそうに駆け寄ってくる。
 
七歳から九歳の子供数人が駆け寄って来て私に抱きつくと話し始めた。食事は一日たったの一食で、世話してくれるおばあさんが食事を作らない時は一日中何も食べないということが分かった。子供たちの両親は土石流で亡くなったが、彼らが一番期待しているのは学校に戻って勉強できることである。
 
たとえ学校に行けなくても美しい夢を持っている。私を囲んで、大きくなったら大統領や弁護士、医者、教師になるのだと興奮して言った。私は「大きくなったらきっと自分の希望通りの人になれるわよ。でも今から善良な人になりましょう。私たちがあなた達を助けているように他人を助けるのよ」と励ました。彼らは「できるよ」と微笑んで頷いた。
 
子供の幼い声は無比の堅い信心を表わしており、彼らがこのことを何時までも覚えていることを願った。
 
●4月、12の医療機関と避難所に五穀粉の栄養食品が届き、福祉人員と子供たちは慈済の長期食糧支援に感謝した。
●児童センターの子供たちは五穀粉の味に好奇心を持った。この食糧支援も彼らの栄養補給になる。

 

愛される子供たち

 
私たちはグラフトン(Grafton)地域のマハナヒム(Mahanahim)孤児院を訪問した。そこは障害児が多く、皆非常に痩せて弱々しかった。院内の設備は粗末で老朽化していると同時に、身体障害児や幼い子供の世話をする人手が不足していた。
 
孤児院管理者のカマラ(Melrose Kamara)女史は、「私は二十九人の子供を世話していますが、大部分が栄養不良です。慈済から贈って下さったお米と五穀粉で子供たちに栄養をつけることができたことにとても感謝しています。外に出て助けを求めることができないところへ、あなた達が来て下さったのです。感謝に堪えません。私は若くないので、誰かがここを引き継いでこの子たちを世話してくれ、教育を受けさせることが最大の望みです」と言った。
 
カマラ女史は、自分はもう若くなく、行動も不自由なため、慈済や協力してくれる団体に孤児たちの世話を任せたいこと、彼らが危機を乗り越え、健やかに成長して欲しいことを語った。
 
セントマリー・ファティマ中間ケアセンターは、慈済と協力しているカリタス・フリータウン基金会のピーター神父が運営している孤児院である。慈済が長期に亘って白米を提供することで孤児たちの食糧問題を解決しているため、センターはお金を貯めて子供の通学用に車を購入し、また野菜や蛋白質の食材も買えるようになったため、子供たちはとても健康状態がよくなった。
 
私たちはその孤児院の子供たちが教育を受け、英語を話し、数字や文字、色、動物などを認識するようになったのを目にした。神父は子供たちととても仲が良く、心から子供たちのために尽くし、皆が常に善念を持つよう指導している。
 
彼は「謙虚」や「感謝」、「愛」、「分かち合い」など、「今週の良い言葉」を教えて、子供たちに毎週、善の念を実践させている。また、彼は募金を集めて図書館を建て、孤児院の子供たちだけでなく地域の人たちにも開放することで、愛を孤児院の外にまで広め、知識で地域社会を照らしている。彼は奉仕が認められ、二〇一九年の最優秀慈善家賞を受賞した。
 
今回、慈済が支援やケアをしている施設を訪れた後、ボランティアチームは一歩踏み込んだ計画を打ち出した。今まで以上に現地の衛生面と住民の健康、子供たちの教育及び食糧補給について改善を模索したいと考えている。今年末には再度、白米と衣類、靴を配付すると共に、衛生教育を行う予定である。
 
●ドン・ボスコ収容センターは主に青少年を収容しているが、浮浪児や虐待を受けた子供たちも含まれている。責任者のジヨージ神父は長期にわたって食糧支援してくれている慈済の人たちが来たことを子供たちに伝えた。
(慈済月刊六三一期より)
NO.274