慈濟傳播人文志業基金會
危険な水の上の情け深い渡し船
「人生の貴さは、人の恩人になることであり、それが生命の価値なのです」。七月初め、證厳法師が高雄に行脚した時、慈済人たちから十年前の台風モラコットの話を聞いて、法師はボランティアたちの見返りを求めない奉仕に感謝すると共に、広い心を持って引き続き衆生に寄り添うよう励まされた。
 
その年の台湾は夏がとても暑く、水不足に苦しんでいた。人々は台風が雨をもたらし、旱魃を解消してくれるよう願っていたが、思いがけず豪雨となって台湾南部に襲いかかり重大な被害をもたらした。防災観念が乏しかった地域は土石流によって壊滅の危機に瀕したが、世界各国から支援の手が差し伸べられた。時を同じくして国内の慈善団体も各方面から緊急支援を行った。
 
風災が過ぎて年月が経つと、当時の被災者はもはやメディアの焦点でなくなり、今まで農務に携わっていた先住民や漢民族は、自分の両手によって新たな農耕開拓と生計を立てなければならなかった。中央研究院の被災後六年間の追跡調査によると、多くの人はもはや自分が「被災者」であるとは思っておらず、努力して生活を軌道に乗せることに取り組んでいた。
 
本期の主題報道に書かれているが、慈済の人文記録ボランティアは風災十周年を前にして現地を訪問し、当時悲しみに暮れて濁流の中を歩いていた住民の今の生活を報道している。現地には慈済ボランティアは多くなく、近隣地域のボランティアが手を携え交代で慈善訪問をしており、この十年間、途絶えたことはない。
 
大武壠平埔族の葉秀霞はモラコット風災の前の年に台風カルマーギ来襲の際、慈済人と知り合っていたことから、風災支援の時には勇敢にボランティアを案内して小林村へ支援物資を届けたのだった。思いもよらず翌年の災害では再会したが、小林村は跡形もなく消えていた。
 
葉秀霞は元々公益を重んじ、被害に遭ってもその心は変わっていない。被災後、彼女は同族の人たちの気落ちを繊細に感じ取り、コミュニティーを立て直そうと、同族の女性たちと一緒に農産物の栽培から販売までを手がけ、アイデア溢れるお菓子類も開発した。それでも農耕している時に遠くで土砂崩れの轟音が聞こえると、やはり怯えを感じていたが、慈済人が訪れてくれると、悩みを話すことができ、それによって前に進む力が湧いてきたそうだ。
 
またこんな話もある。初めはアパレル業者が無償で設備と指導員を提供することにより高雄杉林大愛村で運営されていた裁縫組合は、専任管理者として谷瑞婷が加わってから地域のママたちに呼びかけて「杉林バッグ」というブランドを立ち上げ運営した。知名度が上がるにつれ彼女らは一歩踏み込んで社会的責任を担った。杉林小学校に行って子供達に裁縫を教え、プレゼント用のラッピングをデザインし、販売してその売り上げを卒業旅行の費用にあてた。さらに今年は民間企業と協力して、他の山奥の町や村で裁縫職業訓練を行っている。
 
濁流は無情だが、そこには情のある渡し船がある。被災後の「復興」は「過去の再建」ではなく、未来に向かって信心と勇気を取り戻すことである。受けた傷の痛みは忘れられないが、人々の支援と思いやりで新たに人生を出発することができ、そこには人心を励ます無上の力が宿っている。
(慈済月刊六三三期より)
NO.274