慈濟傳播人文志業基金會
ヨルダンの大砂漠に慈悲のナビゲーション
ヨルダンの大砂漠のあちこちで暮らしている貧苦のベドウィンとシリア難民を探しだせるだろうか?現代人は携帯のGPSを使って道を探す。だがヨルダンの慈済ボランティアは心の中に愛というGPSを備えている。広大な荒れた大地でも迷わず、真っ直ぐ遊牧民キャンプに辿り着ける。苦難の衆生が何処に居ても、彼らは必ずその方向に向かう。
 
辺境は一面果てしない黄砂です。突然空が暗くなったかと思うと、大雨が降り出し、黄砂は泥濘に一変し、泥濘の底はデコボコなため、大雨の中では往々にしてタイヤがパンクするのです。テントはどこまでもぬかるんだ荒野に続き、電気もなく、四月の風雨の中、指がかじかみながら、三十人余りがブリキ小屋の中で勉強していました」。
 
今年の四月二十三日、前文化部長の龍応台女史が個人のフェイスブックに「辺境―ヨルダン手記」を記載し、シリア難民が異国で流浪の苦に陥っていることを彼女はその身に感じた。また難民児童が教育に渇望していることも述べている。彼女はまた「戦争は一年また一年と続き、嬰児を泥濘んだ土地の上で出産し、幼児はテントの中で成長し、少年はわが身の境遇を明白に感じ始め、老人は異郷で涙して亡くなる」と書いている。
 
ある日、龍女史は慈済ヨルダン支部のボランティア・頼花秀の案内で、マフラクの研修センターとフウェイヤのキャンプを訪問した時、この世の苦難と難民支援に投入している慈済ボランティアの姿を見た。「世界でも最も絶望感が漂う荒涼たる黄砂の地で、台湾の慈済ボランティアが子供たちに朝食を出し、僅かな給料を先生たちに出すことで子供たちに教育を受けさせると共に、流浪して七年間テント生活をしている難民のために水や電気を引こうとしている」と書いている。
 
●見渡す限り黄土の大地を前に、陳秋華師兄は散らばって住んでいるシリア難民や遊牧民キャンプの方角を迷わず指すことができる。(撮影・黄筱哲)
 

他郷へ放浪

 
この文章がメディアに掲載された時、ヨルダンでラマダン配付活動に参加した台湾の慈済ボランティアたちは既に準備を整えて再びヨルダンに向かうために待機していた。五月一日から十四日の二週間の配付活動の中で、慈済メンバーが如何にして定期的に貧苦のベドウィンを訪問し、シリア難民の医療と教育上の困難に対処しているかをこの目で見た。
 
ヨルダンには僅か二本の道路が南北を貫通しているだけで、道路以外は一面の荒涼たる砂漠地帯だ。小道はあるものの何の標識もなく、GPS地図には一面の黄土しか表示されない。現代人は道を探す時、紙の地図より携帯のグーグルマップでGPSに頼ってしまう。だがヨルダンの慈済ボランティア陳秋華は愛のGPSを心に備えており、苦難の衆生がいる所なら、広大な砂漠であろうが遊牧民のテントを探し出し、方向に迷うことはない。
 
フウェイヤ村の遊牧民キャンプもこのように住所はなく、広大な砂漠の中に経度と緯度が示す一つの点があるだけだが、八万人のシリア難民を収容するザータリ難民キャンプからは近く、シリア国境からは僅か五・五キロしか離れていない。
五月十二日、ボランティア団体は首都アンマンから出発して三時間半後にフウェイヤ村のキャンプに到着した。そこから北側はシリア国境で、ぐるりと見渡すと地平線の彼方に街のスカイラインがかすかに見える。
 
シリアから逃れてくる難民には二つの選択肢がある。一つは難民キャンプに入ることで、国連及び各国のNGOから衣、食、水、電気、教育、医療資源を受けられるのでそちらを選ぶ人が多いが、要所要所で監視されている。もう一つはフウェイヤ村のマリアン一家のようにヨルダン砂漠を彷徨いながら政府に家賃を払う方法だが、生存の基本的保障はない。ただ最も貴重な自由はある。
 
●フウェイヤ村のマリアン一家が喜んでレンガの家を貸してくれたので、ボランティアは灌仏会を催し、同時に夜間配付を行った。(撮影・王瑾)
 

互いに礼儀を尽くす

 
慈済がヨルダンに慈善の根を深く下ろしてから二十二年、二〇一九年一月二十三日にやっと社会部で立案に成功し、慈済ヨルダン支部は正式に国際非政府組織(INGO)の資格を取得した。毎年五月の第二日曜日は、潅仏会と母の日、世界慈済デーの三節句を祝う日で、今年の五月十二日にヨルダン支部は荒涼たる砂漠のムスリム部落で灌仏会を行い、ムスリムの村人と共にラマダンを過ごした。夜はそこに泊まり、翌朝早く子供たちと一緒に学校に行った。
 
ボランティアが初めて来た時、先ず無邪気な子供たちに囲まれ、次に赤子を抱いた女性たちが取り囲み、珍しそうにボランティアの一挙一動を観察した。フウェイヤ村のキャンプは年配のマリアンが中心になっている。彼女の粛然とした顔には刺青があり、空き地に置いた椅子にじっと座って静かにあたりを見廻していた。
 
マリアンは七十歳で、夫は既に亡くなった。二〇一二年に家族とシリアから逃れて来て難民キャンプに入った。二〇一七年に現在の土地を借りてから新生活を始めた。
 
ヨルダンに来た時は二十世帯だったが、今では二十七世帯に増えている。居住空間はテントから逐次拡大して、レンガと粗いセメントの壁でできた家になったが、窓はあってもガラスがない。家の前には蔓の伸びた葡萄、裏には囲いの中に羊を飼っている。彼らの生活は大変だが、新しく定住地を作り上げつつあることが分かる。
 
アラビア世界では子沢山を良しとする考えがあり、マリアンも七男、四女を育てている。ボランティアが灌仏会の会場を準備していた時、一台の車が入ってきた。農場で働いている息子たちが帰ってきたのだ。彼らが車から降りて真っ先にするのは母親にキスすることだ。
 
ボランティアは潅仏会の準備を済ませた後、陳秋華の自宅で栽培しているバラの花とペットボトルを切って作った「蓮花灯」を瑠璃仏の周りに並べると、荘厳粛然とした雰囲気が醸し出された。潅仏会が始まると家族の年配者が皆の先頭に立って敬虔な祈りを捧げていた。
 

日没に断食を終え斎戒を解く

 
砂漠の奥深くまで行くと、澄みきった空気中には一点の塵埃もなく、青空に白い雲、その素晴らしい景色があり、また日没の絢爛たる夕日は、絵葉書のように美しい。日没後ボランティアは二十七世帯、百四十人以上の村人に夜間配付を始めた。辺り一面真っ暗だったが、幸い慈済から贈られた、五セットのソーラー電灯が高々と掲げられていた上に、車のライトを点けたため、十分明るくなった。
 
こうして初めてヨルダンでの夜間配付が無事に終わった。マリアンの息子、アリが音楽を流すと子供たちが踊り出し、次いで女性たちも加わった。ステップを軽やかな音楽に合わせ、ボランティアたちも直ぐにできるようになった。明かりが邪魔することのない砂漠では、銀河が天空に横たわり、遠くの星まで瞬いていた。郷愁と辛い生活のことを忘れられる最も平和な時間であった。
 
中休みの後、二人の可愛い子供の劇が始まった。アラビア語の劇をボランティアは理解できなかったが、幸いに現地ボランティアがアラビア語を理解していたため、通訳してくれた。「牛乳に水を混ぜてはいけない、人を騙してはいけない、人は正直でなければならない……」
  
心温まる家庭の集いに、先生のような人物が幼い子供に演劇で以て人としての道理を教えていたのだ。その人物はいったい誰だろう?
 
カジャは一九八九生れで、マリアンの末娘だ。二〇一七年から子供たちを学校に行かせ、放課後は補習をした。プレハブ小屋を臨時教室にし、椅子も机もないため、子供たちは地べたに座って課外授業を受けていた。
 
教科書も教材もない状況下で、高校しか卒業していないカジャは自分の記憶と知識で以て子供たちに『コーラン』の朗唱と簡単なアラビア語や基礎算数を教えていた。
 
以前、国連児童基金会は毎月百七十五ディナールをカジャに支援していたが、二〇一八年六月限りで中止になった。生活のために、彼女は兄たちと農場でトマトの採集のアルバイトをして家計を助けなければならないため、子供たちにもっと良い教育を与えることが出来ないのだ。二〇一八年十二月から慈済ヨルダン支部が引き受けることになり、カジャに教師手当の支援を開始した。手当を受け取った彼女が真っ先に考えたのは自分のためではなく、子供たちに机と椅子を買うことだった。彼女の善の心に感動し、ヨルダン支部は彼女の願いを叶えた。
 
カジャは毎朝子供たちに付き添って登校し、十一時四十五分に授業が終わると歩いて家に帰る。子供の勉強に付き添っているうちに、彼女は教師がどのように学生に教えているかを学んだ。陳秋華は、彼女は高卒だが、プロの教師以上だと褒めている。カジャの努力はヨルダン政府も認めており、正式に教師の資格が与えられた。
 
今年の三月、慈済ボランティアは再度フウェイヤ村のキャンプを訪問して、子供たちの登校状況を理解して百五十人分の学習用品並びに本部からの先にLEDが付いたボールペンを贈った。
 
電気のない現地ではこのペンは貴重だ。一人の子供は余分に一本入っていたため、返しにきた。ボランティアが「誰が正直であることを教えたの?」と聞くと「カジャ先生よ」と答えた。難民の生活はこんなにも苦しいが、幼い子供でも正直である姿にボランティアは心を打たれた。
 
●陳秋華がカジャに手渡した大切な贈り物は、夜に使えるようにと静思精舎の徳善師匠から託されたソーラー発電の卓上ランプだった。(写真提供・ヨルダンのラマダン期間に配付活動を行なったチーム)
 

教育は明るい灯

 
「私たちはシリアに四つの大きな農場を持っており、七百世帯の大家族でした。しかし、今は家もなくなり、皆、散り散りになりました」。家の前で皆が歌い踊っている時にカジャがボランティアに言った、「しかし、今晩はヨルダンに来て七年間で一番楽しい夜です」。
 
真っ暗な砂漠では星の輝きが殊更目立つ。この難民家族の遭遇と生存のため、生活のため、教育のために強く活きているのを見て非常に忍びなかった。台湾ボランティアの黄福全は「これが私の国際支援で初めて経験した夜間配付活動です。世帯数は多くなくても、とても心温まります。触れ合う中で彼らの慈済ボランティアへの愛を感じました」と言った。
 
夜も更け、明日は子供たちは登校しなければならない。規律のある集会は十時に終わった。ボランティアはカジャを教室に招き、遠い国からの贈り物を渡した。陳秋華から手渡されたその贈り物はソーラー発電の卓上ランプだった。静思精舎の徳善法師がカジャの愛に感動して自分が使っていたものを贈ったのだ。
 
以前或るシリア難民の父兄が「シリア難民の次世代の未来は完全になくなりました。なぜなら学校に行けなくなったからです。登校出来ない日がどれだけ続くか誰にも予測できません。教育のない次世代は終わりです」と言った。
 
また難民児童には学業の過程で、民族の違いや衛生が悪いために、戦争による種々の精神的な障害が原因となっていじめに遭い、教育を受ける権利がありながら家に籠ってしまう子もいる。
 
シリア難民の児童からすれば、教育は陽光や空気、水のように不可欠であり、明るい未来への希望である。フウェイヤ村キャンプの子供たちは幸いにもカジャ先生が教育に尽力してくれており、次世代が消えることはない。
 
●陽射しの下で約一時間スクールバスを待つフウェイヤ村の子供達。教育という曙光が彼らに希望をもたらしている。(撮影・王瑾)
 
 
ラマダンでの潅仏会式典
 
「ラマダンカリーム」。ラマダンが始まると、陳秋華が毎日この言葉で村人に挨拶するのを耳にする。ラマダンとは斎戒月でカリームは祝福という意味である。この月モスリムは戒律を守り、日の出から日没まで飲食を禁止する。斎戒の過程を通じて、自律と自省をして全ての人がより思いやりと寛大になることを期待する。
 
慈済ボランティアは如何にして慈済精神をイスラム国土に持ち込むことができるだろうか?法師は「人は創造された肌の色、国籍、宗教を超越して、心中にただ一つ『愛』だけを残せば良い」と言われた。一九九七年、慈済はヨルダンで慈善活動を始め、現地の貧民と中東難民に関心を寄せ、その中でも医療支援ケースが千例余りになっている。今年のラマダンではボランティアが十四日間にヨルダン国境を隈なく歩いて二千世帯余り、一万余人に恩恵を与えた。
 
愛を極限まで発揮させれば、慈済精神を伝えることができ、今日、民族や宗教を超えることで、仏教徒がモスリムのキャンプで潅仏会の式典を行うことができたのである。モスリムと仏教徒は共に開斎し、一緒に菜食を享受した。
 
潅仏会の式典で行われる「仏足を拝む 」、「花の香りを受ける」それぞれの儀式用語の意味は、内心の無明と塵埃が清められることを願ったものである。イスラム教であれ、仏教であれ、規則や戒律、名称は異なっていても、宗教の含意を深く探求すると、人類が清浄無垢の本性に回帰し、広い心で愛を他人と分かち合うよう呼びかけていることは同じである。
(慈済月刊六三三期より)
NO.275