慈濟傳播人文志業基金會
愛の奉仕に愛を知る
行って見て、実際に投入してこそ、苦の中にある本当の苦を知り、
 
福の中にあっても福を知らずにいたことに気がつくものである。
 
菩薩道とは自分の足によって歩き出すことであり、      
 
身を以て奉仕に励めば、さらに心の内に愛の法悦が満ちる!
 
 
毎年中秋節の良き日は、慈済にとっても喜ばしい日なのです。今年は九月中旬に世界慈済人医会の年次総会が花蓮で開かれ、二十四の国と地域から五百人のメンバーが一同に集まりました。台湾の慈済人は、たとえ見知らぬ相手であっても慈済大家族の一員として真心こめて出迎えました。天上の月は丸く、地上の大家族も丸く大きく集まり団らんのひと時を楽しみました。
 
中秋節に愛でるのは天上の月だけではありません。皆の心にある同じの月を愛でているのです。天上の月は時には雲に遮られますが、人々の心の中にある月は永遠に明るく澄み切っていなければなりません。修行とは外に向かって求めるのではなく、心の内の煩悩、無明を取り除き、心の内にある月を工夫して磨き、一点の曇りのない鏡になるまで磨きあげなければなりません。この大円鏡は静寂にして清く、何の妨げも受けず何ものにも染まらないので世の中のすべてを見通すことができます。
 
凡人の見ている月は一年にたった一度の中秋名月だけですが、実のところ愛でるべき心の月は時時刻刻と存在しているのです。人には元々真如の本性が備わっているのですから、心が清らかであれば、近くや遠くの誰彼と分け隔てることなく、虚空に心の月が上り、至る所を照らすことができましょう。
 
今年の世界慈済人医会年次総会では、四百人以上の台湾ボランティアがすべての仕事を受け負い、遠くから来られた会員を丁重にもてなしていました。それだけでなく五大大陸から来たメンバーが参加するすべての講義を七カ国語に翻訳していました。その四日間は医療の交流だけでなく、お互いの愛を温め、また各国の慈済人医会メンバーや慈済ボランティアが居住地における奉仕状況を紹介し合い、貧苦の人々に寄り添う愛の力を結集させました。
 
参加した医師たちは時間と仕事を犠牲にした上、自費で施療に赴いているのです。医療機具や薬品を携え、様々な道を苦労して移動してやっと目的地に着きます。そして施療を行った地域が医療に立ち後れている場合は、持って行った医療機具を当地の医療関係者にすべて残していきました。
 
皆この世に苦難の多いことを悟ることで自ら進んで人助けを申し出るようになります。志を一つにして共に歩み、謙虚に奉仕する気持ちが必要なのです。
 
 
モザンビークの中央病院シポラ副院長は、年次総会の要請を受けて参加し、サイクロン・イダイ風災で台湾から多くの医療スタッフが施療と支援にきてくれたことに感謝を述べました。副院長によると、中央病院は国立とは言え、四つの省における後送先であり、平均一人の医師が八千人の患者を受け持っていて、常に医、薬、設備が欠乏しているところを風災に襲われ、病院の建築物、特に重要な手術室が破壊されたため、テントを張って患者の手術をしていたのだそうです。
 
どこの国でも医療水準は異なり、全てを満たすことは難しくても、モザンビークの医療環境がこれほど厳しいとは誰も想像していませんでした。南アフリカの温聖釣医師は年会の中でこう語りました。当初慈済がモザンビークの被災地に支援を呼びかけていると聞いた時、それほど高い航空券を買って支援に行くより、そのお金を直接支援に回した方がよいと思っていたところ、現地へ行って自らそれを見て来てはどうかという勧めがあり、それを聞き入れたそうです。
 
モザンビークの災害地域で彼が目にしたのは、南アフリカよりも見るに堪えない苦しい生活でした。また住民と慈済ボランティアの親しい様子や、慈済人がしゃがむと喜んで駆け寄ってきた子供たちをごく自然に抱き上げていた微笑ましい光景でした。子供たちと患者の笑顔はお金では買えないものだと、彼は実感したのでした。
 
子供たちは言い尽くせない苦難の中ですべてを失ってもこのように天真爛漫に微笑むことができるのだと知って、彼は愕然としました。歩いて自分の目で見て実際に投入して分かったことは、福の中にありながら自分の幸せを知らなかったことでした。苦を見て福を知ったならば、その縁を逃さず、さらに福を造ることです。
 
布施奉仕することで法悦が得られるということを口で言っても体得することはできません。機会を逃さず体で以て務め励めば喜びが得られるのです。「経者、道也。道者、路也(仏法は道也。歩む道也)」といつも言うように、菩薩道は我々の足元にあり、その路を歩くことによってこそ、路の風景をよく理解することが出来、菩薩の心が啓発されるのです。そもそもこれが仏陀のおっしゃった法なのです。
 
菩薩は事実この世に存在します。「衆生が苦から離れることのみを求め、自分の安楽を求めず」といわれるように、愛の奉仕はさらに内心の愛を感じさせます。生命の価値は日々行く先々にあるため、命ある一分一秒を無駄にしてはなりません。皆さんの精進を願っています。
(慈済月刊六三五期より)
NO.275