慈濟傳播人文志業基金會
他と違う「ポテンシャル太鼓」
若者が若者を教え、親孝行を訴える手話劇を演じる。太鼓チームは青春を打ち鳴らし、観客席では感動が続いた。善意を導き出すのは容易ではないが、限りない潜在力を引き出すことができた。
 
二〇一八年、慈済の七月吉祥月活動は大愛テレビ開局二十周年記念と共に、北部、中部、南部の各地で手話音楽劇『父母恩重難報経』と「人生を彩る絵筆」が演じられた。台中の場合は台北や高雄と異なり、三日間、二つの会場で同時に公演され、合計十六回演じられた。
 
舞台では背中に「POTENTIAL」と印刷された黒一色のTシャツを着た大勢の若者が「ポテンシャル太鼓で親孝行」という題の下に、若者が若者を率いて親孝行の道を「太鼓」で表現した。
 
●2018年8月18日、若者メンバーが中心の台中太鼓チームが七月吉祥月祝福会で荘厳且つ活力にみなぎった演奏を披露した。(撮影・周士龍)
 
「ポテンシャル太鼓で親孝行」という題名とそれに関連したものは黄雋勛の発想と設計によるものである。彼は大学でコントラバスをメジャーにし、抜群のスタイルとイケメンは才能溢れる芸術家の気質を備えている。巡回公演の時、父親の黄逸樵は二胡、端正な顔立ちの母親、の陳美君は琵琶を弾き、小柄だが聡明な双眸を持つ妹の黄榆真はピアノを担当し、その演奏は素晴らしかった。そして、特に舞台では黄雋勛が手に握っていたコントラバスが人の目をひいた。
 
中国と西洋の楽器で構成された「黄」家カルテットは愛の協奏曲を奏でた。両親も妹も認証を受けた慈済ボランティアだが、黄雋勛だけは独り家族と違って活発な性格だった。
 
違ってはいても、彼は黄家カルテットにはなくてはならない存在であり、毎年旧暦の除夜のパーティーでは黄逸樵は必ず一家全員を花蓮の静思精舎に引っ張って行く。そして、精神の故郷で年を越す慈済人たちのために演奏し、それが終わってから法師に新年の挨拶をする。その時、黄雋勛はいつも側で静かにしている。
 
二〇一四年に精舎で演奏した時、法師の目が黄雋勛に止まり、「認証を受ける気はあるのですか?」と軽く言った。彼は心の中では割り切れていなかったが、その場の空気から勇気を出して「はい!」と答えてしまった。
 
花蓮から台中に戻る途上、黄逸樵は目の前の出来事を引き合いに出して説得し、最後に彼らの期待を言った、「雋勛、養成講座の申込書をもらってくるから、私たちの希望を聞いてくれ」。
 
心の中で矛盾と反抗心がなかったと言えば嘘になると黄雋勛が言った。しかしそれが自分に害をもたらすわけではないと気づいた。とりあえず試してみようと思い、ボランティアの養成講座に参加した。
 

分かれば道は開かれる

 
黄雋勛は慈済が良い団体だということを知らないわけではなく、高校生の時から日常生活の中にはいつも大愛テレビの番組が流れていたが、母親が他のことに気を取られている時はリモコンで自分の好きな番組に切り替えていた。それでも知らない間に法師のお諭しの言葉が耳に入り、感動を覚えていた。彼もこの世に不公平なことがいっぱい存在することは知っており、できる人がその人たちを助けることが本当に必要だと感じていた。因果観に対しても彼は次第に自分の考えを持つようになり、何事もそれなりの論理と法則があることが分かってきた。
 
黄雋勛は、能力のある人は直ぐにでも奉仕すべきであり、それをネットに載せる必要があると思っている。彼はどうやって足跡を残すべきかを考えた。一般大衆が慈済のことを理解していないのは慈済人がいつも「善行は他人に知られなくてもよい」という考えを持っているからではないのだろうかと思いついた。それだったら、逆に「善行を人に知ってもらう」ようにしたらどうだろう?
 
彼が言いたいのは、情報が氾濫しているのに、真実が報道されていない時代で、大衆は慈済が黙々と善行していることを知らない。慈済の外にいる人間によって見聞きしたことを演じることで、自分の周りから次第に慈済に対する見方を変え、いつか誰もが善悪の判断ができるようになるのではないかと思っている。
 
一期目の養成講座を終え、黄雋勛は続けて慈誠(男性の慈済委員)になる養成講座に参加した。「僕の目標は至って簡単で、周りの人に慈済は非常に良い団体であることを知ってもらいたいだけです。他人の見方を変えたいだけでなく、慈済の五十周年に認証を受けるのも違った意味でカッコいいと思います」。
 
彼は二〇一六年に認証を受け、「今回の選択は間違っていませんでした。この二年の間に得たことは、『やったことのない事をするのが成長』であり、今回の『苦を見て福を知る旅』は僕の音楽表現を豊かにしてくれました」。彼は胸を張って言うことはしないが、同じユニフォームを着て、要請された時に皆と一緒に奉仕するだけである。
 
●呉錡峯(後列右から1人目)は経典劇を演じる過程で、高校生の時に言うことを聞かず、両親が悲しんでいたことを知らなかったと懺悔した。今はボランティアの仕事に責任を持って臨み、同じ志を持った人たちと共に善に向かって進んでいる。(撮影・翁旭昇)

経文を理解してから太鼓を打つ

 
二〇一七年、慈済の実業家ボランティアたちは「世界に大愛を・この世に心の蓮が満ちる」と題した祝福コンサートを催し、苦難に喘ぐ人たちのために愛の心を募った。ボランティア団体の呼びかけで数多くの若者が呼応し、黄雋勛も太鼓を打つことで愛を伝えた。しかし、コンサートが終わると中部地区の四十人の太鼓手が一人、二人とチームを離れて行くのを見ているしかなかった。
 
その時、新たな任務が出現した。ずっと北部、中部、南部の若い太鼓手を指導してきたボランティアの呂慈悅は彼らに一つの目標を与えた。二〇一八年の音楽手話劇、『父母恩重難報経』である。「経典を演じる前にその内容を理解する必要があるため、読書会を開かなければいけません」と彼女が言った。
 
台中の青年太鼓チームの主要人員は呂媛菁、黄榆真、黄雋勛、沈怡潔、洪嘉澤、楊佳真らで、二代目慈済人である。幼い頃から慈済に触れ、直ぐに慈済人文精神に融けこむことができた。しかし、彼らは今時の若者の嗜好に合わせないと、もっと多くの若者に来てもらうのは容易ではないことを知っていた。
 
黄雋勛と妹の黄榆真も同じように感じていた、「読書会を開くだけでは誰も来ないし、読書と聞いただけでサンキュー、また、連絡するよ、と言うでしょう。それは連絡してくれなくてもいいという意味です」。「それなら若者の集まりをやろうじゃないか」という暗黙の了解がチームの中にでき上がった。
 
北、中、南部の鼓手は皆、自分たちのスローガンがなければ、若者は参加しないと感じていた。ある日、台中チームが台北チームのE時代に相応しい「彗星が脳みそを突き破る」という斬新な題名を見て、自分たちも「中部地区に相応しい名前をつけよう」と提案し、『ポテンシャル太鼓で親孝行』、Potentialにしよう!」となった。
 
「ポテンシャル太鼓、Potentialは親孝行効果抜群!これはいい。深い意味があって、台中太鼓チームの潜在力は果てしないことを表している。きっと同じ志を持った若者が集まってくる」と全員一致で賛成した。
 
ポテンシャルチームは木彫りやお菓子作り、手芸品作りなど様々なことを共有する。『父母恩重難報経』の手話劇では動作で表すことが多いため、黄雋勛は音楽界の仲間に呼びかけて人文コンサートチームを結成し、音楽で以って喜怒哀楽を表してもらうことにした。
 
集会場所は様々で、誰かの家であったり、絵画展の鑑賞や郊外へピクニックに行ったりする活発で趣のある活動であっても、人文から離れることはない。
 
●台中太鼓チームは2018年の八二三熱帯低気圧水害の後、台南の被災地で民家の清掃を手伝った。(撮影・簡明安)

若者がいた

 
慈済家族には「老人グループ」に参加しようとしない二代目が少なからずおり、おじさんやおばさんとは話が合わないと思っていた。しかし、親の説得の末に一回来てみると、本当に親の言うように若者も居ることを発見した人もいる。若者同士なら会話が弾んで参加する気にもなり、やがてチームメンバーは増えていった。
 
公演する二週間前、殆ど毎晩リハーサルしたり手話の練習をした。その時になっても新たに若者が参加し、年齢も様々だった。大学を卒業した者から中学生もおり、一番若いのは十三歳だが、皆あまり落ち着きがなかった。この若者たちに何時間も手話の練習に専念させ、繰り返しリハーサルさせることがチームの一大挑戦だった。
 
企画を担当した黄榆真は、慈済のことを知らず、落ち着きのないこの若者たちにこの経典劇を演じる重要性を分からせ、慈済人文を尊重させる方法を模索して加減しながらやっていくことを学んだ。
 
「今の子供たちは意思の疎通方法が私たちの時代とは大きく違っています。どうやってそれが真面目な活動であることを分からせ、それでいてプレッシャーを掛けないようにするかです。彼らを愛する一方で尻込みさせたり面白くないと思わせてはならないのです」と黄榆真が言った。
 
前もって周到に計画を立てたりリハーサルしなければ、きっと問題が起きることを彼女は知っている。因縁観が必要で、良縁がなければ成就しない。「職場ではいつも戦々恐々としていて、間違いは許されません。しかし、ボランティア団体では誰もが同じ目標に向かって、身も心も奉仕し、汗と涙を流して社会を利する大きな仕事を達成させるのです。職場とは違うのです。皆が集まった縁を大切にして最高に打ち解けた状況を作り出さなければなりません」。
 
●「ポテンシャル太鼓で親孝行」の若者たちは積極的に慈済のボランティアをするだけでなく、社会を正しい方向に導こうと考えている。チーム名を付けた黄雋勛(1列目右から3番目)は、自分が湧き出る泉となって周りに異なった空気をもたらしたい、と言った。(撮影・許舒婷)

一緒になって感動した

 
「子過」の一幕を演じた二十六歳の劉岳翰は「この内容は自分と父の関係を演じているようで、父に対する怒りがここで解き放たれました」と言った。
 
両親が離婚して家族と離れ離れになり、祖父母に育てられ、内心の不満と思春期の反抗が相乗効果となって彼は堕落する瀬戸際まで行ったが、母親が温かく彼を支え、悪への曲がり角で徘徊する息子を引き戻してくれたため、タバコも悪友とも縁を切ることができた。
 
二〇一八年五月、彼が母の日に用意したプレゼントは、母が参加して欲しいと願った、『父母恩重難報経』の手話劇に出ることだった。チームへの参加者が数人に始まって十数人へと増えていった。皆が一つの事を同じ目標に向かって進み、初めて手話を習い出してから習得するまでになり、劉岳翰自身も感動した、「今回、汗と涙を流して歩んできたことは大切な記憶になるはずです」。
 
公演が成功裏に終わって一つの目標が達成され、「これは新たなマイルストーンの始まりです」と劉岳翰が言った。ポテンシャル太鼓チームの若者たちには永遠に善の力を伝えていくという目標がある。彼はメンバーを集め、刑務所で服役している若者と一緒に「報恩」の手話劇を演じたり、台南の水害に苦しむ民家の清掃手伝いや「朝山」(注)活動に参加した。「より多くの若者に善の団体に触れるよう呼びかけ、彼らに精神訓練の機会を与え、経験のないことを勇敢に体験してもらえれば、ちょっと変わった若者になれるのです」と彼が言った。
(注)朝山拝礼、三歩毎に五体投地する礼拝方式。
 
「ポテンシャル太鼓で親孝行」を思いついた黄雋勛は「ポテンシャル太鼓」をこう定義した:「困難だと分かっていることに敢えて挑戦し、皆で潜在力を使って自分を表現する」ことである。正しい人と共に行動すれば、困難な事に出会っても互いに支え合うことができ、任務を達成させて清々しい気持ちになれる空気がチームに流れるのは、正にポテンシャル太鼓が成長している証である。
(慈済月刊六二八期より)
NO.275