慈濟傳播人文志業基金會
あの年を忘れるなかれ
真夏は台風の季節で、先月の初めにも強い台風11号が発生した。台湾に上陸はしなかったものの、その後の気圧配置で豪雨が中南部にもたらされ、多くの場所が冠水した様子は記憶に新しい。それはまた十年前の台風モラコットがもたらした被害を思い起こさせた。八八水害と銘打たれ、人々の痛ましい記憶は未だに拭い去られていない。
 
この島に生活している人々は万一に備えることを考えなければならない。二○○五年に世界銀行が発表した「天災の危険箇所:グローバルなリスク分析」という資料によると、台湾の災害危険度は世界でも相当高いとされている。国際災害データベース(EMーDAT緊急事態データベース)の一九九〇から今までの統計によると、台湾の災害による犠牲者数は少なくなっているが、災害発生回数の増加に伴い影響を受ける人数は却って増えている。
 
気候の変化は予測出来ず、現在の地球環境において人類活動に起因して引き起こされる可能性のある災害はコントロールし難い。私たちは一歩進んで考えるべきだ。人は如何にして環境と共に生きるべきか?もし日常の秩序が災害によって壊された時、人々は如何にこの不調と向き合えばよいのか分からなくなるものだが、お互いに助け合うことによって力強く乗り越えていけるのではないだろうか?
 
二十年前の九二一震災を例にとると、證厳法師はボランティアに「善念が芽生えた当初に戻る」ことを訴えた。法師は今年の六月から七月にかけての行脚で、その大地震に関するボランティアの回顧話に耳を傾けた。当時の慈済ボランティア達の忘れ得ない人生の意味を見いだそうと、まるで初めて聞くことように集中していた。「あの年を忘れるなかれ、あの人を忘れるなかれ、あの一念を忘れるなかれ」。
 
法師はしばしば口にしている。九二一震災は世紀の大災害だったが、その支援の様子は、『法華経』の「従地涌出品」に述べているように、十方から善の心が馳せ参じ、菩薩が地から湧き出た光景を思わせた。この時台湾は愛と善に満ちた寶の島だと分かった。
 
本期の主題で報道しているが、当時、多くの重大被災地域は元々社会資源の比較的欠乏していた地域で、弱者家庭の人々も多く住んでいたため、復旧は相当な困難に直面してしまった。しかし幸いに、慈済の支援建設「希望工程」が安定した教育を支え、延続させることができた。時の移り変りの激しい中で、多くの教師が学生の人生を大きく方向転換させるための重要な役割を担った。
 
例えば国姓中学校には人目を引く「黒ダイヤプロジェクト」という。専門のコーヒー焙煎と芸術性に関する課程があり、生徒が故郷の産物に目を向け、自我の価値を高めることを目標としている。子供を正しく育成することが、家庭と地域の発展に繫がると教師たちは堅く信じている。
 
九二一震災当時、慈済が迅速に緊急支援を行うことが出来た背景には、地域単位で組織された防護ネットワークが既にできていたことが挙げられる。その後、支援のニーズに伴い、次々に「慈悲の科学技術」で災害支援装備及び物資の研究開発が行われた。また政府機構と共同研究を行い、ドローンで得た調査資料によって、緻密に計画を立ててから行動できるようになった。
 
今年の五月から、慈済は高雄国立科学技術博物館、国家地震工程研究センターと中央気象庁とが共同で防災教育展を開催している。世を震撼させた災害が世に対する警告となることを願いつつ、やかましい社会に埋もれて忘れられないよう、我々は次の世代に残していかなければならない。あの年を忘れてはならないと。
(慈済月刊六三四期より)
NO.275