慈濟傳播人文志業基金會
生命を使って道を切り開き、慧命を用いて導こう
一歩踏み出してこの世に幸福をもたらし、
もう片方の足で智慧を開くのは、
福と慧を同時に修めることであり、
分秒に亘って価値を創造することなのである。
 
 
今年の海外養成委員及び慈誠精神研修会は、花蓮静思堂と板橋分会に二回に分かれて行われました。三十三の国と地域の慈済人が台湾で集まって精進し、歳末祝福会にも参加し、千六十四人が認証を受けました。心の故郷の温かさと法縁者の親しみを感じ取ったと思います。また研修会の各世話チームが帰ってきた海外のボランティアに心を込めて準備して出迎え、異なる文化習慣の人達に合った飲食を用意するなど、心配のないようにしていたことに感謝していると思います。
 
十一月上旬に板橋で行われた研修会では、神父と修道女も参加し、長年、見返りを求めず衆生に奉仕してきたことに感謝すると共に感服していました。ハイチのルイジ神父は大きく発心して最も貧しい地域で苦難の人達と共にあり、二万人余りの貧しい子供たちの世話をしてきました。慈済には願があります。しかし願力があっても人力がなければ何事もできません。縁があって神父と一緒に人助けができることに感謝します。アメリカの陳思晟居士はこの数年、何十回もハイチとの間を行き来し、長距離飛行の苦労と大きな生活の違いに甘んじて耐え、長期間、関心を持って寄り添っています。
 
愛は最も温かくて感動的なもので、彼らが人間に分け入って必要とされることをやり、人々の心の拠りどころになっているのを私は羨ましく思います。
 
異なる国の慈済人は異なる宗教を信仰していますが、お互いに尊重、敬愛、感謝し合っています。この「愛」には国境はなく、何物にも染まらず清浄であり、区別もなく同一方向に向かって、結集して世間の人々を愛しています。
 
研修会では、異なる国々のボランティアがそれぞれの言語を話すため、何度か通訳を介さなくてはなりませんが、真の言語は「心」であり、私たちは同じ心を持っているのです。肌の色は違っても同じ道を歩んでおり、それが「菩薩の道」なのです。それも小道ではなく大道であり、小愛からあまねく世に大愛を広めるのは困難なことではなく、私たちはそれをやり遂げているのです!
 
普段、モザンビークの現地菩薩たちは「慈済の家」の砂や小石の混ざった地面に座って修行していますが、彼らは行儀正しく、その尊重の気持ちで道場を清らかにしています。今年モザンビークはサイクロン・イダイで被害を受けましたが、彼らは首都から千キロ離れたベイラの被災地に支援に行き、人々の愛を啓発し、絶えず福を創ることを願いました。
 
 
愛の心に満ちたボランティアたちはまた、人々がさらに彼らに力を与え励まし、一滴の水でもって、アフリカが変わることを願っているのです。物資と彼らの人力でもって多くの人を助けることができると信じています。
 
ボランティアたちの話を聞いて、大変感動すると同時に心が痛みました。トルコから来たシリヤ人ボランティアはこう言いました。以前何事もなく平穏無事な生活を過ごしていましたが、内戦が勃発しました。少なからぬ人達は目の前で家族が残酷な虐待をうけるのを目の当たりにしました。彼の妻と娘もそれを見て心に陰影が焼き付いたため、故郷を離れてトルコに逃れてきたのです。
 
そこまで話すと、彼は感情が高ぶりました。私は彼に、過去のことは悪夢ですが、悪夢からも目が覚めますよ、と言いました。無数の愛が彼を温かく包み込み、彼の心にある仇や怨みを放下して、眼前の家族を守り、今日という日を無駄にしなければ未来があり、幸せが代々に亘って伝わっていくことを願っています。
 
人心の不調や少数の人の衝突で、想像を絶する人災がひきおこされます。この数年来、トルコとヨルダンの慈済人が、私に代わって、シリヤ難民に関心を寄せてケアしてくれていることに感謝します。
 
苦難の衆生は言い尽くしがたい苦しみを抱えています。ですから菩薩たちは終りのない道を歩き、お互い手をたずさえ、絶えず人心の愛を啓発しなければなりません。時間はとても貴重なものですから、私は絶えず自分を励まし、毎日が生命の価値を有し、一分一秒も無駄にしないようにしてきました。歳末祝福会に出かけられるよう、私は精一杯努力してきました。歩く時はふらつきますが、一歩一歩踏み出すようにしています。片足を踏み出すことが福であり、誰もが福を創り、もう片方の足を踏み出すのが智慧であり、皆の智慧が啓発されることを願っています。一歩一歩着実に精進し、日々福と智慧を同時に修めるよう、皆さんのさらなる精進を願っています!
(慈済月刊六三七期より)
NO.277