慈濟傳播人文志業基金會
日本で一番無駄のない町
徳島県上勝町のごみゼロ革命
 
 
 
上勝町はその面積の八十八・三%を森林が占め、住民の二人に一人は六十五歳以上である。野焼きと焼却炉でごみを処理してきたこの町の住民は今、「自らの手」で四十五種類に分別しリサイクルを進めている。どう焼却するかから、ごみと見なさないことで解決するに至り、リサイクル率は八十%にまで達した。それは一体どのようにして実現できたのか?
 
あなたはごみを何種類に分けているだろうか?五種類に分けているとしたら、台湾ではかなり優秀だといえる。日本の徳島県上勝町の家庭では、少なくて七種類、多い人は二十八種類に分けているのだという。
 
上勝町は徳島市の市街地から車で約一時間半の場所にあり、その面積の八十八・三%を森林が占め、千五百人あまりが海抜百から八百メートルの間に五十五の集落に分かれて暮らしている。人口流出はもとより、高齢化はすでに五十二・一六%にまで進み、二人に一人は六十五歳以上だ。
 
この農業主体で高齢化が進んだ片田舎の小さな町が、毎年二千人近くの来訪者を惹き付けている。その三割は海外からの訪問客だ。彼らは「日本で一番美しい村」と謳われる風景を見に来るのではなく、「日本棚田百選」に選ばれた樫原棚田が目的でもない。上勝町「ゼロ・ウェイスト運動」の取組みを見取りたいのだ。
 
 
●町民は自らごみステーションへ出向き(写真左上)、分類ごとに分ける(写真下)。ごみステーションの清原管理主任(写真右上)が中心となって町民に分類の知識を教え、楽しんでもらっている。
 
上勝町の「ゼロ・ウェイスト運動」は一体どこがすごいのか?次の三つのデータを見てほしい。
 
一、二○○三年、日本の地方自治体で初めて「ごみをゼロにする」ことを発表し、二○二○年までにその目標を達成すると宣言した。(現在、この宣言を採択しているのは日本では四つの市町村、世界ではオーストラリアのキャンベラ市、アメリカのサンフランシスコなど百あまりの都市である)
 
二、二○一六年、リサイクル率は八十一%に達し、それからの五年間、日本の人口十万人未満の都市における資源回収率では三位以内に数えられた。(日本全体のリサイクル率は平均二十・二%)
 
三、一人当たりが出す一日のごみの量は全国平均の半分で、ゴミ処理費用は三分の二である。
 
以前はここでも野焼きと焼却炉でごみを処理していたが、今はもう行われていない。自分の責任でごみを処理することを決めてからは、ごみステーションに持ち込んで、四十五種類の資源に分けてリサイクルしている。「何でも焼却する」から「ごみとして扱わない」よう考えを変え、二十年間たゆまず努力を続けたことで、「ごみゼロの町」上勝町の名は近隣から遠く世界中にまで知られることとなった。

創意工夫に満ちたゴミステーション

私たちはその日、上勝町で唯一のごみステーションを訪れ、信じがたい四十五種類の分別を目の当たりにした。トタン屋根をいだく開放的な空間は、紙類、プラスチック類、金属、ガラス瓶と大きく四つの区画に分けられている。紙類だけで九種類あり、壁一面を占めている。次いで多いのがプラスチック類で六種類だ。電池、電球、衣類、家具等の生活ごみもそれぞれの場所がある。普通なら焼却か埋め立てで処理される一般ごみは、専用の袋に詰められて別の一角に置かれてある。
 
生ごみはというと、ここには登場しない。各家庭で処理しているからだ。ごみの三割は生ゴミなので、上勝町が補助金を出し、各家庭が自費で一万円(台湾ドルで約二千九百元)を負担することで電動生ごみ処理機を購入してもらったのだ。生成された堆肥は直接田畑に使用するか、またはごみステーションに持ち込めば必要な人に分けることができる。
 
丁度その時一人の女性が現れた。ごみ袋を二つ持ち込んで立ち止まり、一升瓶をどうしたらいいのか迷っていると、ごみステーション管理主任の清原一幸さんが近寄ってきた。女性が「この瓶は半透明ですが、口は透明なのでどこに入れたらいいか分からないのです」と尋ねると、清原さんは、「瓶の口で判断すればいいです。これは透明な部類ですね」。女性は頷いてその場を離れた。
 
上勝町町役場は二○○五年からごみステーションの運営管理とごみゼロ推進の広報活動をNPO法人「ゼロウェイストアカデミー」に委託している。五年前この町に移り住んだ第四期理事長の板野晶さんの話しでは、「ここを訪れる人からよく聞かれるのは、どうやって人々の意識を変えることができたのかということですが、それは簡単ではありませんでした。魔法などあり得ませんよ」。
 
町民の意識を一日にして高める魔法など存在しない。いろいろやってみながら経験を積み重ねるしかなかったそうだ。ごみステーションにしても、単なるごみ置き場として分類かごをたくさん置けば良いのではなく、その運営に工夫がこらされている。
 
まず表示を分かりやすく、情報を込めることにしたそうだ。分類ボックスごとの表示には、その素材がその後どこでどう再資源化されるのか、その過程でかかる費用といくらで売れるかが書いてある。
 
「『最後はやっぱり焼却するしかないだろう』と思われたままでは徹底できなかったのです」と板野さんは言う。
 
次に、ポイントを貯めると商品と交換できるようにして町民の参加を促した。多くの紙類は販売可能なものだったが、一般ゴミとして処理され、しかも焼却の三分の一を占めていたので、ゼロ・ウェイストアカデミーは「雑紙ポイントキャンペーン」を提案し、ごみから救い出したのだった。その後、紙類だけでなく歯ブラシ、洗剤の詰め替えパック等企業が自主回収する物にも対象を広げ、昨年は「ポリ袋拒否」もポイントに追加した。
 
  ごみステーション大公開
2020年までにごみゼロを宣言した上勝町唯一のごみステーションでは45種類の分別回収が行われている。この細かい分別が回収業者の注目を集めているのだ。ステーション内には分別について分かりやすい表示が溢れている。正月3日間の休みを除いて、通年午前7時から午後2時まで開いており、いつでもスタッフに尋ねることができる。
 
●プラスチック類だけでもペットボトル、白の発泡スチロールトレー、きれいなプラスチック製包装容器、その他のプラスチック製包装容器、瓶のふた、発泡スチロール緩衝材の6種類に分けられる
 
●各回収かごには説明がある(上)。図で種類が表示されており、その後どこに送られてどのように処理されるのか、その過程でかかるコスト(出)と売却価格(入)まで書かれている(左)。例えばガラス瓶は瓶の口の色によって分けるなど、分別方法についても詳しく説明されている
●亜鉛缶や高圧ガスが入った缶を回収する時、蓋を取る必要があり、材質に従って分類する。
 
  
●お菓子の紙箱、コピー紙等のシュレッダー紙屑は紙袋にいれる(左)。
●町民がこれらの古紙を一般ゴミに入れないよう、ポイント制にして日用品と交換することができるようにした(右)。

●紙製容器は洗浄して乾かした後、平らにする必要がある(写真左)。ラップとトイレットペーパーの芯は処理が異なるため、分けて置く(写真右)。

●廃棄食用油、ライター、カッター、ボールペンなど分解が難しいものはそれぞれ専用の場所を設けている。

●焼却ゴミ。使用済ティッシュ、吸い殻、靴は専用かご(左)に入れるか自費で購入した専用のゴミ袋(右)に入れる。

上勝町はゼロ・ウェイスト運動を二十年以上も続けてきたが、最も重要な要素は「人」である。自分でゴミを持ち込んで分別する住民、そしてごみステーションに常駐するスタッフの存在である。

上勝町では未だかつてごみ収集車を見かけたことがない。だから住民は自分でごみを持ち込んでいる。一番遠い人は車で四十分もかかるので、外出する時についでに寄っていくのだという。もし車がなかったり、運転できない場合は、町役場が二カ月に一度取りに来てくれる。
 
ごみステーションはごみを置く場所であるだけでなく、教育の場としても重要な役割を果たしている。毎日午前七時半から午後二時まで住民に開放され、二名のスタッフが現場にいるので、いつでも尋ねることができる。実際分別を始めてから現在までに、商品の包装がめまぐるしく変わり、分別が難しい素材は尽きない。または間違って一般ごみに入れることもあり、随時喚起する人が必要である。
 
そのためスタッフのコミュニケーション能力がことさら大きな役割を担う。そこに勤務して八年になる清原一幸さんは、相手に合わせて対応を変え、すべての人に同じ要求の仕方をしないようにしているのだそうだ。「親しくなると、年輩の方でも敬語を使わない時もあります!」彼は笑ってそう言った。
 
  
●独特の発想で廃棄物を減らす
ゼロウェイスト協会の板野理事長は5年前に会社を辞め、大学の同級生の故郷であるこの町に来て、興味を持っていた環境保護の世界へ飛び込んだ(写真上の左)。協会が経営する「くるくるショップ」では呼びかけに応じた年長者が古い鯉のぼりや和服を服やマスコット、ふくさ等にリメイクしている(写真下、写真上の中と右)。

「すべて焼却」から「細かく分別」へ

「それまでごみは全部焼いていました。分けなくてもよかったのです」。上勝町で生まれ育った七十一歳の片山初枝さんはこう回想する。今ごみステーションが建てられている場所が以前は野焼きの場所だったとは想像し難いが、町民はそこに六メートルの穴を掘り、毎日ごみを焼いていたのでいつも黒い煙が立ち上っていたそうだ。
 
日本では一九九七年に容器包装リサイクル法が制定され、上勝町も「分別回収の道」を歩み始め、九種類から徐々に増やしていった。分別しても回収業者が見つからないごみもあったため、一九九八年に二機の小型焼却炉を購入した。この時、ようやく野焼きに終止符が打たれた。だが二○○○年に「ダイオキシン類対策特別措置法」が施行されると、その二機の焼却炉は基準値を越えるダイオキシンを排出していたため利用できなくなった。
 
基準に合った高性能の大型焼却炉を購入するか、ごみ処理を全て町外に委託するか、いずれもこの町にとっては財政的に困難な選択肢でしかなかった。最終的にこの町は全力を挙げてごみを分別する道を採択した。二○○一年の二十二種類から三十五種類へと、丁寧に分別を徹底することで回収業者の注目を集め、売却先は増えていった。
 
これらの取組みが功を奏し、上勝町は町外に委託するごみの量が大幅に減り、現在では四十五種類のゴミを十社の回収業者に処理してもらっている。そのうちの八割が資源再生され、残りの二割を焼却と埋め立てで処理している。(例えばポリ塩化ビニール、ゴム、紙おむつ)
 
上勝町役場企画環境課事務主任の菅翠さんによると、二○一七年のごみの量は二百八十六トンだったが、もし全て焼却処理していたら千四百七十万円も掛かっていたはずだ。しかし分別により、五百九十三万円で済み、六十%も支出が抑えられたのである。それに回収された金属類と紙類は二百十三万円の収入となり、ごみ処理費用を少なからず補填することができた。
 

●ごみ分別の模範生
71歳になる片山初枝さんと同居する娘さん夫婦は、家庭で28種類の分別を行っている。主に台所で行われ、瓶のふた、きれいなものと洗えないプラスチック(上)などで、使ったら直ぐに洗う(右上)。生ごみは町役場の補助で購入した電動生ゴミ処理機で解決している(右下)。

 
町役場にとって資源回収は財政上の救世主であり、町民にとっても生活習慣を変えるきっかけになった。最初はとまどいがあっても徐々に受け入れられていき、分別はやっかいだと思っていた片山さんも今では「自然とできる」ようになり、四人家族が家庭で二十八種類に分けているという。彼女は様々な大きさの分類袋を指差して笑う。「ごみ屋敷みたいでしょ!」記者は驚きを隠せず、なんてきちんとしっかりした人だろうと敬服した。
 
彼女の道理は極めてシンプルである。使い終わったらすぐ片付ける、これに尽きる。「そうすれば後で嫌になることがありません」。例えば牛乳を飲み終わったらすぐにパックを洗い、広げて乾かす。スーパーで買物をすれば、その場で肉類のトレーとラップをはずして回収ボックスに入れ、肉だけを自前の袋に入れるのである。「これで家に帰って片付けるごみが一つ減りますから」。彼女は笑って続けた、「でも娘には、そんなの恥ずかしいって言われますけどね」。
 
記者は彼女の家を訪問させていただいた。彼女はお茶を出すと、私たちに和菓子を包んであった葉を一般ごみに入れるように言った。「それは生ごみではないですか?」と私たちが当惑していると、「たまにはいいのよ」と笑って言った。「分別模範生」であってもこれくらいの息抜きは必要なのだろう。
 
「始めた頃は慣れませんでした。私の実家では燃えるごみと燃えないごみ、瓶と缶に分けるだけで、洗わなくてよかったのです」。八年前神戸から嫁いで三人の子供を育てている山部由加さんが話してくれた。今では六歳と三歳の子供にも簡単な分別を教えている。「子供達はごみステーションに行きたがるんです」。四カ月になる下の子のために、山部さんは町役場の「布おむつプレゼント」を申請した。生まれて間もない子もごみの減量に参加できるのだ。上の子は紙おむつを一日に五回換えたが「この子は一日に十回換えなくてはいけないのです」。手間は掛かるが節約になるという。
 
●山部由加さんは丁度、4カ月になる子の布おむつを取り替えていた。離乳食にしてから「とても臭く」、手袋をしてトイレで洗うが、やはり節約にも環境保護にもなると言った。

「煩わしくなければ意味がない!」

「煩わしいかどうか」という問題について尋ねると、九十歳になるお婆さんから十九歳の若者まで、ゼロ・ウェイストに努力する上勝町民の大半は苦笑いしながらこう答える、「煩わしいですよもちろん……」。しかし、「分けると決めたのですから、やるまでです」。「やらないと何か言われますからね」。そう答える人も少なくないところに、日本人の「規則を守る」、「人に見られることを意識する」という国民性を垣間見た気がした。
 
「私の母はよくこう言いました、『煩わしくなければ意味がない。だからこそ人は真剣に考える』」と語るのは八年前に故郷へ戻ってカフェ・ポールスターを開いた東輝実さんだ。彼女の母親の東仁美さんは、生前上勝町役場の企画環境課長を努め、最も早く分別回収を進めたキーパーソンである。
 
徳島大学環境防災研究センターの副主任である上月康則さんは、東仁美さんが尋ねて来たときのことをよく覚えているという。「公務員らしくない人でした。何度も自費で海外まで出かけては環境対策を視察していましたから。」上月さんによると、当初反対の声が上がった時、東さんは五十五の全ての集落に出向いて一人一人に説明したのだそうだ。加えてよく知る地方の年長者が彼女を支持したので、行政の広報よりも説得力があり、徐々にその新しい取組みが受け入れられていった。
 
「ゼロ・ウエイスト」というのはごみと無駄遣いを減らすことを意味する。「出たごみを処理する」ことばかりにとらわれるのではなく、「ごみを出さない」ことを目指すのである。分別回収はごみの解決方法としては消極的なものだが、これまでの買物の仕方を考え直すきっかけになるので、ごみの減量に一役買っている。
 
例えば、清原さんにはこのような体験がある。以前別の所に住んでいた時、流し台の生ごみの水切りかごが古くなると新しいものに買い替えていた。「これも洗えばまだ使える」とは考えていなかった。それが今では百円ショップでどんな安いと分かっていても、まだ使えるとか家に代わりの物がないかと考えて気軽に手を出さなくなったそうだ。
 
或いは東輝実さんのように、パンを買う時は大きめの保存容器を持参し、ビニール袋をもらわないようにする人もいる。ある時四歳の息子さんがパンを買おうというので「今日は入れ物を持って来てないから買わないの」と答えた。息子さんは騒ぎもしなかったばかりか、納得して「そうだね」と言ったそうだ。彼女はそれを聞いてほっと胸をなでおろしたと言う。
 

●上勝町のショールーム
31歳の東輝実さん(上の写真左)はカフェ・ポールスターの経営者である。大学を卒業すると故郷にUターンして「上勝町のショールーム」となる店を開き、訪れる人にごみゼロ生活を体験してもらいたいと考えた。例えば、容器を持参すると量り売りの米やお茶の葉、珈琲豆、ごま油(下)を買うことができる。料理には地元で取れる食用花と飾り葉が添えられている。(上右)

「必ず洗浄してから回収する」の良し悪し

東さんはマヨネーズも自分で作り、商品は買わない。「プラスチック容器の蓋を取ったり、洗って乾かすのが煩わしくて!自分で作った方がまだ楽です」。あらゆる分別品目の中で最も町民を悩ませるのは、プラスチック製の包装容器類だそうだ。洗って乾かし中身を残らず取り除き、カビを発生させなければ、再生原料の質は向上する。洗いにくいプラスチック容器は「汚れたプラスチック類」として分別することもできるが、やはり洗ってから出しているそうだ。
 
つまり、資源回収をすることは同時にもう一つの資源の消耗を意味する。「上勝町の豊富な水資源に感謝しています。そのおかげで洗って回収に出すことができるのですから」と山のわき水を使っている武市商店の経営者、武市卓也さんは、以前インドを訪れた時、飲み水にも困っていた状況を思い出して言った。
 
上月さんは、ライフサイクルアセスメント(LCA)から根本的に考える必要があるという。つまりごみ処理における諸段階が環境に与える影響を分析して最も適切な方法を見つけるることが重要なのだ。上勝町はもともと自然の条件が整っているため、環境保全にコストは掛かっていない。
 
しかし台湾では水道代が抑えられているため、料金自体は高くないにしても、実は常に水不足が懸念されており、「大量清浄」には適していないといえる。ならば上勝町の究極的な回収分別方式は他の地方でも効果があるのだろうか?「分別の多い少ないは方法にすぎません。重要なのは考え方です」。上勝町のゼロウェイストの考えを理解した後はそれぞれの地方に合ったやり方を見つけるべきで、必ずしも細かく分別すればするほどよいわけではない、と上勝町役場ゼロウェイスト推進員の藤井園苗さんは強調する。
 
●82歳になる西蔭幸代さんは葉っぱビジネスに参加して20年になる。彼女が毎日農協に運ぶ葉っぱは国内や海外へ販売されている。

「ごみゼロ」は最終目標ではない

上月さんは、「ごみゼロ」は最終目標ではないと指摘する。もっと重要なのは続けることであり、広めることだという。たとえば上勝町の隣の神山町、佐那河内村などは影響を受けて素晴らしい成果を上げている。
 
また「認証」という形で様々な業種の店舗に協力することも、その普及の一端を担っている。二○一七年ゼロ・ウェイスト協会が進めた「ゼロ・ウェイスト認証制度」は今の所、十二の飲食店に付与されているが、そのうちの五軒は町外にある。五軒とも社員は研修を受けることになっており、プランを提出して次の六つの項目について審査がある。地域の食材を活用すること、食材の仕入れには自前の容器を用意すること、サービスにおいて浪費を抑えること、利用者にマイ食器の携帯など取組みへの参加を呼びかけること、地域の資源循環を考えることなどである。
 
中学の時から将来は上勝町に戻ってかっこよく仕事しながら子育てしたいと決めていた東さんだが、彼女が経営するカフェ・ポールスターは五つの項目で認証が叶った。彼女はカフェを「上勝町のショールーム」にし、食事やサービスでお客さんにゼロ・ウェイスト生活を示している。押しつけるのではなく、「体験」してもらうのである。
 
同じ上勝町にあるライズアンドウイン ブルーイングというクラフトビール工房もやはり五つの項目で認証を受けている飲食店である。特に「ローカルリユース」が目に付く。外壁に使用されている廃棄木材や窓枠、または様々な色の空き瓶で作られたシャンデリアなど、ほとんどの資材は、宝の山、ごみステーションで見つけたものなのだ。
 
 
●クラフトビール工房ライズアンドウイン ブリューイングコーに一歩足を踏み入れると、空き瓶ランプと窓の外の壁が一際目を引く。これらはすべてごみステーションで集められたものだ(右)。地元の人は自分でボトルを持参するので、ごみも出さないし分類する必要もない(左)。
 
社長の田中達也さんによると、四年前に店を開いた時に先ずビールとコラボし、設計には上勝町の特色を出すことで遊び心のある粋な場所にして、もっと多くの人に上勝町を知ってもらいたいと考えた。今ではお客さんの殆どは町外からの人で、店の内装について尋ねられると店の人は先ずゼロ・ウェイストから紹介してその普及に努めている。
 
飲食店だけでなく、協会はアパレル業者にも認証を出すことにした。その理念が大量生産と廃棄を生み出すこの業界にも広まって欲しいと考えたもので、既にチェーン店を持つ二社に付与された。
 
上勝町が「ゼロ・ウェイスト宣言」を打ち出した期限の二○二○年まであと一年と迫ったが、リサイクル率百%を達成してごみゼロを実現できるのだろうか?板野さんは「政府の政策と企業生産に『系統だった変化』が起こらない限り、あと二十%を実現するのは難しいでしょう」と言っている。
 
 
●複雑な商品パッケージはもとより、至る所にある自動販売機も日本に大量のごみをもたらしている(左)。●家庭ごみと事業ごみはそれぞれ指定された時間と場所に置く必要がある。(右)

プラスチック大国の挑戦

商品化を考えるとき、日本では見栄え重視という傾向があるのは事実だが、それは一方で過剰包装という問題を引き起こしているといえる。特にプラスチック類に関しては、年間九百三万トンというプラスチックゴミを産出することから、アメリカに次いで世界第二位のプラスチック使用大国となっている。
 
日本は過去長い間プラスチックごみを他国で処理してもらっていたが、近年中国と東南アジア各国がごみの輸入を禁止し、国際的にも廃プラの輸出規制をする国が増えたことで、やっと捨てる場所が無いことに気がついたのだ!
 
毎年三百五億枚のプラスチックレジ袋を製造している日本だが、今年七月より「レジ袋の提供禁止」という方針が政府の検討会で固まり、スーパーやコンビニ、レストランではレジ袋の有料化が義務づけられることになった。プラスチック製レジ袋はプラスチックごみのわずか二%に過ぎず、実質よりも象徴的な意義の方が大きいが、少なくとも一歩踏み出したといえる。
 
企業ができることは更に多い。商品デザイン及び生産段階から変革することを始め、循環利用できる素材はデザインを工夫して使い、源からゼロ・ウェイストを追求してほしいと願う。設計段階から最終的に自社資源として回収するまでが繋がってはじめて、根本的に廃棄物問題を解決するに至るのではないか。
 
記者は台湾に戻る飛行機の中で日本の作家東野圭吾の小説を原作とした映画『真夏の方程式』を見たのだが、その冒頭に環境保護と資源開発の綱引きについて雑談する場面があった。湯川学教授のせりふに、「開発は生態を破壊しますが、人間は開発により恩恵を得ています。ですからあとは『選択』の問題です。私たちがやるべきは、一切を理解してから行くべき道を選択することです」。面倒で不便かもしれないが、上勝町は住民自らがゼロ・ウェイストの道を選んだ。台湾に住む私たちは、将来どんな選択をするのだろうか?
 
●上勝町の樫原地区での棚田は「日本の棚田百選」の1つである。この美しい山、きれいな水に恵まれた上勝町が永続であることを願い、地元の人は長年にわたって「ごみゼロ」を目指して頑張ってきたのだ。
(経典雑誌二五七期より)
NO.279