慈濟傳播人文志業基金會
愛によって変貌を遂げるアフリカ
アフリカは我々の印象では、原始時代のように荒涼として植民地時代の面影を残した神秘的な大陸であり、台湾から遥か遠く離れた場所にある。しかしながら、證厳法師はこのほど、未来において慈済の国際支援の重点をアフリカに置くと言及された。
 
慈済がアフリカ南部において二十年余りの間行ってきた貧困と病に苦しむ人達への救済は、南アフリカから北に向けて、レソト、エスワティニ、モザンビーク、ジンバブエ等の七カ国に及んでいる。今では現地人のボランティアを育成してその慈善を支えている。二〇一五年より、慈済慈善の足跡はエボラウイルスが蔓延していた西アフリカに始まり、感染の最も悪化していたシエラレオネ共和国に入って、物資の配付とベッドの寄贈を行った。そして、現地の病院と花蓮慈済病院は医療提携の協力覚書を交わし、現地の医師を台湾に派遣するなど交流を行った。
 
慈済が拠点を置く他のアフリカ諸国と比較すると、シエラレオネ共和国の長期的なケアは容易ではなく、生活物資の配付以外に現地の社会状況に対応するのが難しく、適切な慈善様式を確立出来ずにいた。
 
二〇〇六年に上映された『ブラッド・ダイヤモンド』(原題:Blood Diamond) は、一九九〇年代のシエラレオネ共和国が舞台である。ダイヤモンドの採掘をめぐる軍閥の争いが内戦を長引かせている様子が描かれている。宗主国から完全に独立した後も未だ民主制度が確立されていない中、反政府組織はその機会に乗じてダイヤモンドを採掘し、武器を調達しながら政府に対抗してきた。ダイヤモンドという天然資源は人民を豊かにすることはなく、逆に彼らを殺戮の恐怖に陥れていた。
 
その血生臭い歳月は、二十一世紀に入って終結したが、少数の人が海外からの投資利益を独占した為、貧富の格差は更に拡大し、一般民衆は基礎医療と教育資源の欠乏した貧困状態に置かれている。またインフラ整備も脆弱なため、シエラレオネ共和国の首都フリータウンは、毎年雨季になると違法建築でひしめく貧民地区が例外なく洪水の被害を受けている。その上、公共衛生の知識に乏しく対応が遅れたため、数年前にエボラウイルスの伝染拡大を引き起こした。
 
二〇一九年八月にシエラレオネ共和国で洪水が発生した時、慈済は物資の配付などの支援を現地の慈善団体と共同で展開した。例を挙げると、カリタスフリータウン基金会(Caritas Freetown Foundation) 、ヒーリー国際災害支援基金会(Healey International Relief Foundation) 、ラニー基金会 (Lanyi Foundation)などである。本期の特別報道では、慈済が台湾農業委員会の協力を得て、対外支援用の白米と慈済の五穀粉、 エコ毛布 、衣類で以て地元で既に活動していた慈善団体をサポートした様子を紹介している。
 
この支援では一般の貧困家庭以外に、慈済チームは少年院やエボラウイルス孤児、障害児の孤児院でも配付を行った。またラニー基金会が現地女性の自立支援として農耕を教えている農場も訪れた。また、慈済チームは四十人の現地ボランティアに対して訓練を施し、台湾で研修を受ける可能性のあるボランティアとの面談も行った。
 
一抱えもある大木も元は針の先ほど小さな種である。證厳法師はボランティアにこう励ました。「数十年を経て顧みれば、丁寧に植えた善の種から育った緑豊かな木陰には、運命を翻した多くの人の足跡があることでしょう」。
(慈済月刊六三八期より)
NO.279