慈濟傳播人文志業基金會
黙々と仕事をする幸せ〜程廖邁さん
●西螺の環境保全ボランティア程廖邁は、雲嘉地区の歳末祝福会の時に、これまでのことを皆と分かち合った。( 撮影・黄淑媖)
夜がまだ明けない午前三時過ぎ、静まりかえった大地は物音一つせず静寂そのもので、雲林県西螺鎮下湳里地区の人たちはまだ眠りの中にいる。一軒の伝統的な冂(けい)字構えの民家では応接間に明かりがついている。九十歳を過ぎた程廖邁さんがベッドに横たわって手足を交互に動かしながら体操をしていた。柔軟体操を終えた程さんは、起き上がって仏前に線香を供えて読経し、朝の日課を終えると忙しい一日が始まった。日が上る前は爽やかで涼しく、朝食を食べ終えると軽々しく自転車をこいで、楽しそうに資源回収所に向かった。
 
十年前、程さんは村へ資源回収に来た人に出会った。彼は慈済という基金会の人で、資源を回収して貧しい人を助けているのだと聞いた。彼女は意義のある善行だから、私もやらねばならないと思った。
 
「主人が生きていた時から、私は資源の回収を始めていました」。当時の程さんは、昼間は娘が作る野菜の収穫を手伝うために、早朝と夜の時間を利用してリサイクルできる物の回収に出かけていた。
 
●程廖邁師姑は動作がテキパキしており、自転車を漕いで楽しそうに家の近くにあるリサイクルステーションへ向かった。(撮影・張萬)
近所の人たちは、それを見て彼女を嘲笑していたそうだ。「こんなにたくさん資源ごみを拾い、きれいに洗って、しっかり縛って、なぜ自分で売らないの。慈済はお金が沢山あるから外国まで行って救済しているっていうじゃない」。何回もそういう話を聞いて、程さんは腹を立てるどころか、堰が切れたように相手を説き伏せにかかった。
 
「正直者に神宿ると言うでしょう。お金のためだけなら、私にはあちこち廻って集めに行く必要なんてありません。慈済にお金が多いと言われているのは素晴らしいことです。お金があるからこそ人助けができるのです。国内でも海外でも人は人ですよ、同じ人間をなぜ区別するのですか。人助けはする方が気持ちがいいでしょう。あなたは救ってもらう方がいいのですか」。彼女の道理ある話に、二度と彼女を嘲笑する人はいなくなった。
 
程さんは養女だった。養父母と養祖母は彼女をとても可愛がり、勉強するよう勧めたが、勉強は好きではなく、仕事に興味をもっていた。養父母は「損なことだ。進学していれば大きくなって事務の仕事について少しは楽ができるのに」と言った。程さんは「私は力が強いから、外の作業のほうが好きです」と言った。結婚後は真面目で気が利くので、舅や姑、夫に可愛がられた。
 
「私は人と口論したことがありません」。そして菜食をしている人は気性が穏やかになるということを耳にした彼女は、せっかちな性質を変えるために三十五歳からべジタリアンになったが、養父に叱られ、一月間実家へ帰る勇気がなかった。彼女は笑いながら「養父は菜食だと営養不足になると思っていたので、力仕事をする私を実は心配していたのです」と言った。
 
長年、菜食してきた程さんの体は丈夫で、一年中あちこちの農家で田植などの仕事を手伝い、稼いだお金をすべて姑に渡していた。「姑は私を自分の娘のように可愛がってくれ、私も姑を自分の母親のように思って接していました」。
 
程さんには、息子と娘がいる。台中に住んでいる息子さんは税関を定年退職したばかりで、教職についていたお嫁さんも退職したので程さんに幾度も台中で一緒に住むよう勧めた。だが程さんは「都市にはなじめない。娘が近くに住んでいるので、娘と婿も孝行してくれる」と言った。
 
田舍の生活に慣れている程さんは、自由自在に自転車をこいで資源ごみを集めに行っては、一つの袋がいっぱいになると家に戻って置き、またすぐ集めに出掛ける。九時過ぎに昼食の用意をするため家に帰る。昼食後はひと休みしてまた資源ごみを集めにでかけ、村の外まで行く時もあるが、ルートは決まっていないそうだ。
 
自転車をこいで道路を横切るなんて危ないと娘さんとお婿さんは心配しているが、程さんは、「道路を横切るのは大丈夫ですよ。車が走っている時はどんなに急いでいても無理をしませんから」と言う。
 
資源の回収袋が五つになるとそれを手押し車にのせて別のボランティアの家に運ぶ。よく考えてみると、家の東側の部屋を片付けて回収資源置き場にすれば、行ったり来たりする必要がないではないか。
 
●程廖邁師姑は家の東側にある古い部屋を整理し、そこに回収した物を置いている。(撮影・張萬)
回収物を整理していると近所の仲の良い人が立って見ていたので、程さんは笑いながら「何を見ているの?早く手伝いなさいよ」と言った。それからというもの彼女が資源の回収をしているのを目にすると自発的に手伝いに来てくれるようになった。
 
九十歳になっても体が何処も悪くないのは、資源回収をやっているおかげだと思っている。心身ともに健康で煩悩がない。この辺りでは野菜の収穫を済ませた後に必ずといっていいほど、畑の脇に空のぺットボトルが残されているので、翌日は朝早くそれを集めに行くのだという。
 
ある日、程さんは工事現場に建材が放置してあるのを目にした。現場の管理員に「これはもういらないのですか?もし捨てるのでしたら私が持って帰ります」と話しかけると、管理員はこんな年寄りには運べないだろうと言いたげにこう答えた。「持っていけるなら全部あげるよ」。
 
「くれると言ったのだから、全部運んで見せよう」と彼女は頭を働かせ、少しずつ建材を束ねて紐で括り、自転車に載せて幾度も運んで、ついに全ての建材を運び終えた。
 
そして又管理員に聞いた。「他にもありますか。あったらまた取りに来ますから」。管理員は目を丸くし、「あなたのようなお年寄りにそんな体力と気力があるとは大したものです。凄い。本当に不思義だ」と言って感服してしまった。
 
自分は幸福な人間だと程さんは思っている。二〇一六年雲林県模範母親賞という名誉を受賞し、台北で当時の馬英九総統から表彰された。「私の子育ては、大したことを教えた覚えはありませんが、ただ親として年長者として手本を示してきたので、子供たちもよく見習ってくれています」と謙遜して言った。
 
模範的な母親であり、更に人格者でもある程さん。「私の人生は幼い時から大人になって、老いの今までの年月のすべてが楽しかった。私は人々を愛し、人々は私を愛してくれた。何かをやれるということは幸せなことです。とても感謝しています。これからも私たちの地球のために尽力します」と力強く言った。
(『快速解開「不老機密」』より)
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