慈濟傳播人文志業基金會
武漢と共に難関を乗り越える
鍵暉さんが献金した百人民元(約千五百円)は武漢への感謝の気持ち
心臓移植手術をしてくれた医師と慈済人の付き添いに感謝した。
今この時に彼らが思うのは、ただ武漢と難関を共に乗り越えたいということだけだ。
 
私は武漢で生まれ育った人間です。退職する前は紡績工場の工員として働いていました。その後、印刷店を経営しました。暇な時間にトランプや麻雀をして人生を無駄に過ごしたくないと思っていた時、知りあいを通して慈済という団体に出会いました。読書会に参加し、ボランティアの研修を経て二○一六年に慈済委員の認証を受けました。
 
武漢のボランティアは殆どが勤め人で、退職した私は時間があるため、平日の訪問ケアにはいつも積極的に参加しました。
 
二○一九年十月末に、ケア対象者の鍵暉さんが武漢の協和病院で心臓移植の手術を受けるために福建から転院してきたので、私たちが付き添うことになりました。彼はとても幸運で、武漢に到着するや否やドナーに恵まれました。
 
二○二○年一月十九日、鍵暉さんが退院して福建に戻るというので、私と数人のボランティアは漢口駅へ見送りにいきました。私たちは鍵暉さんの手術後も入院していた間は見舞いや生活支援金を届けに行きましたが、いつもマスクを着用しました。あの日、漢口駅はいつものように大きな荷物を抱えた帰省客や旅行者たちで賑わっていました。
 
武漢の気候は寒く、福建よりも十度以上低かったのです。手術後の鍵暉さんは体力がありませんでした。新型コロナウイルスの感染が益々拡大する中、私は絶対に風邪を引かせてはならないと思い、娘が着なくなった黒のダウンジャケットがあったので彼に持って来たら、意外にもサイズが合っていました。彼は嬉しそうにそのジャケットを着て、新年を迎える前に故郷へ帰りました。兄弟姉妹が多い我が家の大晦日の夜はいつもホテルで賑やかに食事をして年を越すので、今年もテーブルを二つ予約しました。
 
しかし、武漢は一月二十三日から封鎖されました。福建に戻った鍵暉さんとお母さんは故郷で自宅待機し、私に無事を知らせると共に武漢に寄付したいというメッセージを送って来ました。彼は大手術を済ませたばかりで、お父さんは精神疾患があり、お母さんは清掃婦で収入は多くありません。それでも彼女らは武漢が難関を乗り越えられるよう支援したいと言いました。
 
「武漢の医師をはじめ、慈済の人たちや家主さんまでみんな親切で、どうしても感謝したいとお母さんが言ってます」と言うメッセージが届きました。そこで私は彼に、「愛の心で以て寄付するのが大切で、金額ではありませんよ」と言うと、お母さんは百人民元(約千五百円)を寄付してくれました。
 
大晦日の家族晩餐会はキャンセルになり、親戚たちは理解してくれ、ホテルも返金に同意してくれました。返金手続きで行列ができたのは初めての経験でした。感染は益々拡大し、私はどこにも出かけないようにしました。ボランティアをしたかったのですが、年齢的に認められず、防護服もない状態でした。今回の新型コロナウイルスに感染して亡くなった人の大半が高齢者なのです。
 
夫は毎日相変わらず、自転車で十分ほどの所にいる寝たきりの父親の世話に出かけていました。そして、親戚たちが危険を冒して出かけなくても済むように、食糧を買って順番に届けていました。
 
夫はスマホでがらんとした今の武漢の街や道路の様子を記録し続けていました。モノレール一号線と地下鉄二号線が通る普段はにぎやかな「循礼門」の近くには、武漢協和病院や大型スーパーのチェーン店、フラワーマーケット、江漢路歩行者天国などがあり、本来ならお正月で大いににぎわう所ですが、今はタクシー一台と電気自動車一台が走っているだけでした。
 
都市が封鎖された後、武漢市にある六千台のタクシーは政府に徴用され、各コミュニティーの委員会が配車して、行動の不自由な住民に薬や食料品などの配達を行なっています。スーパーは通常通り営業して市民生活を支えていますが、配達員も今ではお金のために働いているのではなく、多くの市民は彼らの配達に頼っていることを自覚しているのです。
 
慈済ボランティアは人のために何かしたいと思っても、外出が禁止されているため、焦りを感じていました。武漢のボランティアたちは、政府の言う通りに自分の身を守ることこそが感染拡大を抑える最高の手助けである、とウィーチャットで呼びかけました。
 
私はボランティアたちにオンラインでの読書会を提案したところ、皆、賛同してくれました。初め参加したのは七、八人でしたが、それでも楽しく、心はとても静かで落ち着き、時間はあっという間に過ぎました。本の内容もその時の気持ちや状況にぴったりでした。
 
読書会に参加する人が徐々に増え、年配のボランティアも参加して「耳で聞いて」理解していました。そういう時、私は正信と正念を持ち、ネガティブなニュースに惑わされず、ポジティブなエネルギーを広めることができたのです。慈済的な深い考え方ができるようになったことに感謝しています。
(慈済月刊六四〇期より)
NO.281