慈濟傳播人文志業基金會
因果関係を重く見る
 
 
因果関係を無視したり、気に留めず、今「好きなように」行動するなら、将来、一切の苦しみを「甘んじて受け」なければなりません。

自分に妙薬を処方する

二月二十五日のボランティア朝会で、上人はご自身の幼い頃に起きた太平洋戦争のことに言及しました。「当時、私はまだ小さかったのですが、戦争が終わっても、将来、もっと恐ろしい災難が降りかかり、『道に人影がなく、米を食べる人もいない』状態になるかもしれない、とお年寄りが心配していたのを聞いたことがあります」。
 
「その当時は私には意味が分かりませんでした。今よく考えてみると、既に『人影のない道』が現実のことになっています。最近、中国では数多くの省や市が防疫のために町や村を封鎖し、人の出入りを制限しているため、道路は車がまばらで、行き来する人もいません」。
 
上人はこう強調しました。どんな方法で予防するにしても、一番大事なのは人々が自覚を持つことです。世を震撼させる災難が訪れたなら、それは人間への警告だと目を覚ますべきです。直ちに反省し、心身を引き締めてウイルスに感染しないよう予防し、その上で心を正して人々の心を落ち着かせる手伝いをするのです。「医療従事者でなくても、伝染病に直面した時、人は皆、自分のために妙薬を処方することができます。それが斎戒であり、菜食することです」。
 
「最近ずっと『衆生の共業(多くの衆生が作り出した全体の業)』について話してきましたが、なぜ共業なのでしょう?それは過去から現在に至るまで、衆生は長い間、絶えず業を積み重ねてきたからです。口の欲について言えば、人は口の欲望を満たすために肉食し、それが習慣になってしまったのです。口の欲望のためにおびただしい数の家畜を飼育し、それを食卓に供給しているのです。動物は元々人に食べられるもの、という偏った観念が出来上がり、その行為は益々偏ってきています。人口の増加に伴って、してはならないことをして、そうでなくては生きていけない人が増え続けており、業は益々重くなっています。衆生共業の報いが大自然の逆襲となって現れているのです」。
 
人は天災を恐れ、飼育されている動物は人災を恐れ、いつ自分の番になって屠殺されるか分からないのです。人間だけが平穏な生活環境を求めるのではなく、動物にも自然環境の中で安心して生活できるようにしてあげるべきです」。
 
凡夫と菩薩の心の違いは、凡夫は「喜んで行い、甘んじて受け」、菩薩は「甘んじて行い、喜んで受ける」のです。「楽しければ何が悪い」という考えは、因果関係を無視して、それを恐れない態度であり、今「好きなように行う」ことで将来、一切の結果を「甘んじて受ける」ことになるのです。慈済人は衆生の苦しみを助けるために奉仕し、どんな困難をも乗り越え、喜んで担い、苦労を厭いません。皆さんが喜んで行う気持ちで以て、自分の健康を守り、防護措置を整えた上で、第一線に立つ防疫人員を支援しなければなりません。
 
「ここ数日、皆さんに同じような話を繰り返していて、その道理は深いのですが、それを理解している人は多くありません。たとえ理解したとしても行動が伴っていないので、何度でも呼びかけて、皆が行動できるようにしているのです。衆生の共業の下では、健康を守るよう呼びかけなければ、感染の拡大を止めることはできず、私たち自身も守りきれません。斎戒を呼びかけ、地球上の万物の健康を守ることは自他共に利することであり、この世を守る方法なのです」。
 

慈済で人生経験を積み重ねる

カナダの慈青の感想を聞いてから上人は、志の方向を決めた後、謹んで精進するよう皆を励ましました。「あなたたちは幼い時から親が慈済でボランティアしてきたのを見ており、親のしていることに賛同しているのであれば、慈済が向かっている方向が正しいと思っているはずです。そして、慈済に投入することを発願し、共に菩薩道を歩めば、人生の方向は定まり、永遠に後悔することはないでしょう」。
 
「よく若い人が社会に揉まれてくるという言い方をしますが、慈済は正に社会の中に入って人生経験を積み重ねています。苦難にある衆生そのものが菩薩道場であり、そこからこの世の苦難と人生の無常が理解できるようになります」。上人はこう言いました:もし慈済が自分の一生の方向だと思うのなら、体で実践し、困難を恐れなければ「甘んじて行い、喜んで受ける」ことができ、また、「甘んじて行い、法の喜びを感じる」こともできます。それは様々な方法で衆生の苦しみを和らげ、衆生を悟りに導くからです。方法が正しければ、支援を受けた人が困難を脱するのを見れば、彼らに代わって喜びを感じます。それ故に、どんなに苦労しても悔いも恨みも抱かず、何度でも仏法の殊勝な功徳を証明し続け、法悦に満たされるのです。
 
「もし未だに迷いから醒めず、他人の意見に耳を傾けることなく、いつも自分の欲望のままに『好きなように行動』して生き続けるなら、結果としての報いは全て自分が受けることになります。その時に気が付いても、既に多くの時間を無駄に過ごしてきたため、後悔しても始まりません」。上人は、「智慧を発揮して、慈済に参加する縁を逃さないようにすることです。この大きな環境の中で自分を充実させて群衆に混じって試練を受けることで、外からの誘惑に負けず、利欲を追求しないようにするのです」と皆に開示しました。
(慈済月刊六四一期より)
NO.282