慈濟傳播人文志業基金會
謙虚に祈り、人間に利益をもたらし 、 斎戒菜食で、心の欲を征服しよう
斎戒で敬虔さを表し、世の平安を祈りましょう。
口の欲と欲念を克服して衆生と仲良く共生するのです。
大愛で福を造り、善行することは
一滴の水が注ぎ込んで大海を為すように、
やがて天下に潤いをもたらすでしょう。
 
 
近頃は毎日のように、新型コロナウイルスに関する報道が続いています。まるで切れた糸から落ちたビーズが拾いきれない速さで転がるように、瞬く間に二百二十以上の国と地域に感染が広がり、人々を悲しみと恐怖に陥れています。この感染症で苦難に陥る人は多くなり、苦しみも増しています。
 
多くの国は街の封鎖や鎖国をして感染の拡大を抑えようとしています。交通の遮断によって往来ができず、人々は用がない限り外出が禁止され、商工業活動と日常生活システムが停滞しています。貧しい人は労働で生計を立てていますが、今は工場も閉鎖され、突然、仕事を失ってしまいました。収入がなければ、一家で飢えるしかなく、死活問題になっています。
 
この世の苦しみは疫病だけでなく、貧困の苦しみもあります。ホンジュラスでは低所得者が、慈済による台湾からの白米の配付で、感動の涙を流しました。お金のある人は我先に食糧や物資を買うことができますが、物価が高騰しているため、貧しい人には手が届かなくなってしまいました。最も緊急で必要な時に慈済の米を受け取ったのです。正に「命をつなぐ米」なのです。
 
貧困と失業、食糧不足は社会不安をもたらします。フィリピンの慈済人は三月下旬から米の配付を始めましたが、政府の行動制限によって、物資の購入や運送などに支障をきたしました。そして、年長者を保護するための政策によって六十歳以上の人は外出禁止となってしまいました。配付活動の経験が豊富なボランティアは殆どがその年齢に達しています。どうすればいいのでしょう?そんな困難の中でも貧困家庭のためにボランティアは、家から曽て一緒に商売した友人に電話を掛けて物資と人手を調達し、ボランティアに外出許可証を申請しており、感染症期間中に八万世帯への配付を終える予定です。
 
私は感動と同時に弟子たちの苦労に心が痛みました。このように困難な状況下でも、物資と人力不足だけを心配して勇敢に責任を担いました。その大量の米を配付し終えるのに何日も掛かります。私が「疲れましたか?」と労うと、彼らは「疲れましたが、個人的なことは小さなことで、大衆のことが一番大事です」と答えました。食べ物がない人はたくさんおり、自分は苦労を甘んじて受けると言いました。
   
政府の規則に従い、配付現場では安全距離を保って行われました。住民が物資を受け取る時、前の人が一歩進めば、後の人が一歩進むという具合に、長い行列でも秩序正しく行なっていました。各世帯が持ち帰った米は一カ月の糧になります。奉仕する人は愛を持ち、受け取る人は規則正しくしており、彼らがそれを成し遂げたことに私は感服しました。
 
これが貧しい人に安心を届けることであり、飢える前に安心してもらえれば、社会に愛があることを分かってもらえるのです。奉仕する側が愛と勇気だけ持っていてもできることではありません。もし一人でも感染者が出れば、それは社会全体の不安になるため、「怖くない」と言うのではなく、万全の準備を整えてこそ、医療を支援し、貧困や病に苦しむ人をケアすることができるのです。
 

疫病は大災難。 世界中で発心し、配付することで人々を厚く保護しよう

今この時、世界の慈済人は各自の国に留まっていても、心は台湾に集まり、「心の故郷」に帰っています。師弟はクラウド環境にアクセスして出会うことができ、それは神通力のようなものです。精神のエネルギーはネットを通じて繋がっています。科学技術の発達のおかげで、私は世界を巡ることができ、時には一日に二十カ国近い慈済人と話をします。一対一で話すのではなく、一対大勢で話をし、大勢が話す内容を皆で聞くことができるのです。
 
ネットに繋げば、何千、何万もの人が同時にオンラインで繋がります。マレーシアと視聴会議を開いた時、各地の映像を見ることができました。「静思堂にいるのですか?」と聞くと、「いいえ、今は外出禁止で皆、家にいます」とのことでした。私は皆の家を渡り歩いたのです。
 
今回の感染症は全世界の慈済人の情を繋ぎ、長い間、会っていない旧知の間をネットで温め合いました。その時「マスクが手に入らない」。「買えないだけでなく、価格も高騰している。手に入らないので布マスクの作り方を学んでいる…」。
 
香港の慈済人の話によると、貧困世帯等にマスクを配付した時、あるお年寄りが「今、マスクは黄金をくれるよりも価値があり、家をもらうよりいい」と言いました。その実、貧困者が必要としているだけでなく、第一線で奉仕している医療や警察、消防関係者はもっと必要で、並んでもマスクが買えないだけでなく、防護服なども不足しています。
 
世界中の慈済人は至る所で医療物資を探して配付しています。単純そうに思えるマスクの購入が思いもよらず、このように複雑になったのは、世界各国で需給が逼迫しているからです。ボランティアの中には全ての人にマスクが行き渡るようにとの思いで、工場の生産ラインの傍で待ち受け、受け取ると直ぐに発送しています。普段どこかの国で災難が起きると直ぐに支援を呼びかけるのと同様、今は世界中で発心し、世界中で配付しています。たとえ自らの手で布施できなくても、僅かな愛でも結集して奉仕しているのです。
 
日々、私の肩には天下がのしかかり、まるで天が崩れ落ちて来そうな気がして疲れると同時に憂慮に襲われます。一人ひとりが心して共に支え、真心を以て世界の平和を祈りましょう。平安を祈り、幸せを造ることは一滴の水がやがて大海に注ぎ込まれるように、天下を潤すことでしょう。 
 

疫病を教育とし、世間の苦しみと人生の無常を知り、新たな方向に向かって進もう 

疫病は人々を悲しませ不安にさせますが、それが何時まで続くのか知る由もありません。人の力で阻止することができないのなら、人々の真心こめた祈りをたのみにするばかりです。感染が拡大している時期に皆で集まることはできませんが、各家庭からオンラインで同時に祈ることはできます。
 
敬虔な祈りと共に社会を利し、福を造る機会を増やさなければなりません。金銭や労力を出し、互いの愛の力を集結することで、人々の健康を守り、一地方たりとも感染症を拡大させてはなりません。
 
真心は目に見えないため、態度で表すことが大切です。斎戒菜食はその最たる表現です。菜食には大きな意義があり、肉食を少なくしたり、しないことで飼育と屠殺が減り、殺業(せつごう)を押さえることができます。衆生が業を作っているからには、衆生が共に懺悔し、謙虚に大自然を尊重し、自分の欲念を征服し、人と万物が相互に敬愛し労り合い、大地と衆生が共生し、融和することが必要です。
 
疫病の終息を願うには四つの方法があります。敬虔に祈り、福を造る機会を増やして社会を利し、生命を敬愛し、欲念を制圧することです。今この時を教育の機会と捉え、世間の苦しみ、生命の無常を知って、速やかに人生の方向を変え、習気を改め、善に向かって学ぶのです。心念を変えさえすれば、安泰な生活を送ることができます。
 
数日前、常住尼僧たちは精舎で祈りを終えた後、募金活動に呼応しました。私はどうしてこんな沢山のお金があるの?と聞くと、普段から毎月千元を貯金しているので必要な時に献金することが出来ますと答えました。どんなことでも時を移さず実行し、奉仕する尼僧たちに感謝の気持ちがつのりました。また慈済病院や慈済教育志業の方々の導きにも感謝に堪えません。僅かなものが積もれば大きなものとなるように、毎日習慣になっているコーヒーも、一月の中で一杯だけ減らせば、それを貯めたお金で人助けができるのです。
 
疫病は一陣の台風のように押し寄せてきます。速やかに過ぎ去るように祈ると同時に復興の準備をする必要があります。共に大愛で福を造り、善行することで、災難が終息するよう祈りを捧げましょう。皆の精進を願っています! 
(慈済月刊六四二期より)
NO.282