慈濟傳播人文志業基金會
堅い決意は無限の力
人の人生すべてが一篇の経典を成しています
私はその奥深くにある宝を探しているのです
 
 
ネパール震災の取材中、慈済人医会(慈済の医療ボランティアチーム)の李暁卿医師にインタビューできたことは、私にとって得難い巡り合わせでした。彼女は若い頃から医者になるという志を立てていたのですが、実際に医学を勉強し始めたのは三十歳の頃で、同級生より十歳も年上でした。彼女の同級生はすでに社会で成功していましたが、彼女は幼い子供同然でした。それでも艱難を恐れずに真面目に学び続けたのです。李暁卿医師の人生に対する堅い決意は、私を奮い立たせ、記者になるよう励ましてくれました。
 
運命のマスコミの道へ
 
十五年前、高校を卒業したばかりの私は、将来どうしようかと迷っていましたが、いつしか心の底からマスコミの世界に進みたいという声が涌き上がってきました。
 
四年間の大学生活では、後悔しないようにいろいろな学習を通して自分の視野を広めました。そして自分のためだけに人生を生きるのではなく、社会に奉仕すべきだということを学んだのです。そうは言っても、どんな役割を果すのか、何を考えたらよいのか、まだよくわかりませんでした。
 
私は学校の雑誌の編集をしたことがきっかけで、マスコミに趣味を持つようになり、人と人とを近づけるこの仕事に進もうと決めました。
仕事をする中で、人々の暮らしに溶け込むことは、自分の人格を養う上でも大きな意味がある、と信じています。社会に入ったばかりの新人の私にとっては、職場の環境や文化に溶け込むことが一番大切なことでした。
 
慈済との関わりは、二〇〇〇年の大学の長期休暇の時でした。私は友達に誘われて、慈済専門学校青年キャンプに参加して慈青(慈済の学生ボランティアチーム) の一員になりました。初めてこの団体に触れ、文化的で、大愛と感謝の心を重んずる特色が、心に深く刻まれました。その後、慈青のことをもっと知りたかったのですが、サークル活動に時間を注いでいたため、行動に移せませんでした。
 
卒業後、新聞を見て慈済文化出版センターが記者を募集していることを知りました。私は応募に必要な自伝を書いて申し込みました。幸いにも慈済との縁が再び繋がり、記者と編集者になるという夢が叶いました。
 
ある日オフィスで映像の編集をしていた時、若くして骨癌を患った俊勛さんがボランティアに寄り添われた姿が目に飛び込んできました。それは俊勛さんの生前最後の映像でした。その時、「生命は呼吸の間に宿る」という感慨が湧いてきました。二十年の人生で初めて「生と死」を身近に感じました。
 
その後、私はマレーシアで「慈済月刊」の記者と編集者を担当し、大愛テレビに転勤してからの十四年間は、インタビューと番組の制作、つまり平面から立体のメディアへと移り、音声と画像の仕事に携わってきました。どんな人物やテーマに巡りあっても、どんな困難に陥っても、仕事は懸命にやり遂げるべきだと思っています。毎回のインタビューと、それを書き起こすという仕事は、神様からもらった貴重な贈り物だと信じています。
 
メディアの清流を目指す
 
二〇一五年、クランタン州でマレー系住民のアトラをインタビューしたことは、私にとって新しい体験となりました。五人家族の彼の家は水害で流されてしまい、四カ月間という長い間テントで暮らしたそうです。慈済が災害支援に駆けつけると、彼は慈済の被災者雇用制度に参加して、仮設住宅の組み立て作業に従事しました。彼は村の年寄りや片親の家庭を優先的に入居対象に選んで、自分の家は後回しにしていたのです。私は感激しました。
 
インタビューの時、アトラは「苦難の人を見るに忍びないのです。例えば、年老いたお婆さんや母子家庭の苦労を目にすると、私までもらい泣きしてしまいます」と言いました。敬虔なイスラム教徒のアトラは、愛に満ちた心で一心に仮設住宅を組み立てていました。
 
「この世のあらゆるものは、人間の所有物ではありません、あっという間に神様に召されてなくなります」とアトラは言いました。この言葉は、私が災難に対して持っていた考えを変えました。
 
インタビューに応じてくださった方々は皆私の人生の先輩です。李暁卿医師は驚くべき意志力をもって、挫折や困難に遭っても、堅い決意を持って乗り切れることを教えてくれました。それに年齢は決して夢を阻む足かせではありません。いくつになってもゼロから立ち直せるのです。
 
アトラの例から楽観的な人生観と、他人を利するという考え方を学びました。逆境に直面して平常心でいられるかどうか、これは人生の重大な課題の一つです。
 
私はインタビューで出会った人を大切にしています。上人の言葉にもありますが、人はその人生すべてが一編の経典であり、私はその奥深くに眠る宝を探しているのです。慈済のメディアの職員と慈済委員(慈済の幹部ボランティア)という二つの任務を担う私は、この仕事を通して慈済の歴史を残し、人類の美しい模範となるよう努め、人心を浄化するメディアの中の清流でありたいと思っています。私にもできるはずなのですから!
No.249