慈濟傳播人文志業基金會
尖った筆をしまい、 月夜のように澄んだ心で綴る
美しい善い話を書き慣れた私に疑問が浮かんだ
色彩のない文章は読者に受け入れられるだろうか
津波が襲ったスリランカを訪れた年のことだった
 
 
小さい頃、親の寝床に潜りこんで、自分が全世界を駆け回って旅している姿を想像するのが好きでした。少年になってからは、ベッドの上に横たわり、よく本を読みました。とくに『西遊記』がお気に入りで、孫悟空が天宮で大暴れしたり、化け物を退治して悪魔を追い出したりする場面をワクワクしながら読み、疲れたら眠ってしまいました。夢の中で自分が孫悟空となり、宙返りして遠くの雲へ飛び上がるのは、何より楽しいことでした。
 
結婚後、マレーシアのクアラルンプールへ行って事業を始め、そこで定住しました。あらゆる夢は現実の生活に直面して、崩れ去ってしまいました。創業の頃は借金の返済に追われる毎日でした。異郷での苦しい暮らしは涙なくして過ごせません。毎日の仕事と返済の不安とストレスで、精神的に参り、いっそ窓から飛び降りて一生を終えようと思った時もありました。
 
悲しみに苛まれ、話し相手のいない私は、筆を取って小説を書き始めました。あらゆる愛、恨、情、仇を登場人物を通して表し、現実の社会へのささやかな抗議に代え、ストレスを発散していました。楽しみなどありません。幸せなど私にとっては夢物語であり、手が届かないものだと思っていました。
 
ある日、中華大会堂という華僑の施設で、有名な台湾人作家の高信疆さんの講演会に参加した時、證厳法師のことを聞きました。その夜、私は涙を流しながら思いました。一人の出家僧がどれほど苦労をして病院を建てたのだろうと。證厳法師の苦労は、私がしている苦労の千倍にも上るに違いありません。この時から證厳法師と慈済という仏教団体のことが、私の心に深く刻み込まれました。私が長年迷い探してきた物を、やっと見つけたような気がしました。
 
考え方が変わると
空まで違って見える
 
その後、慈済を探し当てるのに七年間もかかりました。ある日、見知らぬ一人の女性が私に近寄ってきて募金を呼びかけ、会員になりませんかと誘ってくれたのです。入会申込書に記入している時、私は手が震えていました。心の中で「見つかった! やっと見つかった!」と叫んでいました。
 
険しい人生行路の果てに、やっと帰依するものが見つかりました。これからは混沌とした浮世の中で、迷わずに済むのだと思いました。曇っている心がすっかりと晴れました。手に持っている筆は、もう恨みを発散させるための道具ではなくなりました。ここで出会う人々の人生には、単なる苦しみだけでなく、病を患う痛みがあり、血の滲むような悲しい社会の真実が見えます。私は慈済のボランティア記者として、それらを一篇一篇の文章に書き綴ることになったのでした。
 
この世はなぜこんなに苦しいことが多いのでしょうか。私は取材と執筆の仕事を通して、人々の人生について聴いて、書いて、苦しみを分かち合っています。インタビューの時はいつも涙が溢れてきて、心が痛むのです。
 
一年、また一年と月日は流れ、苦難の人々の物語を綴っているうちに、自分の境遇も忘れてしまいました。以前の苦しみは何でもなくなり、空を仰ぐと幸福は頭の上に、すぐそばに、心の中に、一念の中にもあると感じるようになりました。
 
しばらく愛と善行の話ばかり書くうちに、自分の文章が色褪せてきたように感じ始めました。文才もない私のような者が、「愛」と「善」を綴っているだけの平凡な文章で、誰かを感動させることができるのだろうか、とジレンマを感じるようになりました。ちょうどこの時、スマトラ沖地震が発生したのです。被災地の取材を通して、私はもう一度、文章について考え直すことができました。
 
私はボランティアと一緒に被災地を訪れ、泥と瓦礫の積もるスリランカのベントータ海岸へ行きました。泥沼と瓦礫の上を歩いていると、死体の臭いが漂ってきました。災害から何日も過ぎて、悲惨な情景が目の前から消えても、被災者の心に癒えない傷口となって強く残ることでしょう。
 
毎日被災者の口から聞く話は、亡くなった人や倒壊した家のこと、幸いに生き残ったけれど何一つ残っていないということばかりでした。話を聞いているうちに、私の中に、「この人たちの明日はどうなるのだろう。明日は笑えるのだろうか」という疑問が起こりました。私にはその答えは分かりませんでした。ただその場で、彼らの悲しみに苛まれる顔を見ていたくありませんでした。かといって、ただ同情していても仕方ないのです。その時、慈済の配付した物資とボランティアの抱擁が、本当に被災者に伝わったのかという疑問が生まれました。
 
お金で買えない筆を持って
 
テントの側にある空地で物資を配付している時、ふと顔を上げると、空に月がくっきりと見え、優しく大地を照らしていました。月はまるで母親のように優しく被災した子供たちを抱き込んでいるようでした。
 
その時、一人のおじいさんが近寄ってきて私の袖を引くと、テントを指差したのです。見ると、机の上にあるのは證厳法師のお写真と配付物資の米袋から切り取った慈済のマークでした。私は自然に跪いて礼をしました。起き上がった時、おじいさんも私のまねをして、感謝のお礼をしていました。
 
おじいさんは立ち上がると、私に向かってにこやかな笑顔で手を合わせました。私は、心の中から来てよかったと思い、心が安らかになりました。
 
おじいさんも苦しい時に愛を受けたことで、未来に立ち向かう勇気が出て、心から笑えるようになったのでしょう。そして心の中が温かくなり、苦痛も絶望も薄れたことでしょう。
 
このような美しい話を書かずにいてよいのでしょうか。この愛を私の筆で広く伝えずともよりのでしょうか。慈済の行く世界には美しい善い話があり、そのすべてが「大蔵経」の一部のようです。私はこの中の一人になれてとても幸せです。これほど多くの人の人生を見ながら、悲しみと喜びを分かち合えることを心からありがたく思いました。
 
言葉を飾ることはできませんが、ただ簡単な言葉で真実に忠実に書くことを学びました。あの時、筆を放さないでよかったと思っています。二十年間、真善美の記録ボランティアをしてきた中で、幸福を探し出しました。人々の物語を書くことで自分自身が豊かになりました。
 
あの時の明るい月と一本の筆が、私の心の糧です。お金で買えない宝物なのです。
No.249