慈濟傳播人文志業基金會
朝日のように鮮明な記憶
他人の目には、北朝鮮は神秘で閉ざされた国の見本のように映る。だが、私が触れ合った北朝鮮の人々は、純朴で、どんな苦労にも耐えて必死に生きる勤勉な人々である。
 
これまでに多くの国を取材で訪れた。どれほど辺鄙で遠い農村も、いつか再び訪れることはできる。しかし、北朝鮮を離れるときは、この人たちにまた連絡することは二度とできないと感じていた。
 
私はこれまで十年以上にわたり、ボランティアと一緒に北朝鮮の被災地の救援活動に参加してきた。もう五回参加している。北朝鮮に行くなど、ほとんど聞いたことがない。五回の北朝鮮訪問の経験は、私が三十数回にもおよぶ海外の被災地救済の取材をしてきた中でも最も特殊で、心に残るものとなった。一生忘れられない神秘的な国である。
 

世と断絶した国で、

国民の真心を探り出す

 
今でも覚えている。五回目に北朝鮮へ行った時、配付活動がまだ終わってないうちに、中断させられたのだ。なぜなら、北朝鮮の人にとって偉大な指導者である金正日が急逝したからだ。そのため、国内の外国人はすぐに北朝鮮から去らなければならず、海外にいる北朝鮮の国民は、できるだけ早く帰国して、国家指導者の葬儀に参列することになったのだった。
 
その日の正午、各農村の拡声器がこの消息を放送すると、多くの婦人は悲しさのあまり天に向かって叫び、頭を地にすりつけ、ほとんど気絶しそうなほどだった。そして、私たちの側にいる随行員も悲しみのあまりぶるぶる震えている。私は、指導者が急逝したことに彼らが示す哀悼の姿を見て、作り物ではないと感じた。
 
北朝鮮の人は自分たちの国と韓国を、同じ「朝鮮」だと考えており、南側に位置する韓国を「南方」と呼ぶ。一方、韓国の人は北朝鮮を「北の韓国」と呼んでいる。
 
多くの国や都市を取材してきたが、携帯電話を没収されたのは、北朝鮮に入国する時だけだ。北朝鮮を出る際、ようやく返してもらえた。だから北朝鮮で取材をすることは、この世と断絶するようである。もし滞在中に外と連絡しなければならないことがあれば、ホテルで高い料金を払って国際電話をかけるしかない。
 
この国に来るたびに、まるでタイムトンネルに入ったような気持ちになる。平壌の数多くの象徴的な建物を除けば、庶民の生活には長年大きな変化がない。首都の道路は広くて清らかである。しかし、車はあまりないようだ。高層ビルが多くあり、近代的な都市のように見えるが、そこに住む人はごく少数だ。北朝鮮の人の住宅は国から配給され、人々は住む家があることを誇らしく思っている。しかし、多くのビルにはいつも電気がない。
 
インターネットは現代人の生活様式を変えたが、この国に住む多くの人は、インターネットを使うことを禁止されている。北朝鮮の人々は、そのまま世と断絶した「理想郷」を保って生活を続けているのだ。
 
インターネットを使えないので、北朝鮮の人は地球のほかの国のことを知らない。国際情勢や歴史について、幼い頃から特定の解釈あるいは歴史観を与えられているので、国民の口ぶりと考え方はほとんど一致している。
 
慈済は、地球上にわずかに残されたこの共産国家で、長年にわたって「直接的、重点的、実質的に」という配付活動の原則を守ってきた。双方が何度も打ち合わせをした結果、互いに尊重し合って、救援活動をスムーズに行うことができるようになった。
 
北朝鮮の国内で、多くの慈済ボランティアと村民が配付会場の農場で集まって、村民に大きな包みの米を手渡しすることを許可されたのは珍しいことだ。また、農家への訪問も許可された。外国の政府関係者や慈善団体の中では前例がない。慈済はこのように大規模な救援活動を通して北朝鮮の人々と触れ合い、交流することができた。警備された中での公の場であったが、彼らの表情には、誠実さと真心がはっきりと示されていたと感じた。
 
●前国家指導者の金正日が急逝したとの訃報を聞いて、人々は天に向かって泣き叫び、地面に頭をすりつけて悲しんだ。平壌市民が総出で列に並び、そこかしこに見られる金日成、金正日の牌坊の前に、一人一人近づいて黙祷していた。
 
 

北朝鮮の友を懐かしみ

情勢に関心を持つ

 
北朝鮮の人は自尊心が強く、勝ち気な面を持っている。彼らは、長年にわたって天災に見舞われ、穀類生産量が減少し飢饉に苦しめられてきた。海外援助を求める反面、国の困窮した様子を世界に知られたくはない。このように、政治的な建前が第一という国家で、最も苦しい目に遭っているのは、貧しい民衆である。
 
慈済は慈善志業の救援活動においては政治には干渉しないことを原則としている。本当に関心を持つべきことは、民衆や随行員、通訳、情報員に至るまで、知り合った人々の暮らしについてである。何日か付き合う中で、私たちに対する彼らの警戒心も和らいだようだった。
 
そこで知り合った若い通訳者との会話を今でも覚えている。台北で家を買うのは容易ではないことなどの話題のほか、「共産主義は国民皆が平等でいられる体制だ」という言葉を彼から聞いた。彫りが深く体格もがっしりとしていて、韓国の人気タレントにも劣らない外見をしている。彼らは、もちろん資本主義国家が進んでいて、豊かなことを知っている。「私は、貧富の差があることはよくないと思います……」。そう語る彼に対し、実は私もその点については認めざるを得ないと感じた。
 
政治や思想を別にすれば、北朝鮮はとても魅力がある国だ。とくに農村には素朴な美しい風景が残っているのは忘れられない。稲の成長促進剤を配付する時に、大きなバケツいっぱいの薬剤を、どうやってトラックに運ぼうかと考えていると、村人がすぐに木の板とクヌギのベルトを持ってきて、大きなバケツのベルトを掴んで引っぱりながら、あっという間に運んでくれた。
 
北朝鮮は長年国際社会の制裁を受けているため、生活必需品や燃料の入手が極めて困難だ。だがこの状況に対して、勤勉で賢い北朝鮮の農民は、困難に直面しながらも挑戦する方法がある。例えば、慈済の配付活動の会場にはいくつかの農業用車両が置いてあるが、その車輪の皮が摩擦によって溝がなくなり、滑りやすくなっていても、車輪の皮を補強して使う。また、車のエンジンのメカニズムを変え、まきを燃やして駆動させる。私達はそれを見て、開いた口がふさがらなかった。
 
今の北朝鮮の民衆の貧しい状況は、まるで一九五〇年代の台湾と同じである。證厳法師は彼らを愛おしんでいるだけではなく、彼らの質素倹約に努め勤勉に働く姿に共感され、彼らがこの難関を乗り越えられるよう、できるだけ助けてあげたいと願っておられるのだ。
 
●北朝鮮では生活必需品と資源が長年不足しているうえ、旱魃により農作物が減収し、どうしても国際援助に頼らなければならない。だが、楽観的で団結心の強い北朝鮮の農民は、心配そうな顔は滅多に見せない。
 
私は、慈済の記者として、ボランティアたちと一緒に北朝鮮を五回訪問する機会があった。そして北朝鮮の通訳や情報員と友達になり、互いにメールアドレスや電話番号、勤め先の住所などを交換した。だが私は、この国を離れた後、彼らと再び連絡を取ることはできないことを知っている。私は住所宛に贈り物を郵送し、メールも送ったことがあったが、予想通り相手からの返事はなかったからだ。
 
私は、当時二十歳くらいの安という若い女性通訳者を思い起こす。彼女は中国語の通訳員だったが、私たちは彼女の中国語をあまり理解できなかった。最終日、空港まで送ってくれた彼女は、はるかに遠くから私たちに向かって手をふり、涙を流していた。この別れの意味について、彼女はよく分かっているのだと思った 。将来再会する日はないと思っていたのだろう。
 
二十年来、数多くの海外の被災地で慈済が行っている救援活動や訪問ケアを取材してきた。どれほど辺鄙で遠い農村であっても、再び彼らを訪れることはできる。だが、北朝鮮という国だけは、一歩そこを出ると、もう二度と連絡することができない。「ユートピア」への道を探しても、到達することはできず、切なさがつのるだけである。
 
ここ数年、北朝鮮に関する報道が多い。私は、ただ黙々と情勢に関心を持つしかない。かつて彼の地で知り合った多くの人々。みなさん、お元気ですか。
No.249