慈濟傳播人文志業基金會
ポルトガル森林火災
ポルトガルの領土の三割は森で、しばしば火災に襲われる。
二〇一七年六月と十月に、高温と強風の相互効果によって
森林火災が起き、台北市十九個分の面積を焼き尽くした。
その中には国家保護の対象で七百年以上の樹齢を持つ林も含まれ、
ポルトガルでは今までで最も厳しい天災となった。
 
ポルトガルはヨーロッパの南部に位置し、北大西洋に面している。スペインに隣接し、海を隔ててアフリカのモロッコにも近い。気候は温暖で、人々の心も温かい。
 
十五、十六世紀のポルトガルには多くの航海冒険家が現れた。外へ領地を広げようとして海上の強国となったが、現代のポルトガルの街を歩くと、南ヨーロッパ特有のゆったりとした雰囲気を感じる。しかし、災難の観察や救援に関しては、このようなゆるやかなテンポでは焦りを感じざるを得ない。
 
二○一七年、ポルトガルは二回の森林火災に襲われた。場所は首都リスボンから車で三時間半の距離の中部地区である。一回目は六月で、二回目は十月だった。焼き尽された面積は五十二万ヘクタールで、台北市の十九個分に相当する。それにより一千五百世帯が損害を受けた。十月の森林大火は、ポルトガルの外海を通過する台風に出会い、強風に巻き込まれた炎がすばやく蔓延し、収拾のつかない事態となった。
 
●ポルトガル中部のビセル省にあるワゼラ市は20000人の人口を有する。森の火災で150軒以上の農家が被害を蒙り、総額約800万ユーロの損失を受けた。
 
二○一七年十月、私はイギリスのニュースでポルトガルの森林大火の報道を見て、焦りと悲しみの気持ちで一杯だった。言葉が通じないし、現地に慈済のメンバーがいなかったため、ただ関心を持ち続けることしかできなかった。十一月に台湾に戻った後、ドイツに住む林美鳳師姐とこのことを話したところ、リスボン在住の友人で弁護士でもあるペトロ・ピント・ドアルトさんに協力してもらえるかもしれないことを知った。
 
それからポルトガルの国会議員であるペドロ・アルベスさんがポルトガル駐在の台北経済文化センターに助けを求め、王楽生さんが代表として慈済基金会に二度も救援の要請の手紙を届けたことを知った。
 
慈済の調査チームは十一月二十七日の出発を予定していたが、ポルトガルの連休にぶつかった。それに政府からの回答はかなり時間がかかっており、スケジュールを立てるには難しかった。それでも皆が焦りの気持ちを抑え、誠心誠意話し合いを続けた。そしてついに台北経済文化センターやぺトロ弁護士などのたゆまぬ努力のもとに、支援団は十二月五日にポルトガルに到着することができた。
 
ポルトガルには三大発展委員会があり、ヨーロッパ連合からポルトガルを援助する資金を管理している。その中にあって火災の再建経費については中部発展委員会(Centro Regional Coordination and Development Commission)が統一管理していた。被災した家庭ごとに五千ユーロを援助したほか、その費用は地方再建に使われることになった。
 
我々は中部発展委員会の主席であるアンナさんを訪ね、ポルトガル駐在台北代表センターのメンバーにも同伴してもらい、被害地区であるトンデラとワぜラの二つの市の団体と会見した。
 
 
大火から二カ月余りが過ぎた頃、我々は被害が最も厳しい村を訪ねた。沿路に黒く焦げた樹木や土地、屋敷を目にした。市は屋敷が全焼した民衆を安置したが、再建の道はまだほど遠かった。
 
五日間の被災観察を通じて、被害を受けた家庭のメンバーの年齢はやや高く、生計を頼りにした農場から農具や穀倉、家畜などは完全に焼け尽されたことが分かった。今年の二月二十四日、二十五日の二日間で、七カ国から六十八名のボランティアが二つの都市で三回の物資配付を行った。合わせて四百九十一世帯に民生用品と農業道具を購入できる購買券、山の防寒に適した慈済リサイクルマフラーが配付された。
No.258