慈濟傳播人文志業基金會
菜芯お婆さんの大願
皆は高齢のお婆さんに「リサイクルのことを止めて、
自分の身体を大事にしようよ!」と口々に勧めていた。
「病気で死ぬより、やれることを死ぬまで続けた方がいいです」と
お婆さんは願を打ち明けた。
 
嘉義県中埔郷にある「田」の字型の別荘のような家に辿り着いた。庭先ではみずみずしい緑の木々や、咲き誇る色とりどりの花が迎えてくれた。高貴な赤いバラの淡い香りが漂い、一株の大輪のハイビスカスが秋風にゆれている。
 
このような古風な庭作りの主人は、恐らく気品があり素敵な人だろう、と想像しながら進んでゆくと、そこに白髪をショートカットにして満面に笑みをたたえた菩薩のような老婦人が出てきて、親切にボランティアを出迎えてくれた。
 
目の前の優雅な環境からは資源回収という仕事を想像しがたいが、環境保全の菩薩、羅劉菜芯さんはまちがいなくこの家の主人である。
 
 

環境保護に一歩踏み出す

 
二十八年間環境保全をしてきたベテランの菜芯さんが話してくれた。「当時、鄭富美師姐(師姐は慈済の女性ボランティアの呼称)に誘われてリサイクルを始めたのです。しかし、どこから始めたらよいのか分かりませんでした。それに、世間の目も気になりますからね。実行するのに心の壁を越えなくてはなりませんでした」。心配したのは、町内の知り合いや隣近所の人に見られることだった。
 
「そこである方法を考えつきました」。菜芯さんはそう言うと、日よけ用の帽子を取り出し、頭にかぶって顔をしっかり覆って二つの目だけを出してみせた。その格好で安心してボランティアに出かけていったのだが、地元ではすぐに見分けられてしまった。
 
(撮影/楊孟仁)
 
ある人は不思議そうな眼で、「子どもが親不孝で生活にでも困っているのか?」とか「年になっても小遣い銭を稼いでいるのだろう」などと陰で言う人もいた。それで菜芯さんが出かけると、商店街の人々が店先に出てきて注目の的になった。そのように噂を飛ばされていた最中に、お婆さんは思い切って自分に関する噂について、次のように説明した。「私がリサイクルをしていることは確かです。でも、それで得たお金は自分のためではなく、證厳法師に困窮者への支援に当ててもらうよう、慈済に寄付しているのです。それに、『資源を回収して地球を護る』と法師に教えられているのです」
 
昔、ゴミの収集所には廃棄物を収集するためダストボックスが置かれていた。そこで、ダストボックスの中にリサイクル物がたくさんあることを、目の利く菜芯さんは発見した。小柄な菜芯さんは、ダストボックスの中を覗き込んで再利用できる物を掘り出していたが、ちょっとした不注意で中に落ちてしまい、顔が赤く腫れ上がってしまったことがあった。
 
菜芯さんは家族に本当のことを言えず、「私もよく覚えていないのだけれど、家の中で転倒してしまったのよ」
 
ある日、近所の人が大量の段ボール箱を燃やそうとしているのを見かけ、物を大切にする菜芯さんは、すぐさまそれを止めて、段ボール箱を貰い受けた。
 

泣くに泣けず笑うに笑えず、

気にもせず

 
菜芯さんは台車を押しながら町並みに沿って回収をする。長く続けるうちに商店街の人と気心が知れるようになった。皆が自発的に段ボール箱やボトルや空き缶などを取っておいてくれるので、お婆さんは毎日のように回収しなければならない。また、自宅まで持ってくる近所の人もいる。回収した廃棄物は自宅の車庫で分類している。
 
しかし、時には資源回収だというのに常識外れの人もいた。汚れた枕や束ごとの箒、それに使用済みのちり紙まで持ってきたので、あきれて泣くに泣けず笑うに笑えず、「我が家をゴミ捨て場とでも思ったのでしょうか。でも、私は気にしません。かえって、自分の悪業が減り、慧命が増すと思いました。また、私が整理した回収物を盗みに来る人もいます。誰がやったかも知っていますよ。でも私は追及するつもりはなく、気にもしないのです」
 
時間を大切にする菜芯さんは、井戸端会議をしている人々を見かけると、「世間話をするのは悪業が増し、人生が無駄になるので、むしろ念仏やリサイクルをした方がましですよ」と話す。
 
すでに十数年前に菩薩戒(大乗仏教の戒律)を受持したお婆さんは、ひたすら極楽往生の強い想いを込めて、毎日「阿弥陀仏」の四文字を七時間も唱え続けているそうだ。
 
「私は死後西方浄土へいくことを切に願っているので、朝の勤行に念仏を唱えます。午後回収と分類が終わると、仏堂で念仏を唱えながら繞仏を(阿弥陀仏を唱えながら仏堂内をぐるぐると歩くこと)二十一周していました」。信仰心の篤い菜芯さんは、「念仏を唱えるとき、海青(仏教徒が法事を行う際に羽織る黒い袈裟)を羽織らないと、念仏を唱えても意味がありません」と言う。
 

甘んじて尽くし、喜んで受ける

 
八十八歳の菜芯さんが育てた三人の子どもはみんな立派に成長した。今は末っ子と一緒に住んでいる。今までの自分の人生について語ると、「大変な苦労をしてきましたが今は幸せですよ」と言って彼女は幸せそうな笑顔になった。
 
「昔は経済的に苦労した時期がありました。お米を買おうとしましたがツケ払いをさせてもらえず、すでに手にしたお米を店の人に奪い返されました。また、子どもの学費を払うお金がなかったので、『女の子は、いずれ嫁に行くのだから学校には行かなくてもいい』と冗談を言った人もありましたよ」
 
●お婆さんは台車を押しながら町並みに沿って廃棄物を回収する。商店街の人が段ボール箱やボトルや空き缶などを取っておいてくれるので、お婆さんは毎日回収しなければならない。(撮影/郭富美)
 
「家計が苦しい時期、私はそんなつらさを経験することで自分の悪業が軽くなると前向きに考えました。以前健康診断で血糖値が高いと言われましたが、リサイクルを楽しくしているおかげで今はもう大丈夫ですよ。子どもは私のことを大事にしてくれます。出かけるとき末っ子はいつも私と手をつなぐので、とても嬉しく幸せだと思っています」
 
「念仏の際に、いつも仏様に『どうか私が病気もせず、災難にも遭いませんように、そして死の間際までリサイクルをやり続けられますように』と祈願していました。まあ、家族の迷惑にならないように、できれば私がこの世を去ってから身内に知らせてくれればいいですね。みんなの時間が無駄にならなくて済みますから」。菜芯さんはそう願っているそうだ。
 
すでに高齢の菜芯さんに、「リサイクルを止めて、自分の体を大事にした方がいい」と、皆が口々に勧めていた。でも、「病気で死ぬより、やれることを死ぬまで続けた方がマシです」と、智慧のある菜芯さんは願を打ち明けた。
 
腰にサポーターをつけていたが、関節は老化が進んでいたため、時々しくしくと痛みを感じる。でも、お婆さんは、「この痛みで自分の悪業が軽くなるのよ!」と強い意志をこめた瞳で再び前向きになった。
 
菜芯お婆さんは、ゆうゆうと晩年を過ごせるはずなのに、数十年間を一日の如く、資源回収の道を貫いてきた。月日の経つにつれて、お婆さんは、自分がまだリサイクルをやり続けられる幸せを大事にして、今日も回収台車を押しながら大通りや路地を通り抜けている。   
(慈済月刊六一五期より)
No.258