慈濟傳播人文志業基金會
有情の世界
我々は有情の世界に対する意識や感情から離れることはできません。
しかし、心の動きをたどり、
今の状況をじっくりと考えることはできます。
良くも悪くも感情により縁が結ばれることから、
諸々の執着が生まれ、様々な苦境に陥った時でも、
解脱して自由になるにはどうしたらいいかを、
少しずつ思い描くことができる可能性を秘めているのです。
 
人間は生まれてから死ぬまで、感情の世界で自分の存在を体験するのです。俗にいう「三なし女」とは、親なし、夫なし、子供なしの女性のことですが、私は今、母が健在ですし、「何かが欠けている」という感覚はなく、親縁に満たされています。兄弟が多いため、甥や姪が続々と生まれてきて、私のことを「おばさん」と呼ぶ人が増えてきています。
 
最近実家に電話をし、母の様子を伺いました。弟の娘が電話に出てきて、「伯母さん」と呼んでくれました。幼く可愛い声を聞くと、心に花が咲いたように嬉しくなりました。両親は、毎日お爺さんお婆さんと呼ばれ、さぞ気分がよいことでしょう。
 
私の母には三人の曾孫がいて、一人はまだ赤ん坊です。子煩悩な母のことですから、心の中は幼い曾孫のことで一杯で、いざその時が来ても、往生できないのではないかと思い、孫離れをしてはどうかと母に薦めてみました。ですが、自分の一生は家庭だけという古い考えを持つ母にとって、それは極めて困難なことだと思いました。その後、本人さえよければそれでよいのだと思い、私は口を挟まなくなりました。
 
 
家族の感情は全ての人類の感情関係の中においては、もっとも自然で温かいものだと思います。友情は素晴らしいですが、老いた友や親友、益友は得難いものです。家族といえどもお金が絡んで感情がこじれることはありますが、ほとんどの人は家庭での家族の感情を温かく感じることができます。
 
衆生は有情衆生と呼ばれます。衆生は感情のある世界に存在しています。生まれては消える縁の中で、さまざまな感情を体験していくのです。仏陀の解脱と悟りは、このような有情の世界を観察し、その本質を考え、感情という束縛の網から完全に解き放たれたという意識を持つことと、大きく関係していると言えます。
 
凡人である我々衆生にとって、日常生活の中においてこのような有情世界から離脱することはできませんが、仏陀に習い、自分の今までの心の動きをたどってじっくり考えると、良くも悪くも感情により縁が結ばれることで諸々の執着が生まれ、様々な苦境に陥ったとしても、解脱して自由になるにはどうしたらよいのか、少しずつ思い描くことができます。その可能性が我々衆生にはあるのです。
(慈済月刊六一一期より)
No.258