慈濟傳播人文志業基金會
心の幅を広げ 生命線を伸ばす
長さ、幅、温度で形作られた時間の哲学。
魂の目でこの世の苦難を見、
有限な時間を無限の空間へと拡張する。
 
 
 
ハイテク産業のCEOから慈善組織のCEOへ――。半導体大手のCEOであった顔博文は、退職後、慈済基金会の慈善志業へと転身した。今では毎晩十時に就寝し、起床は午前四時。仕事のリズムと献身ぶりは過去のビジネスマン時代をしのぐ。
 
痩せ型の身体をブルーのジャケットと白いシャツに包んだ顔博文は、慈済基金会CEOを引き継いで数カ月のうちに五キロほど痩せたと話す。「過労のためではなく、感銘を受けたからなのです」。減量は意識的なものだった。
 
この一年、頻繁に花蓮の静思精舎を訪れている顔博文は、度々證厳法師と食卓を共にする機会があった。国内外の慈善事業に携わってきた痩身の師匠の食べる量は意外なほど少なく、自分の飲食の量も少し減らさなくては、と感じた。
 
六十歳を過ぎた彼のBMIと血圧の数値は以前より標準値に近づいた。仕事の時間は長く、休みはほとんど取れないが、体力や精神状態は以前より改善したと彼は感じている。「今の労働は、使命感のある忙しさです。心の状態が全く違います」
 

有限の時間、無限の精神

 
過去三十年間、半導体ハイテク産業に従事してきた顔博文は、頭を働かすことが習慣となっている。テレビを見ている時でも情報を収集し、「これが私にとっての休息ですね」と話す。
 
UMCの経営陣であったころ、彼はほとんど旅行に出かけることはなく、出国するといっても出張のためであった。二○一一年、ほとんど欠勤したことのない彼が唯一欠勤したのが、慈済ボランティアとともに東日本大震災津波被災地に見舞金を届けに行った時だった。その数日間は彼にとっての休日だった。
 
時間の利用と効率にかけては普通の人より優れている、という自負があった。だが、花蓮で法師の日常を目の当たりにして、自分はまだまだ時間を浪費しすぎていると感じるようになった。どんなに「忙しい」と言ったところで、自分にはまだ寛ぐ時間があるが、師匠は年中、いや終生、無休なのだ。「法師は気楽におしゃべりをしているように見える時でも、言葉の端々から世界の慈済の事業について考えていることが見て取れます」。こうして彼は時間をもっと有効に活用することを自分に誓った。
 
Profile 顏 博文
1982年台湾大学化学工学研究所修了
1986年UMC(聯華電子)入社
2016年「SEMI永続製造リーダーシップアワード」受賞
2017年6月CEOを最後にUMCを退職
2017年7月慈済慈善事業基金会CEO就任
 
一日二十四時間、秒にすると八万六千 四百秒。「でもこれは時間の長さだけを言ったものです」。顔博文は誰もが毎日同じ長さの時間を持つが、しかし法師の時間の「幅」は、他の人とは違っていると感じている。皆でアメリカ・テキサス州のハリケーン・ハービー災害への援助計画を話し合っている時、法師は同時にメキシコ地震災害調査の進捗状況、アフリカ・シエラレオネ共和国の慈善プロジェクト、タイの水害やフィリピンの台風の現状等にも注意を払い、質問する。彼から見ると、法師の思いやりや関心は、「点」ではなく「面」であるということだ。
 
顔博文は、時間は「線」ではなく、時間には「長さ」と「幅」があると考えるようになった。「長さと幅を掛け合わせれば、時間の面積は拡張できます」。法師が一日にあんなにも多くの事を処理できるのはこのためだ。そして、法師はそれを数十年繰り返してきたのである。
 

帯域幅を拡大し、

人生をより豊かに

 
時間が足りないと感じるなら、時間をより有効に活用するほかない。「幅で長さの有限性を補うのです」。時間の幅を広げたいなら、「心を込める」ことがその動力となるかもしれない。
 
顔博文はインターネットの通信技術を例に挙げる。「帯域幅(band-width)を拡大すれば、同じ時間の長さにおける情報伝達量が増加します」。ハイテク産業でよく話題になる3G、4G、5Gというのは、通信システムの進歩を表す。「後代ほどインターネットの通信速度は加速していますが、それは幅を拡大させたためです。これにより、データのアップロード量、ダウンロード量も大幅に増加しました」と強調する。
 
この角度から彼の例え話を引き伸ばして考えるならば、視野と心の幅を広げれば、長さには限りある人生を、より広々とした豊かなものにできるということだ。「時間を正しい方向に用いれば、多くの人を利することができます」
 
この時間の「幅」というものから、顔博文は千手千眼観音菩薩を思い浮かべる。一人の人には二つの目しかなくても、五百人集まれば千眼である。「法師は慈悲の心により、その視野が広がり、五百人の目が見るものを一人で見ることができるのです」
 
八十一歳の證厳法師は、実は自分の視界はぼやけているのだと話す。法師は折に触れてボランティアに「耳で見、目で聞きなさい」と諭すが、それは「心を込める」ということにほかならない。目がどんなによくても、見て見ぬふり、聞いて聞かぬふりをするなら何の意味もない。法師は心の目で感じているからこそ、世界の変化や災難に特に敏感で、それらを憂うのであり、そしてこれこそが「時間の幅の拡張」であると顔博文は考えている。
 
●顔博文(右)は慈済慈善事業基金会CEOに就任後、毎日様々な会議に出席する。出張の時以外は、昼は花蓮の本部で公務を処理し、夜は職員宿舎へ戻る。
 
自分の過去を振り返ると、努力はしてきたが、「家業」と「事業」のためだけに時間を使ってきたのではないかと顔博文は反省する。現在彼にはその二つ以外に、慈善という任務での「志業」も加わった。これは彼の人生の視野を広げたのみならず、時間の幅も広げた。
時間の温度、人を根本とする
 
ある人が一分一秒を惜しみ、懸命に働いたなら、時間を「効率的」に使ったと言うことはできるかもしれないが、「効果的」に使えたことになるとは限らない。とくに事業の完成と利益獲得のためだけに時間を費やしたなら、その過程で人と人との間の「温度」が失われることになりがちだ。時間には長さ、幅で構成される面積以外に、「温度」の要素も必要であり、これにより時間はより立体的になると顔博文は考えている。
 
ハイテク業界でCEOを務めている間、多くの決定は「自分の一言で決めていました」と言う。企業は目標の達成が何よりも重要であり、その過程においては「人」ももちろん大事ではあるが、「しかし結局、人と組織は企業の利益獲得という目的のために存在しているのです」と話す。そのため、何事も「その事柄について論じる」だけで、人や感情は決して最優先事項とはならないのだ。企業の経営者にとって最も重要なのは決算報告書の数字であると彼は言い切る。
 
利益獲得を目的とする企業から、慈済基金会CEOへと転じた顔博文は、「慈善は人を根本とする」のだと知った。慈善の使命は人が成し遂げるものであり、人と人との間のコミュニケーションや、使命を寄せ集めることが相対的に重要であり、また、最も重要であると彼は話す。この「温度」というものは、自分が今最も学ばなければならないものだと彼は自認している。
 
法師は「人と人とのコミュニケーションと成長」を最も気にかけているようだと顔博文は感じる。物事がうまくいかなかったとしても、また努力すればそれでいいのだ。「しかしおもしろいのは、こうしたやり方により、多くの難しい任務が成し遂げられているということです」。人情や「温度」を重視する思いやりがあったからこそ、法師はボランティアを率いて多くの難しい事業を成し遂げてきたのだと彼は思う。
 
過去の職場において、自分の能力に自信を持っていた顔博文は、自ら進んで人と付き合うことはなかった。「何事にせよ、自分の力に頼ればいいと思っていたのです」。しかし慈善志業に飛び込んだ彼は、「人とよい縁を結ぶ」ことの重要さを認識した。もちろんそれは目的のための手段というのではなく、多くの人とともに一つのことを成し遂げることの喜びを体得したということだ。
 

無私の奉仕、無上の喜び

 
二○○六年に慈済ボランティアとなった顔博文は、二○一七年、六十一歳で慈済慈善志業に転じた後、生活は以前よりも忙しくなったが、時間があっという間に過ぎていくように感じると言う。「喜び、楽しみ、感動している時、時間が短くなったように感じるものなんですよ」。おそらくそれはいわゆる寝食を忘れ、心から打ち込んでいる時の「忘我」の心境であるのだろう。
 
物理学者アインシュタインにとって、時間とは直線的なものではなかった。顔博文は、「運動の速度が加速したり、重力場が大きくなった場合、時間は遅くなる」というアインシュタインの相対性理論を例えに出した。実際にこの考えは科学的に証明されているのだ。「苦痛を感じている時に人は時間が過ぎていくのが遅いと感じ、楽しい時には短いと感じるのと同じです」
 
顔CEOの時間管理術
 
長さ‥誰もが等しく1日24時間、計8万6千400
   秒の時間をもっている。
幅 ‥慈悲の心と無私の心、さらに心を込めること
   で視野と心の広さを拡大すれば、時間の有限
   性を補えるだけでなく、より大きな面積を生
   み出すことができる。
温度‥人と人とのコミュニケーションにより互いに
   成長できる。人とよい縁を結べば、より多く
   の善事を成し遂げられる。
 
顔博文はベジタリアンとなって二十年以上、休日には環境保全リサイクル活動に参加する。身体を動かし資源を分類することで、運動と環境保全を両立できると言う。「時は金なり」という考えに基づくなら、ハイテク企業のCEOが資源リサイクルで得られる報酬は、ほとんど時間の無駄のようなものではないだろうか。一度の環境保全活動で集められるペットボトルは約千本、三時間働いても確かに大したお金にはならないと顔博文は言う。「しかしその楽しさは、お金には換えられませんよ」
 
企業経営のため、職務上の人や物事に対する決定は、必ずしも忠実に自らの心に基づくとは限らない。一方慈善志業において顔博文は、自己の心の声に耳を傾け、やるべきだと決意したことなら万難を排して奉仕するようになった。社会的弱者の団体や家庭の状況が改善したのを目にすると、「その見返りと喜びは、利益獲得の喜びよりはるかに大きいのです」と言う。
 
様々な業界から集まってきた慈済ボランティアは、「心を込めることこそプロ」という熱意によって公益を成し遂げてきたと彼の目には映る。また彼の「プロ」の定義も彼らによって打ち砕かれた。「たくさんの普通の民衆の大きな願力があんなにも多くのmission impossible(不可能な任務)を成し遂げてきたのです」。自分自身もその中に参加し、ともに使命を達成する中で、彼は感動すると同時に、時間の速さをしみじみと感じた。
 
彼はまた、證厳法師がなぜ常に「間に合わない」と言うのかも理解できるようになった。今生の時間が長いにせよ、短いにせよ、「人生はマラソンのようなものです。前半ペースが遅くたって構いません。走り続けることが大事なのです」。彼はこう会得した。
(慈済月刊六一七期より)

 

No.258