慈濟傳播人文志業基金會
時の寛度を高める
もしも、人は老衰や病による死亡という恐怖がなかったら、時間が足りないという緊迫感に襲われるだろうか?
 
證厳法師は「静思晨語」の中で《法華経、如来寿量品》を講釈されている。仏陀は計り知れないほどの時間をかけた修行の後に仏となり、広く衆生を済度したこと、寿命無量であったが、衆生が驕慢で怠惰にならないようにとの警戒心から、人間の法則に則って八十歳の時に入滅されたのだと話された。
 
ここで述べられていることの意味とは、人は「制限」に直面した時、やっと「自ら進んで行動する」可能性が起きるということである。
 
社会の変遷につれ、日に日に煩雑さを増すビジネスの場でも、時間を意識するようになっている。名利を求め、さらに経営をよくしたいと考えて、時間を有効活用しようと、苦労して駆け回るが、自分の生命がどれだけあるのかを知らないまま、結局は「死」という終点に向かう。生命の限度に向き合うために、私たちはどのようにして、時を見直したらよいのだろうか?
 
科学技術会社の執行長だった顔博文氏は、退職した後、すぐに慈済慈善基金会執行長の役目を引き受けた。顔博文氏は、時間の長短の差は「寛度」で補うことができると話す。たとえばデジタル通信の分野では、ブロードバンドにするだけで同じ時間内に送信するデータの量を増やすことができると言う。
 
「どれだけの仕事を完成させたか」に触れず、時間の伝送量を説明して、事をなすには大衆に利益することが出発点であって、相手の身になって感じれば眼界を突破し心を開拓することができる、たとえ人間関係で何か問題があっても、時を広めて乗り越えられると言う。
 
台中慈済病院の簡守信院長は生物学の観点から、もしも毎一秒間に精力を徹底的に使い果たしたら交感神経は極度にかたくしめつけられるが、マラソンランナーのように目標がはっきりしていて、リズム感があると、時間を有効に利用することができると説明している。この時間の正確な運用と、それによって身につく自信は、日ごろの行動の蓄積にかかっている。仕事を行う時も一歩一歩着実に行うことだ。細かく視角を切り替えながら自分の生活を観察するよう心がけていると、問題を解決する能力が高められる。
 
生活にリズム感があると、ゆったりとした落ち着いた気分になる。静思精舎の徳宣尼は、忙しいこととそうでないことはその数量に相当しないと話す。ただ、足腰がしっかりしていると、時間が迫ってくることへの緊迫感がなく、忙しそうに見えていても、心はゆったりしていると言う。
 
彼女の観察によると、證厳法師は常に「時間が足りない」、大地が急速に傷つき、自分の寿命もあまり残されていない、とおっしゃっておられるが、終始冷静で、少したりとも焦っている様子は見せられない。実際には、ますます緊迫した状況であるのだが、ゆっくり話されるので、聴く者の心が落ち着く。
 
今年の年始以来、法師は「寿命宝藏」の概念を提唱されている。それは、五十歳の年齢を預金し、実際の年齢から五十歳を引いたものが心理的な年齢であるとする考えだ。自分は老いたと思わず、休みなく善事を行い、細やかな心で人々のために尽くすと、慧命を精進させ、きちんと計画を立てて、時間を有効に使うことができるのだ。       
(慈済月刊六一七期より)
No.258