慈濟傳播人文志業基金會
故郷を蘇らせよう  災害を乗り越え村にとどまる(下)
二年前台風十三号で発生した土石流が、桃園市復興区合流集落を飲み込んだ。
被災後、四方へ避難していた村人は今年の八月ようやく故郷に戻り安全な土地に堅固な家を築いた。
災害に遭っても「村を捨てない」精神は台湾で称賛されている。
 

新技術を駆使して住宅建築を支援

 
二○一六年五月三十日、鄭文燦・桃園市長と林碧玉・慈済基金会福執行長は正式に契約書にサインした。そして十一月二十六日に合流集落の支援工事がタイヤル族の歌声のもとに幕を開けた。
 
市政府は生活、生産、生態の三原則を考慮して、旧集落から一・七キロ離れた羅浮里の中心地帯に八百坪の平坦で安全な土地を取得して、慈済の建設担当部門である慈済営建処と実業家でボランティアの許長欽が建設の責任を担った。そして、最も短い期間に質の良い堅固な家屋を建設して、被災者に引き渡すことができるように努めた。
 
施行には最新の方法を取り入れた。二階建ての骨組みは鋼鉄を使って、建築物の重量の全てを軽くて堅固な鉄骨構造で支え、外壁とコンパートメントは「3Dスチールウール」工法で施工した。
 
経営者の李振栢は、「鉄網の間にEPS(発泡スチロール)建材を挟みます。幅一・二メートル、縦三メートルの建材を工場で加工し、運んできた後に組み合わせ、セメントを塗ります」と説明した。
 
堅固な鉄骨構造である以外に、防火になる鉄網の壁にして、屋根の外層は鋼鉄瓦、内装のロックウールには断熱の作用と半時間の難燃作用がある。慈済ボランティアが三十八度の炎天下に未完成の部屋に入った時、涼しかったと絶賛していた。「この家の室内は冬は暖かく、夏は涼しく、外部と六~八度の温度差があります。そのうえ免震構造になっているため、堅固で涼しく、絶縁、断熱作用があります」と自信をもって話した。
 
 
●忠さんの実家と店舗は、台風被害により家の横に流れている渓流に押し寄せた土石流によって倒壊した。その場所は灰色のセメントで固められ、防砂ダムが築かれた。生活のため夫妻は日雇いの仕事や桃の販売をしながら暮らしている。
 
一九九九年に台湾中部大地震が発生した際、慈済の希望工程(学校建設支援プロジェクト)や杉林大愛村家屋(仮設住宅)の建設を請け負った建設業者たちは、慈済の支援理念と高い建設品質の要求を良く知っていた。しかしながら、今回のように一年期限で仕上げることは、山間部における種々の問題があるため、かるがるしく請け負えるものではなく、通常でない交通の障害という問題を解決しなければならなかった。
 
復興区の景勝地は交通量がはげしいため、台湾の国道七号線の主要道路は市政府の規定によって、土日は山間部の道路セクションに通行禁止区域があるのも、工程の進度に影響を及ぼしていた。
 
「土曜にセメントを流す予定があったにもかかわらず、セメント車が山道を上がってこられなかったので二日間の損失がありました。また朝に太陽が出ていても、黒い雨雲を見ると洗い流しを施行しても雨に流されるので取りやめていました」と。六月は梅雨の季節で洗い流しの工程は遅々として進まず、完了期間が延び延びになっていた。
 
幸いにして大勢の努力によって合流集落の建設が完成し、八月十九日に入居することができた。風災の襲来を受けてから二周年の完成予定に間に合わなかったが、自分でも恥ずかしくないように使命を終えたと言える。
 
●羅浮小学校近くにある、地域の支援家屋は8棟15軒で、大部分が1軒に2世帯が入居するよう仕切られている。中央道路は建築中だが未来は広い道になる。(上図)
●支援家屋は3D鋼鉄網の壁の中に耐熱性のロックウールを組み合わせてセメントを塗ると壁は断熱性と免震性を備える。
 

新しい家で人生の再出発

 
「土地の変更に十一カ月かかり、残りの十三カ月を慈済と永久に住める家屋の建設支援にあてました。たった二年間で完成させて全国の記録をやぶりました」と桃園市原住民局長の林日龍は語気を強めて言った。
 
鄭文燦・桃園市長は落成式の祝辞の中で「證厳法師はただ被災者のために家を建てただけではありません。その間三度も私を訪ねて、元の集落からあまり離れていないように、新しい集落は生活、生産、生態の三条件を理想とし、原住民の就業を支援し、地域の中では活動空間を維持すること、また隣近所は互いの助け合うことができるようにと、くれぐれも注意しておられました」と法師への感謝の気持ちを述べた。
 
最も感動的なことは、どの設計図もすべてご覧になって、風通しと採光に注意され、年寄りと隣同士が行き来しやすい活動空間をつくるように注意されたことである。ただそのために基準はますます高くなったので、法師のお考えに沿うように何度も図面を書き直していたそうである。
 
合流集落の人たちは、嬉しそうに続々と新居へ越した。一人暮らしの李阿香婆さんは十四坪の家に越して「七十を越してから、こんな新しい家に入れるなんて夢みたい。しかも一人で住むには広すぎるわ」とにこにこして言った。
 
●土石流災害の後、合流集落の住民は補助に頼ってちりぢりになっていたが、支援住宅が完成すると、近所との関係が新たに作られた。子供達も安心して成長している。
 
洪家の四人兄弟も新しい家に越した。洪彭貴鳳は走り回る孫たちを世話している。長男の洪清龍は母の面倒を見るのが楽になったと喜んでいた。そして「私は原住民の伝統習慣が好きですが、しかし現在の法律に対して大きな矛盾を抱えています。この災害によって法律が私たちに与える影響はとても大きいことが分かりました」と言った。
 
洪金輝は、原住民の伝統文化と現代の法律の仲介人になって、原住民の知識を高める助けをしたいと願っている。また、黄明忠は冷蔵庫と冷凍庫を買って雑貨店を開き、前の空き地を利用して隣近所のバイクや車の修繕をするのだ、と言っている。
 
訪問ケアを受け持っている白桂梅は、二年前から彼らに寄り添っているが、村では彼女を知らない人はいない。災害で茫然としていた人たちに希望を持たせ、子供たちは彼女をお婆さんと呼んで親しんでいる。「私は今まで苦しい人生を送ってきましたから、皆が困っていることをよく知っています。ずっと寄り添っていきます。これから安心して住める家に住んで、安定した生活が送られることを心から喜んでいます」と言った。
 
災害を予期して皆を速やかに避難させて一人の犠牲者も出すことはなかった。被災者世帯が少なかったので、組み合わせも簡単で、必要とする土地面積を獲得するのも容易で有利な条件が揃っていたため、支援を完成させて、避難している人たちに我が家を提供できた。しかしその陰には、政府当局の強い意志と慈済の慈悲の心による取り組みが不可欠であった。
 
●合流集落の支援家屋は羅浮里の中心地にあり、地質の安定性は高く、隣近所が助け合うタイヤル族の習性は、当地の人たちとも和気藹々の関係になって故郷から遠くない所で再出発を踏み出している。
 
各方面の因縁によって、合流集落の住民は故郷から一キロ半離れた土地に、新たな村で安定した家を構え再出発している。これは将来台湾でどのように災害予防と救助を行うかにあたり、「災難に遭っても村を離れなくてよいように」という方向性を提言する良い実例になったと言えよう。
(慈済月刊六一一期より)
No.262