慈濟傳播人文志業基金會
精進して菩薩道を歩む 生命は慧命になる
仏法の薫陶を受けて人々の中に入って奉仕し
精進して菩薩道を歩めば、凡夫の心は少なくなっていく。
凡夫の心は自然に減少していくが
善行する人が増え、人同士の接触に喜びを感じ、
奉仕が増えて感動が多くなれば、
知らないうちに生命は慧命の境地に足を踏み入れているだろう。
 
 
人は誰でも日々の平安を望みます。この世はどうすれば平穏でいられるか? それにはただ一つ。自分に福を作る機会を与えて、この地球を護り、大地、森林、河川を大切にして、空気を清浄にする努力をするしかないのです。
 
しかし、天地間の地水火風の四元素が不調をきたして地球の温度が上昇し、この夏は至る所で暑さに耐えられなくなってきており、干ばつや火災も頻繁に聞かれます。アメリカ、ギリシャ、スウェーデンで大規模な森林火災が起き、延焼をくい止めることが難しく、広大な面積が焼けました。災害は他人事ではなく、虚空の中で回っている地球は大火による灰を遠くまで飛ばし、大気汚染の原因になっています。スペインの森林火災は国境線を超え、ポルトガルは収拾がつかなくなりました。
 
アメリカ・カルフォルニア州北部のカール大火災は、一月以上も燃え続け、裕福な人も貧しい人も、みな同じように被災しました。終始関心を示し続けていた慈済ボランティアは、やっと被災地に入ることを許され、被災者を見舞うと共に必需品を購入する購買専用カードを配付しました。
 
このように世界を見渡すと、どれだけの人が水害や火災に苦しんでいることでしょうか。七月下旬、ラオス南東部のアソパ省では、ダムが崩壊して村が水没し、百人以上が犠牲になり、六千人以上が家を失いました。救援に向かう道路の行く手は水で阻まれ、容易に被災地に行き着くことはできず、隣国から迂回して山を越さなければなりませんでした。険しい道で、とても困難でしたが、何とかしなければなりませんでした。ラオスの人々の生活は元々貧しく、とくにその時は支援が必要でした。
 
タイ、マレーシア、台湾の慈済メンバーが合同で実地調査した結果、家を失った住民は四カ所の学校に避難していましたが、空間がとても狭く、家族で順番に寝ている状態でした。学校の中に入ることのできなかった人々は、外でテントを張りますが、雨が降ると水浸しになってぬかるみになります。そこでボランティアは福慧ベッド(折り畳み式簡易ベッド)を贈りました。
 
 
世界に目を向けますと、実に苦難が多く、心が痛みます。インドネシアのロンボク島で、七月二十九日、大地震が発生し、インドネシア慈済ボランティアが支援関係のデータを本部に送ってきたその矢先、自信から一週間足らずの八月五日に、再びマグニチュード七クラスの浅発地震に襲われ、四百人以上が犠牲になり、三十八万人が避難しました。慈済ボランティアは再度、人員を動員して被害調査と配付、診察を行いました。
 
皆々が心を一つにして敬虔に福と安寧を祈り、希望を祈る願いが諸仏に届くよう願っています。しかし、祈る前に、なぜこの世にこれほど多くの災難が多発するのか、まず反省すべきです。
 
それは人類の欲念による資源の消耗から出た大地の破壊からきているのです。人々は無節制に流行を追って安易に物を使い捨てしており、商機が傷機になってしまっています。ますます高まる物欲は、食の欲も同じで、毎日一億九千頭以上の動物が食の満足のため殺されています。それは殺生の業を作るだけでなく、畜産の過程で大地と大気を汚染しています。
 
尽きない衆生の欲念が長期にわたって造った業は、当然、人類皆でその果報を受けなければなりません。過ちを知らなければ、永遠に繰り返すことになります。私たちは反省、懺悔し、業を造ることをただちに止め、人々の真心を啓発しなければなりません。物を大切に、生きとし生けるものを愛護して、共に善の因を作るべきで、悪縁を造らないようにしましょう。
 

欲念をなくして、斎戒して福を祈り、

皆で協力して地球の生態を護ろう

 
毎年の旧暦七月に各地域の慈済人は「七月吉祥月」に関する活動を行っています。それは社会の隅々に至るまで、欲念をなくし、斎戒して福を祈り、互いに愛を啓発して、共に地球の生態を護るよう呼びかけています。
 
民間には「普渡して(お盆)平安を得る」風習があり、殺生して神鬼を祀っています。普渡の本当の意味は衆生の済度であって、衆生の生命を殺めるものではありません。旧暦の七月は仏教では、吉祥、歓喜、親孝行の月であり、物事の基本を忘れず、親の恩、天地の恩、衆生の恩に感謝するのです。
 
平穏な日々、楽しい家庭とは、経済的に豊かで物質面で楽しているかどうかではなく、心が豊かで道理を理解し、目上を敬い、礼節のある生活からくるのです。
 
松山連絡所で「七月吉祥孝親祈福会」が催され、ボランティアは《父母恩重難報経》の手話ミュージカルを演じました。その中で出演した五人は、慈済ボランティアがあきらめることく刑務所に行って寄り添った結果、仏法の感化を受けた受刑者で、出所後、立ち直った人たちでした。そのうちの彭さんは、若い時に悪い素行により母親の心を傷つけました。母親が面会に行った時、彼にもう一度やり直す機会を与えると言いました。しかし、母親が亡くなった時、彼は葬式にさえ出ることができませんでした。彼は反抗して親不孝だった自分を演じ、心から懺悔して涙を流しました。
 
受刑者が悔い改めるのは容易なことではありません。慈済ボランティアが忍耐強く、彼らを迷いから正道に導いていることに感謝します。
 
 
台東の「七月吉祥孝親祈福会」もとても感動的でした。千人近い教師と学生、県職員や地域の名士が参加して、《開経偈》から献供儀式に至るまで実に荘厳でした。地域の学生が《跪羊図》と《父母恩重難報経》の劇を演じ、その後、参加者が次々に舞台に上がって環境保全の仕方、生活態度を変える方法、健康に良い素食などについて話し、良い社会教育になっていました。
 
中国の昆山市に住む十一歳の陳佳楠は、「地球を愛することは簡単です。菜食、節水するほか、外出時に自分の食器を携帯すればいいのです」と住民に環境保全の理念を説明します。
 
陳佳楠は四歳の時、病気で手術を受けました。長期間薬を服用して病状を抑えていましたが、今年、再発して四月に再手術をしました。五月の時、慈済ボランティアである母親が環境保全の理念を教えました。化学療法を受けて、頭髪が抜けてしまっても、彼は自分を必要とする所にはどこにでも出かけ、自分の経験を話し、地域の子供たちに一緒にリサイクル活動をして地球を護ろうと呼びかけています。
 
彼は両親の行動を見て、弟と一緒にリサイクル活動に参加しています。弟が感想を述べる時は、彼が意見を追加します。親が子供に、そして人と人が影響し合うのです。
 
彼は四千九百回もの環境保全に関する講演をすることを立願し、その願を私に届けてくれ、そして私を祝福してくれています。幼いながら聞き分けのいい子に、その願だけでなく、さらに制限なく、何度でも講演できるよう祝福しています。
 

日々の善行、清新な念

いつの世にも善良な観念を

 
時は留まることを知らず流れていき、人生もまた新陳代謝する中で消失していきます。しかし、生命はこの世でとても役に立つため、心して大切にすることです。
 
善事を尽くし、見返りを求めず奉仕をしたとはいえ、やはり凡夫は煩悩から抜けることはできず、楽しい、楽しくない、または良い縁、嫌な縁からも逃れられません。しかし、幸いなことに菩薩道において自分を鍛錬することができ、また、仏法の薫陶によって人々に奉仕することができます。善行する人が多ければ多いほど、互いの付き合いに喜びを感じ、奉仕すればするほど自分も感動します。菩薩の道を精進すれば、自然と凡夫の心が少なくなり、やがて生命は慧命となります。慧命は時間の制限がなく、永遠なのです。
 
「人は往生する時、何も持って行くことはできず、業のみを伴っていきます」財産がどれほど多く、地位がどれほど高くても、最後には持っていくことができません。しかし、日々行ってきた善行事や良い習慣、善良な観念は、仏法で言う「業力の種子」であり、来世から来世へとついていきます。
 
過去の煩悩や無明を淘汰し、新たに清浄な心で新たな日々を迎えれば、智慧のエネルギーは新鮮に保たれるのです。皆さん、心して精進しましょう。
(慈済月刊六二二期より)
No.262