慈濟傳播人文志業基金會
自分のことしか 考えないとしたら
 
いつも自分は正しく、相手は間違っている。
不平不満は自分を苦しめるだけ。
 

職場で自分を尊重する

 
一九八九年に開校した慈済看護専門学校は、二度の制度改正を経て、技術学院になり、それから科技大学に昇格した。慈済科技大学では今日、二十八期生の卒業式が行われ、上人が開示した。「第一期生の帽子を正す儀式をしたのがついこの前のように感じられますが、あれから三十年近くが経ちました」
 
父兄たちが安心して子供たちを花蓮に来させられるように、教師たちが教え導き、慈懿会の先輩ボランティアたちが学校と学生の面倒を見てくれていることに、上人は感謝した。今の社会で、この学校の学生のような清純な姿を目にするのは容易なことではない。慈済の環境下では、知識を学習するだけでなく、人としての道理や生活規範を学び、将来、社会に出た時に必要となる人との接し方を身につけさせている。
 
「そのほか、社会に出る時は心の準備が必要で、挑戦に負けず、忍耐強くなければなりません」と上人が付け加えた。今は幸福な時代で、幸福な生活に慣れてしまっているため、欲がますます増えると同時に不満が募って苦しむのである。人生は迷いが生じるために苦しみ、行く方向を見失い、明確な答えが得られないでいる。
 
 
また、上人はこう言った。「自分の狭い考え方の中に閉じこもっていると、他人の境遇を思いやることがありません。いつも自分が正しく、他人が間違っていると思うようになり、ますます迷い、不満が募って苦しむのです。その実、人生のあらゆる答えは感謝と愛に帰します。常に感謝と尊重、愛の気持ちを持っていれば、他人の気持ちを理解し、思いやることで愛を表現できるのです」
 
上人は学生たちに、成長過程で自分たちの世話をし、付き添ってくれた人々に感謝するよう教えている。「誠意で以て感謝するのが相手を尊重することです。あらゆる人に対してです。もし、医療に従事するなら、患者一人ひとりを尊重し、仕事の規則を守ることが自分の職業と志業を尊重することになるのです」
 
心して周りの生活を観察すれば、学習に値する人生の模範が目につき、年齢や貧富に関係なく、その全てが尊重すべき相手であることに気づくはずである。また、静思精舎は皆の永遠の家であるから、時間があれば帰ってくるよう、上人は学生たちに呼びかけた。
 

因果関係を理解すれば、良縁が結ばれる

 
マレーシアとミャンマーの慈済人医会メンバーはミャンマーのダンイン村を訪れ、用語ホームである自然禅修センターで貧しい病人やお年寄りに施療を行った。上人は映像に映し出された苦しげな顔に心が痛み、センターの環境を整え、医療支援ができるよう期待した。
 
上人はセンターについて、「仏法、医療共に偏ってはならず、仏法を尊重すると共に一層生命を尊重しなければいけません。仏法では因果応報を説きますが、衆生に善の因縁がなければ、どんなに苦しんでいても人知れず、地獄にいるのも同じです」と語った。
 
「当事者は迷い、傍観者は頭がはっきりしている」と言われるが、同情心を持って苦しげな表情をしている傍観者は、その境遇の中にいれば慣れてしまっているかもしれない。とくに人の考え方や見方は各人各様で、体の病も仏法によって治癒でき、病状が悪化しても縁に任せて放置している人もいる。実は真の「法薬」とは、仏法の中から問題を解決する方法を見つけ出すことなのである。
 
「私が克難慈済功徳会を創設した時、理解できなかった人がいました。苦しんでいる人は業の報いを受けており、自業自得だから、彼らを救うことは因果に反していると言うのです。しかし、もしそうであるなら、仏陀が衆生を救うためにやって来て説法し、衆生を苦しみから逃れさせようとしたことも、因果に背いていると言うのでしょうか?」
 
「人間菩薩が苦難の地を行き、衆生の苦しみを取り除いてくれていることに感謝します。《無量義経》曰く、『医王や大医王は病いを判断して薬を与え、衆生を楽にしてやる』のです」。
 
 
大愛テレビ局の取材班が、ミャンマーで禅修センターの様子をカメラに納めてきた。上人は、途絶えることのない慈済ボランティアのケアと協力を期待している。慈済は重点的、直接的に行動し、あらゆる力を発揮させると同時に、現地の愛を携えた人々が一緒に福を造る機会を与えている。
 
「見返りを求めない奉仕であっても、現地で福田を耕せば、善意の人たちはそれに続くものです。人間菩薩は福を修めると同時に智慧も修めなければなりません。因縁果報の道理は言葉で理解するだけでなく、良縁に結びつけなくてはいけません。あなたたちが福の因を作って善の縁を導き出したからこそ、これら苦難に喘ぐ人たちを見つけることができたのです。彼らにも福縁があったために、あなたたちが見つけ、その因縁が成就して支援できたのです」
 
善行で福を造る時、智慧を働かせなければならない。患者のケアをする時、まず感染予防措置を取り、彼らとの接触の仕方を心得て、感染しないようにしなければならない。智慧で以て善行し、福を造ってこそ、信頼が得られ、福と慧の双方を修めることができる、と上人は念を押した。
 
「決意して信念を曲げないことが大切です。口先だけで、困難に遭遇するとすぐに諦めてしまうようではいけません。これを心に銘記し、智慧による判断と行動で意見の異なる人にも理解してもらうのです。それでも正しい方向を堅持して菩薩の大愛で交流し、この世を利する善行を達成させなければいけません」
 
慈済人は人から疑問を投げかけられ、反対されてもやり通すことが必要である。《法華経》に「四安楽行」とあるように、菩薩道を歩む時に様々な悪に遭遇するが、修行に励む者はそれに影響されず、錬磨に耐えなければならない。この世は忍耐の世界であり、人間菩薩は正信で以て正しい道を切り開き、大愛で結ばれた仏門の同僚と共に、平坦な道を作らなければいけない、と上人は教えている。
(慈済月刊六二一期より)
No.262