慈濟傳播人文志業基金會
認知症患者に寄り添って 齢七十、志は消えず
医師として四十六年。曹汶龍医師は二度の退職の機会がありましたが、七十歳を過ぎた今も活躍を続けています。病院から地域へと活動の重心を移し、認知症のお年寄りが人生の最終章を尊厳を持って過ごせるよう、寄り添い続けています。
 
Profile
 
1977年 国防医科学院卒業
1979年 英国ロンドン大学神経研究所研究員
1981~1996年 三軍病院神経科主任
1995~1997年 台湾てんかん学会理事長
1996~2011年 慈済花蓮病院神経内科主任
1999~2001年   台湾神経学会理事長
2011年~現在   慈済大林病院神経内科主任兼認知症センター主任
 
 
「みなさん、おはようございます!」
真っ白な白衣に満面の笑み。七十一歳になる曹先生は元気に手を振りながら、「記憶保養学級」地域拠点の家族と認知症のお年寄りたちにあいさつします。
 
●認知症のお年寄りが忘れたこと、覚えていることは一人一人異なる。しかし、丁寧に向き合えばコミュニケーションのきっかけを見つけることができる。サポート拠点には歌が好きなお年寄りも多い。曹汶龍先生がスマートフォンで古い歌を流すと、あっという間にその場に活気があふれる。
 
彼は同僚や家族や患者たちから「曹お父さん」と呼ばれています。白髪頭の曹先生は、見た目はここに集うお年寄りたちと変わりません。おしゃべりやゲームをする姿はお年寄りの中に溶け込んでおり、事情を知らないお年寄りは「記憶保養学級」の仲間だとばかり思っています。
 
「四十六年間病気を診続けて、もう疲れたのです。今診たいのは人、病気になった人の気持ちです。病気そのものの原因には興味がなくなったのです」と曹先生は心境を語ります。
 
他の神経内科の医師と比べて曹先生の診察日はわずかで、特別診察を除けば火曜日の午前だけです。なぜなら、今、彼の時間は地域のために費やされているからです。
 
昨年八月、設立から五年になる慈済大林病院認知症センターは嘉義県の認知症共同ケアセンターの業務を請け負うことになりました。衛生福利部が台湾で初めて設立した二十の認知症共同ケアセンターの一つです。管轄内には七つの認知症ケア拠点があり、その範囲は嘉義県だけでなく、雲林、台南、彰化地域にも広がっています。
 
これらのケア拠点には、家庭との互助形式や楽しいアクティビティのある記憶保養学級など、それぞれ特徴があります。スタッフはボランティアが中心なので、専門の医療を提供する曹先生の役割は大変重要です。毎月各拠点を何度も訪れ、地域で新たに見つかった疑似認知症患者を診断するだけでなく、スタッフとともに家庭訪問したり、定期的にボランティアに授業を行ったり、家族の声に耳を傾け、彼らを支え、励まします。
 
「今も出かけて帰ってきたばかりです。一日忙しく働き、またすぐに診察ですから、もちろん体は疲れますが、すごくやりがいのある仕事です」と曹先生は言います。やりがいという言葉の意味は人によって違うでしょう。曹先生にとって、それは、認知症のお年寄りや家族の笑顔です。彼だけでなくスタッフの誰もが同じ思いを持っています。見返りを求めずに人に尽くすというだけでなく、お年寄りたちの笑顔を見ることが続けるエネルギーになっているのです。
 
●嘉義県渓口郷柴林脚地域拠点のお年寄りと一緒に、懐かしいお手玉遊びをする曹先生。
 
「年も年ですから疲れないと言えば嘘ですが、疲れたら休んで、元気になったらまた続けるんです」と、曹先生は率直に言います。
 
先生は六十五歳以上七十五歳以下を「小老人」と定義しています。年は取っているものの体も頭もまだ元気で、車でどこにでも行けるので、まだ常に病院通いをする「中老人」にはなっていないというのです。
 
とはいえ、「小老人」になったばかりのころ、曹先生は自分の腰が良くなったり悪くなったり、時折ぎくしゃくするようになりました。足がしびれるようになり、歩いている途中に両足が縛られたように動かなくなったりしたこともありました。神経科の専門医である曹先生は、原因は神経にあることにすぐに気づきました。
 
「腰のあたりに二枚のプレートと四つのボルトが入っていて、そのあたりにひっかかるんです。今は腰を曲げることもできません」と曹先生は言います。おととし手術をして以来、白衣の内側には大きな腰用のサポーターを身につけ、車に乗り降りする際にも手助けが必要になりました。しかし、多少の不便はありつつも病気と共存していける、少なくとも仕事には影響しないと曹先生は思っています。腰が痛い時は、遠くまで行きすぎたのだと自分に声をかけて、止まって休むのです。
 
●渓口郷にある認知症互助家庭は、嘉義県が初めて採用した拠点モデル。10組ほどの家庭が週2日、家族が提供した三合院(台湾の伝統家屋)に集います。認知症のお年寄りと家族が一緒に野菜を育て、料理して、昼食を取る。お互いに支え合って、人生の夕暮れに美しい思い出を作る。
 

若い気持ちでもう一度チャレンジ

 
認知症と診断された患者のほか、「仮性認知症」もあります。その原因の多くは環境によるものです。曹先生は、一人の退職した校長先生の話をしてくれました。初めてその人が記憶保養学級へ来たとき、車椅子に乗っていました。隣で外国人のヘルパーさんが、椅子に座らせ、食事を口へ運ぶなど、何から何まで世話をしていました。
 
しかし、何度か参加するうち、そのおじいさんは周囲の自分と大差ないお年寄りたちが自分で食事をしていることに気がつきました。そこで、ヘルパーさんに食べさせてもらうのではなく、自分で食べようと思ったのです。しばらくすると、その人はなんと自分の足で歩いて入ってくるようになりました。彼は自力で食べることも歩くこともできたのです。彼を何もできない人間にしてしまっていたのは家庭の環境だったということに、家族はようやく気がついたのです。曹先生はこう説明します。
 
「一見したところ重度の認知症に見えていましたが、おそらく軽度の患者であったのを、環境によって重度にさせられていたのです。長い間使わないと、その機能は低下します。人とのコミュニケーションがなければ、総合的な機能はいっそう低下してしまうでしょう」
 
とはいうものの、曹先生にとっては地域拠点の最大の機能は実は症状の緩和ではなく、認知症患者が笑顔になれる環境を提供することなのです。
 
環境の大切さは慈済ボランティアグループでも同じです。高齢のボランティアに彼らに合った環境、力を発揮できる場を提供する必要があります。
 
●4年前にできた柴林脚地域拠点は地域づくりのモデルであり、地域のお年寄りに平日の昼食と夕食を提供している政府認定のC級街角介護施設である。慈済大林病院認知症センターと連携し、地域福祉の向上に貢献している。
 
現在の医療技術なら八十歳や九十歳まで生きるのは難しくありません。しかし、そのように長く生きる意味とは何でしょうか。法師が近年「寿量宝蔵」を提唱しているのも同じ理由で、家で休んでいるのではなく、外に出て奉仕しなければならないのだと曹先生は言います。
 
曹先生は「私で言えば、五十歳引いたら二十歳ちょっとです。二十歳の体力はありませんが、七十歳の経験と智慧があります。二十歳の心でさらに五十年に突き進むのです」と述べた。考え方を変えることは重要ではあるものの、環境も不可欠の要素です。八十歳のボランティアがおり、頭がはっきりしているなら、力を発揮できる舞台を与えなければならないと、曹先生は言います。
 
たとえばリサイクルセンターで働く高齢のボランティアのように、一生を慈済のために尽くし、ただ少し動作がゆっくりになったボランティアがそうです。身体機能が低下するに従い、以前はできたことも、自分一人ではもしかしたら七割くらいしかできないかもしれません。しかし、隣に足りない三割分を補える人を配置し、ゆっくりしたテンポで作業できる環境や作業内容を用意すれば、その人の力はゼロにはなりません。そうすれば、彼らは誇りを持って、「三十歳」だからエコ活動ができると言えるのです。
 
●曹先生の処方箋
認知症を予防することはほぼ不可能です。理解し、向き合うしかありません。徐々に失われていったものもありますが、今残されているものもあるのです。残されたものを育て、強くしていくことです。歌が好きなら好きなだけ歌いましょう。覚えられなくてもいいのです。寝ていたって歌えるのです。
認知症はゆっくりと進みます。それは、鮮やかな夕日が徐々に暮れていくのに似ています。しかし、夕日に対しては怒らないのに、なぜ認知症の家族に対しては怒るのでしょうか。それは受け入れられないからです。ですから、認知症の患者の世話をする側も認知症について知らなければなりません。
 

枠を越えて自分の位置を見つける

 
「自分の位置を見つけることとは、自分自身を活性化し、自分が必要とされる場を見つけることです。家でテレビを見る生活を選べば、必要のない人間になってしまいます」こう曹先生は話します。
 
「医者であっても年をとれば心境は変わるものです。自分はもう若くはなく、長時間の当直や診療はできません。過去の枠の中に閉じこもっていたら、動物園の檻の中の動物のようで、自分を支える活力を見いだすことはできないでしょう」
 
だからこそ、曹先生は認知症患者のケアの道に進んだのです。もちろん様々な巡り合わせもあったとはいえ、やはり自分の考えで少しずつ成し遂げてきたことなのです。
 
曹先生は笑いながらこう語ります。「診察の量は減り、収入もずいぶん減ったけれど、枠を飛び出て、収入のことも何も考えないようにしたら、一匹の龍のように力があふれてきました。なぜなら地域の人たちが自分を必要としてくれて、仲間として受け入れてくれるからです。それが続けていくエネルギーになっているのです。たとえ明日の朝、目が覚めなかったとしても、何も思い残すことはありません」と曹先生は言います。
 
「子供も皆手を離れたし、妻も自分の面倒は自分で見られます。老母の面倒は兄弟が見てくれます。私はいつお迎えが来ても大丈夫です。でも、起き上がって気分がよければ、力を尽くして貢献したいと思っています。必要とされる場所があるなら、どこへでも行くつもりです」
 
●ユーモアたっぷりの曹先生は、診察室でも患者に対して古くからの友人のように接し、医者と患者の隔たりはない。
 
 
老老介護の共老グループ
話‧曹汶龍  編集‧楊舜斌  訳・高嶋由紀子
 
私の父は百歳で亡くなりました。母は現在九十歳で認知症ですが、薬は服用せず、楽しく過ごしています。
 
大切なのは、「また忘れたの?」などといちいち強調しないことです。食べることを忘れていなかったら、一緒に食事をしましょう。好きな歌があれば一緒に歌いましょう。あるがままに受け入れればいいのです。間違いを指摘したり、学習させようとしたりしてはいけません。気持ちを受け入れてもらえれば、気持ちが楽になります。
 
私は毎朝、母親と一緒に朝食を取った後仕事に行きます。高齢者は睡眠にむらがあり、起きる時間は七時や八時になることもあります。私はもちろん時間どおりに出かけなければなりませんが、基本的に母の睡眠を妨げず、自然に目が覚めるのに任せます。睡眠が規則的かどうかにより、母の体に異常がないかを観察することができます。昼になったらヘルパーさんに近くのコンビニまで連れて行ってもらい、明日の朝に食べたいものを選ぶのが一日の運動です。
 
定義から言えば、六十五歳以上は老人ですが、両親が健在であれば、自分よりさらに年をとった両親を世話しなければなりません。そのような時、自分の生活習慣を変えざるをえなくなります。
 
両親の世話をすることは、私たちにとって当たり前のことです。両親の世代の生活は貧しく、いいものは全部子供たちに食べさせてくれました。そのことを、私たちはこの目で見て育ってきたのです。たとえ、認知能力が退化しているとしても、子供に教えるのと同じように我慢強く世話をしなければなりません。これは心のコミュニケーションなのです。
 
●仕事が終わると、曹先生は家に帰り、認知症の母親の脚を洗い、テレビで古い香港ドラマを見せます。母親を笑わせるのは2歳の子供を笑わせるように楽しいことであり、彼女の気持ちに逆らわず、邪魔したり訂正したりしなければ、認知症でも楽しく過ごせるのだと、曹先生は話します。
 
しかし、私たちの世代は、子供たちのほとんどが遠くで働いていて、面倒を見てもらうのは無理でしょう。ですから、自分の面倒は自分で見られるようにならなければなりません。自分が住んでいる地域、つまり家から半径五百メートル以内ぐらいに、年が同じくらいで似たような趣味を持つご近所さんを探し、一種の「共老の集落」をつくることをおすすめします。
 
わかりやすく言うと、各自独立した空間の中で、常日頃から集まり、生活を共有し、互いの近況を理解します。そして相手を受け入れることを学ぶのです。このような仲間たちは、配偶者と同様に時間をかけて関係を築いていかねばなりません。相手を理解するほど、家の中で何かあったとき、本音を言ってくれます。そして、最後には兄弟姉妹のように、損得抜きに慰め合い、支え合える関係が築けるのです。
 
私の仲間には地元の退職した教師が少なくありません。彼らは私が携わる認知症ケア地域拠点の話を聞き、ボランティアに加わってくれました。それぞれ年を取って、体もところどころ悪いところがありますが、彼らは最高のボランティアとして、一緒にお年寄りの検査をし、お年寄りの世話をするなど、社会のために活動をしているのです。     (慈済月刊六二一期より)
 
セルフケア
曹お父さんのやり方
 
●私たちのような年齢のお年寄りにとって、歩くのは一番の運動です。ですから、夕食後、妻と近くの大学のグラウンドへ行き、だいたい40分から1時間歩いています。毎日運動するということはもちろんですが、より重要なのは妻と散歩しながらおしゃべりする時間になっているということです。
 
●私はいつも病院の仕事で忙しく、妻が一人で母の世話をしています。妻には、自分の好きな活動をして、自分の時間を持ち、社会とのつながりを切らないように勧めています。彼女は嘉義の合唱団に入りました。おそらく最年長でしょう。しかし、彼女は合唱団を楽しんでおり、生活の活力となっています。
 
●大切なことがあると、自分は役に立つ人間だと感じられ、気持ちが若返るのです。まだ能力があるのに何もさせなかったら、だんだんと何もできなくなってしまうでしょう。
 
●退職したら、自分がやりがいを持てる仕事を、時間をかけて考えなければなりません、たとえばボランティアなどです。給与を気にせず、興味があることに時間を使うことで、生きがいを感じられるのです。
(慈済月刊六二一期より)
 
No.262