慈濟傳播人文志業基金會
両親から学んだ老い方
頼其萬は若い頃、家族の面倒を見るために医者になることを決心した。
老いた両親を世話する過程で、老いることはどういうことかを学んだ。
心身の衰えという事実を受け入れ、愛で親の意思に順ずることを学んだ。
 
臨床研修医の時から計算すれば、頼其萬はすでに四十八年間白衣を着ていることになる。半世紀近く、大勢の年配の患者を診察してきた彼は、七十四歳の一般的に言う老人になっている。だが老後や老いについて、自分に当てはめることはほとんどなく、彼は老いた父親やお年寄りの患者から教わったことをよく口にする。
 
二十年前、頼其萬はアメリカ・カンザス大学医学部神経科教授の肩書を捨てて台湾に戻り、花蓮慈済大学医学部の教授と花蓮慈済病院の副院長の任を引き受けたのは、人文的な理念を、台湾の医学教育と医者と患者の関係に持ち込みたいと思ったからだけでなく、九十一歳になった父親に付き添いたかったからでもある。
 
「自分はあと何年生きられるかわからない。人生に大きな影響をもたらす重大な決定なので、慎重に考えるように」と父親は言った。「父と電話で話しながら泣きました。しかし、私は父がそう言えば言うほど、帰る気持ちが強くなりました」
 
Profile
 
1969年 台湾大学医学部卒業
1990~1998年 アメリカ・カンザス大学医学部神経科教授
1998~2001年 花蓮慈済病院副院長、慈済大学副学長、同大医学部部長
2001年~現在 和信癌センター医学教育講座教授、
       同センター神経内科主治医
2006年 月刊誌「経典」のコラム「杏林筆記」で
       第30回金鼎獎最優秀コラム作品賞受賞
 
 
父親は百一歳で他界した。「父親に付き添ったあの十年間は、私の人生の中で最も美しい時間でした」と頼其萬は言った。父親は昔を懐かしみ、何事にも感謝の気持ちを持っていた。どのような状況に置かれても、前向きな態度で受け入れていた。父親が長生きできたのは、そういう特質のほかに、辛い時でも明るくいられることを知っていたからで、それらは全て人生の智慧なのである。
 
父親を風呂に入れて服を着せる時に、パジャマの下に履く下着のパンツが大きいために丸まっていたことをよく覚えている。気が利く彼は、手をパジャマのズボンの裾に入れパンツを広げてあげた。その動作を行う時、親子はいつも顔を見合わせて笑った。父親はその時が一番気持ちよく、楽しい瞬間だったと言っていた。「当然ながら、私にとっても一番達成感を感じた瞬間でした」と頼其萬が笑った。
 
年を取るにつれて、生涯自尊心が強かった父親も、老後は子供に風呂に入れてもらうしかなかった。また、以前は美食家であっても、健康状況が悪くなるにつれ、NGチューブ(経鼻胃管)を挿入せざるを得なかった。父親の人生の最終段階は、あまり質が良いとは言えなかったが、できるだけ子供の思いに従い、両立できるようにした。
 
頼其萬は父親から老いることを学び、父親を介護する際に感じた心の痛みと無力感から、「年を取っても楽しく生きようとするなら、嫌なことも受け入れることを学ばなければいけない」ということを悟った。老いる過程で様々な情景と挑戦に直面するが、それらを受け入れられるか否か、どう受け入れるかである。これがいわゆる「心の持ち様」である。
 
人は生まれてからすぐに老化の道を辿り始めるが、それは避けて通れない道である。違うのはどんな心で歩むかである。
 
●頼其萬は診療の合間を縫って、数多くの治療に関する事と命に対する悟りを記録してきた。頭を使って執筆する習慣は、彼の人道的な思いやりと医療に対する反省を促し、また、養生にもなっている。
 

心の持ち様で年齢が決まる

 
「老いは一瞬にして生まれる」と日本の著名な作家である村上春樹が言っている。彼が言う一瞬とは、白髪や皺のことではなく、「心の中で自分を放棄した」時に人は老い始めるということだ。歳をとると役に立たず、使い物にならないと認めることが、老人の心境なのである。
 
果たして老化は心境の変化によるものか、それとも人は自然と老化するので心境もそう変わるのか?と人は聞くだろう。頼其萬によると「心の持ち様」が微妙な鍵を握っているため、医者が患者に「病状告知」する時にとても難しいことだと言う。
 
心の持ち様という言葉はとても抽象的に聞こえるが、「しかし、老後生活の質に影響を及ぼすのは正にこれなのです」と頼其萬は言う。
 
頼其萬ははっきりと覚えている。二十年前アメリカから花蓮に帰ってまもなく、證厳法師に随行して慈済病院の緩和ケア病棟を訪れ、危篤状態だった慈済ボランティアを見舞った。法師は彼女の耳元で、「あらゆる執着を捨てて、早く行って戻って来なさい。健康な体になって慈済ボランティアを続けることを忘れないでください」と優しい声で言った。
 
法師の簡単な一言を聞いて、大きな慰めを得たかのように、彼女は一瞬にして感激の微笑みを浮かべた。頼其萬には彼女が本当に「あらゆる執着から切り離された」ことが見て取れた。そのボランティアはそれから一時間もしない内に安らかにこの世を去った。
 
正直言って、自分にはこれといった特定の宗教信仰はないが、信仰を持っている人をうらやましく思っている。なぜなら、何人かの末期ガンの患者が信仰に頼って、混乱して不安でいっぱいだった心を変えたのを自分の目で見てきて、とても不思議に思っていたからだった。
 
「You are responsible for what you are(今の自分であるのは自分自身の責任です)」。臨床医として、奇跡的な心の変化を数多く見てきた。頼其萬は患者が自分を信頼していると感じた時、己の心境に責任を持つことの大切さを患者に気づかせることを試みてきた。「患者にそう言えば、彼らを大いに勇気づけることができます」。心の持ち様を変えさえすれば、チャンスはあるかもしれない。
 
●神経内科医である頼其萬は数多くの認知症の老人に接してきた。認知症になるかどうかを心配するよりも、心の持ち様を変えて、健康で楽しい老後を過ごせるよう心身の健康管理をした方がいい、と言う。
 

別れを受け止める強さ

 
「職業柄、様々な人に出会い、患者からより良い生き方を学んできました」。ある患者が頼其萬に深い印象を与えた。その人は二種類のガンに侵されていたが、病状がかなり悪化していることを知らされた時、彼は「It could be worse, right(最悪でもないんでしょ)?」と楽観的な態度で言ったのだ。そして、その反応に驚いていた頼医師に手を差し伸べて握手し、平然と現実を受け入れたのである。
 
長く、より良く生きるには年齢の数字ばかりに気を取られ、「明日は今日より悪くなる」とこだわっていてはいけない。さもなければ、年を取れば取るほど楽しくなくなってしまう。
 
人生はギブ・アンド・テイクの連続で、足したり引いたり、得したり損したりするものである。長生きできたら、その代わりに老化に耐えなければならないと頼其萬は言う。
 
人は誰でも老化の過程で知力にしても体力にしても「昔より劣ってきた」と感じるかもしれない。人は前に進もうと思わなくなれば、いつでも嘆き悔やむことを選択することはできる。しかし、長く生きる過程で探索し続けることを望んだとしても、同じ様に数多くの挑戦を受けなければならないのである。
 
一九九二年末、母親が肝臓ガンで他界したため、頼其萬は台湾に一時帰国して葬式を執り行った。アメリカに戻って傷心で落ちこんでいた時、ある八十歳を超えた男性から、忘れられない言葉をかけられた。この男性は、頼其萬が十数年診てきて、何年も前に脳卒中に見舞われた患者だった。彼は、診察の時、「長生きすると、必ず最愛の家族や友人に先立たれます。従って、それに耐えられるぐらい強くないといけません。さもなければ、老後の生活を楽しむことはできません」と言った。
 
両親は自分がこれから歩もうとする道を先に歩んできたため、見習うべき対象である、と頼其萬が言った。「両親の老化、衰弱、死亡の過程を振り返って、私が気がついたのは、彼らが最期まで自分の人生に満足していたことでした」。両親が老化という事実を受け入れたその態度は、むしろ付き添った子供達への激励しになっていた。
 
頼其萬は二〇一八年の前半に病気した。体力の衰えは感じていたが、彼は今日が昨日より、今週が先週より良くなるという前向きな気持ちでいた。心境が体力より若くいられることをよく知っているのだ。
 
頼其萬は、死について語る必要はないが、心の準備をしてもいいと言う。彼は一昨年アメリカに行き、弁護士の立会いの下に二人の息子と正式に遺言について話した。遺産相続の話よりも、命の最期をどう扱われたいか、についてであった。「話し合った後は解放感を味わいました。今回の入院でも、見舞いのために慌てて帰って来なくてもいいと言いました。I am OK!と」
 

どんな自分も受け入れる

 
WHOの統計によると、世界では三秒に一人の割合で認知症の患者が増えている。老化と記憶喪失の問題は楽観できない状態になりつつある。残念なことに、人は恐れれば恐れるほど萎縮し、萎縮すればするほど悪化していく。
 
「何も心配していないといえば嘘になります」と精神内科の専門医としての頼其萬は率直に言う。とくにあれだけの数の認知症のお年寄りを診てきた彼は、一般の人よりも大脳の変化や老化についてよく理解しているからである。
 
頼其萬が最も尊敬するのはアメリカの神経学会創設者の一人で、晩年やはり認知症になったある医師である。医師は定年退職する前に行った講演会で、映し出された一枚のスライドを見て、思考回路がついていけないような感じになり、一分間もそれをじっと見つめていた。「その一分間はとても長く感じられましたが、誰も声をあげませんでした」。その日のテーマは正に認知症についてだった。
 
医師はいつも誇り高く、自尊心の強い人だったため、記憶が次第に失われていくことは彼にとってとても残酷なことだった。残念なことに病状は悪化し、高齢者施設に入って二年後に亡くなった。それだけでなく、身近な同級生で優秀な医者であっても、老後は認知症に苦しめられた。
 
人が年を取っても明るく生きるためには、最愛の親族や友人をなくすことに耐えるだけでなく、自分の機能が次第に失われていくことを受け入れなければならない、と頼其萬は悟った。百歳になっても十キロを走りたいと目標設定したとすれば、「その時になったら、きっと苦しみます」と例を挙げた。何故なら、そのような考え方は現実的でないからだ。ないものやできないことに執着するよりも、持っているものや、できることに目を向けた方がいい。
 

老化に逆らうより

年寄りくさくならないこと

 
「老化に逆らうより年寄りくさくならないことです」と台北栄民総病院高齢医学センターの陳亮恭医師はある文章にこう書いている。言い換えれば、細かいことで老化現象に逆らうよりも、良い生活習慣を身につけて、慢性病の発生を防いだ方がいいということである。
 
老化について心配するよりも、「楽しく健康でいるために、心身を如何に養生するかを真剣に考えた方がいい」と頼其萬は率直に言った。 彼は数十年間、医者として多くの命が若くして亡くなった例を見てきた。「それに比べて『老人』の行列に入れるだけで光栄なことであり、少しも怨む気持ちを持ってはいけません。むしろ感謝の心と悠々とした態度で『自分は年寄りになった』という事実を受け入れるべきです」
 
「同時に、どうしたら社会がもっと老人に対して礼儀正しく接することができるかを積極的に考えるべきです」と彼は強調した。
 
頼其萬は現代人が何事も即時、即刻に満足することを求める風潮を心配している。例えば、どこにでもあるコンビニに入って、素早く食事を済ませる。人々は欲しい物を見たらすぐ手に入れたいと思う習慣を持っている。
 
「しかし、もしすぐさま満足できなければ、そのすぐ後で失望や挫折を味わうことがよくあるのです」。現代人はストレスへの抵抗力があまりなく、常時挫折を味わったり気落ちしていれば、自ずと老いた時に明るく生きることはできない、と頼其萬は考えている。従って彼は、若い時から心の持ち様を調整しておけば「歳と共に体力が衰えても、自然と広い心でそれを受け入れることができる」と思っている。
 
頼其萬の老化に対する見方は、十年前父親が他界した時に「仏説無常経」を引用して書いた感想に近いのかもしれない。「父親の老と病と死の過程は可愛く、輝かしく、懐かしいものでした。決して思い通りになるものではありませんが、我々はそこから命の真諦を学び、人生の避けては通れない試練を、意義のある人生経験にすることができるのです」
 
セルフケア
頼教授のやり方
 
口述・頼其萬 整理・李委煌 訳・惟明
 
●もう74歳だが、健康状況は悪くない。私は水泳が好きで、水中は老人の体への負担が少ない上、一人で運動でき、無理することなく、息が苦しくなったら直ぐ止めることができる。
 
●そのほか、物を書くのは講義や診察同様続けているが、これも養生の一つである。私は学生や患者からのフィードバックで達成感と満足感を覚えている。私は「自分はまだ役に立つ」という心境が、老いへの恐怖感を克服する最良の薬であると思う。
(慈済月刊六二一期より)
 
No.262