慈濟傳播人文志業基金會
菩薩の寿命は無量
慈済が済世に力を注いで以来、すでに半世紀以上が過ぎ去った。多くの古参委員は白髪をたたえ、病の痛みを抱えた者、あるいは老化によって歩みが遅くなっている者もいる。しかしながら、彼らは依然として菩薩道から退くこともなく、出し得る限りの力と智慧を後輩の啓発のために注いでいる。
 
私たちは、年長者に対して私たちが持つ先入観を、仏法の常住不滅にある真理のように、生き生きと書き直さなければならないだろうか。證厳法師はこの半年来「寿命宝蔵」の概念を示されている。さらに、ボランティアに対して自分の年齢より五十歳引いて、歓喜心に満ちた広い心を以て菩薩道を歩むよう激励されている。それだけでなく、百歳を超えた人もそれに加入するようにと呼びかけている。
 
法師は《法華経、如来寿量品》の中で「仏寿無量」の話に及ぶと、「寿量宝蔵」の新しい思想を広げるようにとおっしゃった。これは、昨年末の行脚で彰化に来られた際、舞台で「記憶保養班(記憶喪失のクラス)」のお年寄りたちが出し物をするのを見て、生活が自分でもままならない若者が混じっていたのをご覧になり、法師は自分もまた年を取ったのだと、不意に疲労感に襲われたことがきっかけであったという。
 
その後、雲林に行かれて、環境保全のボランティアたちとお話しになった際には、八十~九十歳の年長者たちが、老いてもなお元気に続々と発願し励んでいる様子をご覧になっていた。中には環境保全のために最後の一息まで尽くしたい、病気で死にたくないと言う人もいた。法師は、積極的なこの人たちの態度に自分を奮い立たせて、その後の行脚の日々では、私はまだ老いてはいないのだと、背筋を伸ばしてご自分に言い聞かせておられた。
 
「寿量宝蔵にこめられた思いは、老いという言葉に束縛されず無用とも思わないように、自分の年齢の中から五十歳を宝蔵の中に預け、再び若い時の精神気力を奮い立たせて、善良な潜在能力を発揮するところにある。衆生に利益すると同時に、修行の途上において精進した経験を末代にまで伝えると、無窮の法身慧命を創造することができる」と。
 
「慈済は、仏陀の理想である菩提境地を皆で努め励み、この世に根づかせることにある。人生は短いと言うものの、しかし刹那に起きた一念を把握すれば、この一念は無量劫という長い時間をかけて相続ぎ延続させることができる」。法師は近日中に再度行脚され、改めて慈済の基である仏法実践の観点を述べられた。また、多くのボランティアが活気に満ち、若返ったこともご覧になって喜ばれた。
 
医学と生活品質の水準が高くなるにしたがって、人の寿命も絶えず伸びている。しかしながら「寿量宝蔵」の概念にあるように、人とはただ「生きている」だけで良いのではなく、最も重要なことは、絶えず自分の精神と能力を啓発して、他人と調和のとれた愛の関係を取り結ぶことにある。
 
お年寄りのケアは現代社会の重大課題になっているが、本期主題の報道に掲載された百歳の古参委員の蔡寛や、知的障害者のケアに身を捧げている曹汶龍医師、両親の世話をしながら如何に年取るかを学んでいる頼其萬医師の話、また静思精舎の徳澡尼僧など、人々の考えに触れてほしいものである。人々は如何にして安らぎを得ることができるかと。その鍵は、智慧を働かせて、この人生が円満であるよう瞬いていくことにある。
(慈済月刊六二一期より)
No.262