慈濟傳播人文志業基金會
洪水の後 ダム決壊事故を支援して

二〇一八年七月二十三日、ラオス南部アッタプー県サナームサイ郡で水力発電所のダムが決壊する事故が起きた。大量の水は瞬時に流れ落ちて四方に広がり、下流域の村落や農地が重大な被害を蒙った。六千人近い人が住居を追われ、避難した。
 
事故から一カ月余り、八月三十日に上空から見た状況では、部分的にまだ水が引いていなかった。
 
 
田舎の小道
ダム決壊事故から1カ月以上が経ったが、サナームサイの被災地の農村の小道はまだ至る所が泥水に覆われていた。村人は出入りする時も困難を極め、耕運機を足代わりにしていた。
 
 
空中補給
事故発生後、数千人の住民は数カ所に分かれて避難していた。一部の人は被災地の近くにある小高い山に仮住まいしている。山間から外部に通じる道は洪水で寸断され、生活物資は軍のヘリコプターによる空からの補給に頼るしかない。2018年8月30日、慈済ボランティアは山間部の住民を緊急支援するため、軍のヘリコプターで即席飯を届けてもらった。
 
八月末のサナームサイ郡は天気がよく変わり、黄土のぬかるみの中にテントが何列にも並んでいた。そこはサナームサイ中学校で、四つの村の住民約三百人が避難していた。雨が降る中、ボランティアは運動場傍にあるテント区域と教室を訪ねて回った。一カ月以上も家族と一緒に学校で避難生活を送っている村民のラーは、ボランティアに笑顔で感謝した。五十八歳のラーはずっと農業に従事してきたが、洪水であらゆる財産を水に流され、わずか数枚の衣類を持って学校で避難生活を送っている。
 
●降りしきる大雨の中、慈済ボランティアはサナームサイ郡にある4つの避難所を慰問し、被災者たちの生活に関心を寄せた。
 
「泣きたいですよ! 目の前で苦労して築き上げた財産がなくなってしまったのですから」と彼女は言った。
 
純朴な村人は一文無しになっても笑顔を忘れない。慈済ボランティアの羅美珠は忍びなく思って抱擁した。お互いに言葉は通じなくても、ボディーランゲージで十分に分かり合うことができた。
 
「七月二十三日の夜、アッタプー県の完成間近のダムが連日の豪雨で決壊し、洪水が怒号のように流れ落ちて十三の村落をのみ込み、六千人以上が家を追われました。突然襲ってきた洪水で恐れおののいた住民のことを思うと、忍びない気持ちです」。九月二日の朝、サナームサイ郡政府の避難所で被災者たちは、一心にボランティアがラオス語を使って読み上げる台湾の證厳法師からの祝福のメッセージに耳を傾けていた。ぬかるみにテントを張った生活をして一カ月余り、慈済の福慧ベッドと毛布が届き、やっと困難な生活環境が改善されようとしている。
 
●避難所のテント区域で慈済ボランティアはじっくり被災者の苦しみに耳を傾け、お互いに抱擁して祝福し合った。
 

豪雨の夜、家がなくなった

 
シナイ半島のラオス、ミャンマー、タイ、カンボジア、ベトナムを流れるメコン川沿いには数千万人が生活している。下流域のラオスは豊富な水資源を利用し、建設中のものも含めると約百カ所の水力発電所があるため、「東南アジアの電池」と呼ばれている。全国で発電する三分の二の電力が輸出されている。二○一七年、ラオス北部で小規模なダム決壊事故が発生したことがあるが、今年七月二十三日には南部のサナームサイ郡で水力発電ダムが豪雨の夜に決壊し、洪水が瞬く間に下流の村落を襲った。被災地域には河川による排水システムがなく、一部の地区は水が引いた後、大量の泥が残り、救済人員が入るのも困難な状態だった。
 
前代未聞の大災害で、十以上の村落の住民がサナームサイ郡庁舎近くにある三つの学校に設置された臨時の避難所で暮らしている。農地も家も損壊し、住民は一世帯に一つのテントを割り当てられているだけで、後は数枚の板で簡易調理場を作り、寄付された米で三食を維持している状態である。水を貯めたい時はビニールの両端を結ぶと、最高の貯水槽に早変わりした。
 
●避難所のテント区域で慈済ボランティアはじっくり被災者の苦しみに耳を傾け、お互いに抱擁して祝福し合った。
 
八月中旬、ラオスに隣接したタイの慈済ボランティアは被害の視察に出かけると共に、即席飯と携帯用食器などの物資を現地の華僑の支援の下に送り届けた。その辺りは五月から十月までが雨季であり、今年の豪雨はとくに激しく、山間部の被災地区では道路が寸断され、救済の困難さに拍車をかけている。
 
タイと台湾の災害支援チームは国境を越えて大量の物資を被災地に送る最も早いルートを見つけようと努力した。八月下旬、福慧ベッドと毛布、即席飯をサナームサイ郡の被災地に届け、三十日、県政府の協力の下に、一・二トンの即席飯と三千個の携帯用食器が軍のヘリコプターで山間部の被災地区に届けられ、住民の基本的な生活が保たれた。
 
慈済の支援 ラオスダム決壊事故
 
●ラオスは東南アジアの中で唯一海に面していない内陸部に位置する国である。7月23日、南部のアッタプー県でダムの決壊事故が発生した。洪水で下流域の村落が被災し、6千人近い住民が避難を余儀なくされた。
 
●慈済ボランティアは8月中旬、視察チームを派遣し、物資の輸送、集荷などの準備をした。福慧ベッド1151床、毛布2315枚、即席飯1・2トン、浄水設備、医療器材が送られた。ラオスは慈済が慈善活動を行った96番目の国・地域となった。
 

即席飯が村人のお腹を満たす

 
「山の上の住民は下りて来られず、食糧が足りないようです。即席飯の炊き方を教えましょう」。国際災害支援経験が豊富な台湾のボランティア、羅美珠は大きな鍋と灼、ガスコンロを購入し、郡政府の避難所に慈済の炊き出し所を設け、山間部の三つの村からのボランティアに、山に戻ってから村人に教えるための即席飯の簡単な炊き方を指導した。
 
村人のワンディサワンは一心に通訳の言葉を聞いて、ラオスと台湾の生活の違いを感じた。羅美珠はゆっくりした口調で調理の流れを説明すると共に、五キロ詰めの袋は回収できることを教えた。
 
便利で素早く調理できる即席飯は美味しいだけではない。その香りに誘われた近くの駐屯地の軍人たちがボランティアに参加した。五キロの即席飯はちょうど郡政府職員七十人分の昼食になる。メディアがそれほどそれが歓迎されているのを見て尋ねた。「一・二トンの即席飯と携帯用食器の金額は合わせていくらするのですか?」「愛に値はつけられません」とボランティアの彭秋玉が答えた。
 
●避難所のテント区域は雨でぬかるんでいた。慈済ボランティアは492世帯、2000人以上の被災者に毛布と福慧ベッドを配付して、被災後に直面している被災者の困窮を和らげた。
 

福慧ベッドがあれば、

テントでもよく眠れる

 
被災者は郡政府近くのサナームサイ中学校と小学校、幼稚園の三カ所に避難していた。臨時のテント区域は雨でぬかるんでいたが、学期が始まる前に教室を元に戻す必要があったため、数多くの住民は空き地に移るしかなかった。二日間の訪問で、住民のニーズと交通手段の不足を知った後、ボランティアは福慧ベッドと毛布の配付会場を二つに分け、配付活動の前には一世帯ずつ訪ねて通知書を渡した。ボランティアの許家銘は感情をたかぶらせて言った。「今回ラオスに来たのは被災者を支援するためです。自分の手で買い物券を配ることができてとても感激しています」
 
支援活動で相談の手伝いと輸送を担当した現地実業家の林耀文、陳正華、陳正輝たちは努力して準備してきた成果が見えたことに喜びを感じると共に、彼らもボランティアとして自らの手で毛布を住民に手渡した。また、慈済が感染症を見つけ出す医療機器類と医薬品を寄付し、アッタプー県婦女の会の会長と国防省の代表が受け取った。
 
配付活動で人と人の間の美しい愛と善が見られた。今回は配付物資の量が多かったため、ボランテイアは若者や中年世代の村人に、人々が受け取った福慧ベッドの運搬を依頼した。「彼らは本来なら自分たちが物資を受け取る順番なのですが、ボランティアの人数が足りないため、先に彼らに手伝ってもらい、他の人が受け取り終えた後に取りに来てもらっているのです」。タイのボランティア、張惠珍は彼らが自分のことを後回しにして他の人を手伝っていたことに感謝した。
 
●被災した村人はエコ毛布を受け取った後、嬉しそうに頭に載せて帰って行った。
 
配付活動が無事に終わった後、住民は福慧ベッドを使い始めた。ボランティアは一つずつ見て回り、しっかり組み立てられているかどうか確かめた。
 
ボランティアがテント区域に行くと、皆、福慧ベッドを木の下に置いて涼んでいたので、話の輪に入った。そして、テントの中では、子供たちが毛布を敷いた福慧ベッドの上に気持ち良さそうに寝転がっていた。夜になれば、一家共々ぐっすりと気持ちよく眠ることができそうだ。
 
●3つの学校にテント区域があり、慈済ボランティアは住民が福慧ベッドを運ぶのを手伝った。住民は道すがら談笑しながら帰って行った。

浄水場があれば、安心して水が飲める

 
被災地では飲料水は重要な物資の一つである。郡政府の避難所から十二キロ離れたバーンタワン村は水の引くのが非常に遅く、外部と通じる道は通行が困難な状態だったため、耕運機を使って物資を運搬していたが、とくに清潔な飲料水が不足していた。
 
慈済ボランティアは終日、電力の供給があるバーンタワン村公民館に台湾水利署と工業研究院が開発した二台の浄水設備を設置した。電気があれば、次は水源から貯水タンクに水を引けばよい。二度の調査を経て、浄水設備を被災地のバーンタワン村に設置し、散らばって住んでいる村人に飲料水を提供できるようになった。
 
●洪水の後、とくに食糧と飲料水などの物資が欠乏した。慈済ボランティアは被災地のパタワン村に浄水設備を設置し、飲料用水を提供した。写真は村民が空のポリ容器を持って浄水場に向かっているところ。
 
浄水設備ができたと聞いて、村人は次々にポリタンクを持って並んだ。八月二十八日から九月一日までに、浄水場は三トン以上の飲料用水を供給した。住民に安心して飲んでもらうと共に、大量の使い捨てペットボトルを出さなくて済むのである。
 
「水の味は甘くて美味しく、とてもきれいです」。村には地下水が湧き出るが、誰も飲もうとせず、村人は浄水器から出る飲料水を称賛した。浄水設備の水は甘く、沸騰させる必要もなく、直接飲める。
 
ボランティアがラオスを離れる前、村長は残して行く浄水設備の操作方法を習得するよう四人の現地ボランティアに要請した。浄水設備の操作は簡単で、濁った水しか出ない地域で長期的に使用することができる。「私たちはまた来ます。その時はまだ誰かが村人のために設備を操作しているように望んでいます」と柳宗言が村長に言った。「ええ、大丈夫ですよ!」と村長が答えた。
 
「水がないと生活に大きな影響が出ます。研究開発された科学技術は人々が最も必要としている時に使われ、緊急時に提供できるべきであり、それがすなわち、最も大きな慈悲なのです」
 
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ダムの決壊による被災者は短期間のうちには家に帰ることはできない。真っ青な空の下、純朴な村人は現実を受け入れながらも、時には悲しみを抑えられなくなる。雨季が過ぎた後、住民は政府が計画している簡易家屋の建設に期待している。ボランティアは祝福すると共に、善の循環によって現地で愛の種子が芽を出し、一日も早く村人に平和な生活が戻ることを祈った。
●組み立てられた福慧ベッドに子供が座り、小さな顔に心地よさそうな表情を浮かべていた。
(慈済月刊六二三期より)
 

 

No.264