慈濟傳播人文志業基金會
ムームーの宗教と大愛

花蓮・楊玉梅

もしも愛が宗教と種族の違いを超越することができるなら、二○一五年に私たちが花蓮県鳳林鎮萬栄村で見たことが証明できる。この村に住む敬虔なカトリック教徒でタロコ族の彼女は、大地の守護者、環境保全ボランティアの楊玉梅である。集落の人たちは彼女を「ムームー」と呼んでいる。目上の人に対する尊称で「ママ」という意味だ。

七十九歳のムームーは、かつて慈済基金会から長期に亘る援助とケアを受けていた。彼女は回収できる物を拾って売っていたが、慈済ボランティアが環境保全をしているのは大地を護るためだと知った。またペットボトルは回収して毛布に製造し、被災者を救済していることを知ると、情に篤いムームーは積極的に回収して慈済に持って行った。慈済に感謝し、助けを必要とする人たちの役に立ちたいためであった。
毎日のように一人家の中に座って、右手で杖を持ち左手で十字架の数珠を持って、両目は裏庭の回収物を心配そうにじっと見ている。一年前に中風を患って行動がままならず、一心にボランティアが来るのを待っていたのだ。ボランティアが来たのを見て「来てくれてよかった。そこに回収物があります」と指さす。
 
 
環境保全を話して福音を伝える
 
ムームーの夫は四年前に亡くなった。生前十三年も病の床に臥せっていても、褥瘡がなかったのは彼女の細心の看護があったからだった。当時は夫の看病のかたわら裁縫で家計を維持しながら、環境保全の仕事と礼拝は欠かさずにいた。彼女は宗教の慈愛精神を普段の生活で発揮してきたが、思いもよらず一年前に中風を患う再度の試練を迎えた。
隣近所の人たちが、あまり働かずに休むように勧めても、痛ければ痛いほど動かさなくてはならない、回収物を集めるのもリハビリと思って、物を取る時や空のペットボトルを踏みつぶす時も、痛いのを我慢して筋肉を伸ばす。その意志の強さは、集落の同じ病を患う人たちにとって励ましになっている。中風になる前は集落の隅々まで歩いて物を回収していた。今は環境保全の願いを放棄せずに、電動車椅子に乗って資源回収をしながら環境保全の理念を宣伝している。
ムームーは環境保全に励むだけでなく、皆に善行を進めている。お金のある人には慈済のことを説明して、回収した売り上げを慈済に献金すればさらに大きな能力を発揮することができると進めている。断る人には反撥せず、「慈済の人助けは宗教の分け隔てなく、ただ愛を唱えているだけです。人の助けが必要な人に私たちはしてあげなければなりません」と言っている。
 
 
愛は宗教種族を超越する
 
ムームーは毎日のようにイエス・キリストに祈りを捧げる。「この体を創造して下さった天主様。もしも私が必要でしたらこの体がよくなりますように、もしも必要でなかったら私の体を喜んで差しあげます」と。生死に対し拘泥しない。彼女は裕福ではないが、かつて住む家のない人を自分の家に住まわせてあげ、苦しい時期を乗り越えられるように助けていた。「人としてこの世に生を受けたからには有意義なことをするべきです。私たちは喜んで人を愛さなければなりません」。目の前にいる小柄なムームーの広い博愛精神に感動した。
ある日私たちはムームーと一緒に、集落の山合にある湖に行くと、湖の中央に聖母マリアの銅像があった。私たちがムームーの手を引いて浮橋を渡った時、小雨が降り出して霞がかかり、私たちは静寂の中に包まれていた。ムームーは聖母マリアに向かって杖を頼りに直立して頭を垂れ、両手を合わせて祈っていた。この姿に私は、「お祈りの度に、世界に災難が起こりませんように、人々がお互いに親しみ愛し合って平和に中で共に暮らすことができますようにとお祈りしています」とムームーが言った言葉をあらためて思い出した。
台湾原住民族でカソリック教徒と仏教慈善団体。彼らは「愛」の因縁によって出会い、「環境保全」によって互いに強い信頼の絆で結ばれている。信仰する宗教や種族は異なっていても、大地の保護、衆生が苦しんでいるのを憐れむ心は同じ。どこかで助けを必要としている人がいれば、すぐそこへ駆けつけて甘露を注いでいる。
 

 

 

 

NO.231