慈濟傳播人文志業基金會
死をも恐れない

(絵/林淑女)

「死をも恐れない心は

諸々の衆生を憐れむ心」

《無量義経・十功徳品》に

記されたこの菩薩の功徳は、

救助隊員の姿によって体現されていた。

地震はあまたの家庭を粉砕した。

しかし一方で人々の愛の心が体現されていた。

 

旧正月除夜の前日、二〇一六年二月六日の早朝三時五十七分、高雄市美濃区でマグニチュード六・四の地震が発生、台南地区は重大な被害を受けました。最もひどかったのは永康区にある維冠金龍ビルが倒壊して多くの死傷者を出したことです。 

熟睡していた人たちは、天地が雷同したかのような突然の揺れに、夢を破られたことでしょう。ビルの中は人口が密集して救難に困難をきたしていました。瓦礫の下に埋もれている人たちの驚愕、負傷の災難は一秒が一日のように長く辛かったことでしょう。 

救助隊員は危険を冒し、傾いて今にも倒壊寸前の建物の中に入って、全神経を集中させ生存者を探していました。大型機械を使用しなければならない時は、中に閉じ込められている人を傷つけないよう慎重に捜索しなければなりません。 除夜のこの日、本来なら家族団欒の楽しい時を過ごしていたはずの救助隊員は、一秒をも争って生存者の命を救うのに必死でした。瓦礫の傍では、生死の知れない家族が救助されるのを待ち焦った人たちがいました。

救助隊員は注意深く、空洞を見つける度に生存者のいることを期待していましたが、時が経つにつれその期待も次第に薄れていきました。救助隊員は家族の期待がよく分かっていますが、遺体となって対面しなければならないのは、彼らも辛いことでした。救助隊員が必死になって最後の一人になるまで、行方不明者の捜索に努めているのは、同情心、そしてまた愛があるからです。

六十六歳の消防団員蔡重義は、以前に台湾中部大地震や高雄の化学爆発の救助活動にも参加した慈済ボランティアでもあり、この度の台南地震では午前四時には現場の救助に駆けつけていました。一週間続いた救助活動が一段落した時、嗚咽を押し殺して、「瓦礫の間で微かな動静でも見つけると、誰かいるのではないかと喜んだが、何度も失望しました。私たちは全力を尽くしましたが、すべての人を救出できませんでした」と語った。 

彼はどの被害者も自分の家族のように忍びなく、全身全霊救済に投入していました。この「人の傷見て我痛む」という心に感動させられます。ある救助隊員は怪我をしても簡単に傷口を抑えたあとに、瓦礫の間で捜索を続け、心にあるのは「救助第一」のみでした。

《無量義経・十功徳品》の中の菩薩徳行に「出生入死無怖畏想 於諸衆生生憐憫心 於一切法 得勇健想 如壮力士 能擔能持諸有重者」と記されています。救助隊員は普段から専門の訓練を受けて、災難の発生時には第一線に立って被災者を救助しています。この危険を顧みず生死を度外視して衆生を救う心とは菩薩徳行(菩薩心)です。

この寒い時期に多くの救助隊員は家庭の団欒をすて、第一線での不休不眠の捜索は実に七日間に及んでいました。政府と民間団体も現場に待機して救助に必要な物を提供し、救助隊員と四方八方から関心を寄せに来た人たちが団結しているのは、台湾社会の愛の展開です。捜索の結果に心が痛みましたものの、人々の至誠の愛、人性の美に感動しました。

 

慈悲と智慧が同時に策動すると

光と熱を発揮し

心霊の傷をいたわる     

 

地震が発生した早朝の四時近い頃、精舎では朝の礼拝を知らせる拍子木を叩き、皆はいつものように礼拝堂で朝のお勤めを始めていました。被災地から続々と報せが届き、ボランティアの朝会が終わった後には、台南のテレビ回線を通じて、台南支部がすでに救済協調センターを設立している様子が見られました。 

台南の慈済ボランティアも強烈な地震を経験して恐怖の収まらない人、自らも被災した人もいましたが、すぐにも災害の状況を確かめに行かなくてはと、台南静思堂、あるいは直接被災地に駆けつけました。

「悲しみは衆生の悲しみ、痛みは衆生の痛み」であるがゆえに、皆は新春をお祝いするどころではなく、連日被災地で被災者の家族に寄り添って慰め、温かい食事を救助隊員に提供していました。ある人たちは病院へ行って被災者を見舞い、ある人たちは斎場に日夜交代で詰め、犠牲者の遺族に寄り添って慰めていました。

花蓮慈済本部では協調センターを設立して、毛布、暖房器具、福慧ベッドなどの物資を被災地へ送りました。各地のボランティアはリレー式に台南へ支援物資を届け、また救済に尽力している兵隊にも声援を送り労っていました。慈済人医会の医師はサービスセンターに常駐し、心身疲れきっている家族や医師たちに按摩や治療をしていました。

人生は無常、国土は脆く危ういもので、ひとたび災難が発生すれば、何人もの愛の奉仕が必要です。二月十二日犠牲者の初七日が行われた日、慈済でも「安心祈福会」を催して、人々の敬虔な願いが届き、奇跡が現れ、行方不明者が見つかりますように、犠牲者が安らかに、また台湾、台南が平安になりますようにと祈りました。 

地震で多くの人が恐怖に陥ったばかりでなく、家が損壊しました。慈済の人たちは、玉井、永康、安南、帰仁など百カ所の地域に分かれ、慰問するほか、家屋の損壊状況、経済的な支援の必要性について調査をし、今後長期的な支援を必要とするケースを判別しました。

建築物が傾いたり破壊しているのは立て直しができます。ただし見えない心の傷は長期のいたわりが必要です。社会の人たちが「人の傷見て我痛み、人の苦しみに我悲しむ」のいたわりの心を持って引き続き関心を寄せるよう願っています。

 

人心に愛があり

単純な善美があると    

天下は隣人のようになる

 

台湾の大地震を聞いて、多くのかつて台湾が支援した国々の人たちが関心を寄せ、街頭募金をして支援金を送って下さいました。

昨年ネパールで発生した大地震で、今でもテント生活をしている人たちは、彼らが最も困難な時に台湾の慈済人の温かい支援によって難関を越すことができました。ですから皆で集まって燈火をともし、真心を以て台湾の人たちが平安でありますように祈りましたと。 

マレーシア・ペナンの慈済透析センターの患者は自分たちも貧しいですが、「人の苦に我苦しみ、人の痛みに我痛む」と、多くの人が義捐金を送ってきました。アフリカ・モザンビークの住民は内戦によって家族を失う苦しみを経験したので、被災者のために祈り、わずかでも心のこもった支援金を送ってきました。

これから見ると「布施」は金持ちだけの特権ではなく、真心があれば貧しい人も愛の布施をすることができ、自分のため、また人のために造福することができます。

シリアの内戦が起きてから五年近くが経ちます。その間四十七万人が犠牲になり、百九十万人が負傷し、人民は生き残るために国外へ脱出しています。数十万人以上もの難民をどう援助することができるのでしょうか? 本当にどうしようもできないことですが、それでも慈済人は努力しています。

シリア難民の児童は残酷な戦火の経験や、艱難辛苦な逃亡の過程の中で目を覆いたくなるような光景に心が傷つけられました。慈済はトルコにマンナハイ小学校を設立して、難民児童に学業を続けさせ、この世にも愛のあることを感じられるよう願っています。 

台湾の災難を聞いて、ぎりぎりの生活をしているトルコの難民たちは、台湾元で五万七千元の義捐金を集めて遠方の台湾に送ってくださいました。これが愛のエネルギーの集合です。なぜなら彼らは慈済人の身上から、奉仕できることは福であることを理解し、人を助ける人は助けられる人より幸せであることを知ったのです。ですから教育とは愛の種子をまくことで、この機会に愛が芽を出したことは、その愛が循環したことになり実に喜ばしいことです。 

「世界のはてにも、隣近所のような愛」ということに対して、語りつくせない感謝と感動を与えてくれています。人々の心がこんなに単純であるなら、まさに善、まさに美ではありませんか。

シリアのジュマ教授が、天地の間は無形の家であり、幾千、幾万、幾億もの人を入れることができると言いました。この無形の家とは「愛」のことで、小さな一つの家庭がお互い愛し合うことに始まり、そしてひいては社会全体や世界中の善人に及んで、地は遠近を問わず、人は貧富に限らず、ただ心中の愛を開け拡げ、種族、国境を超越することができるなら、天下は一家族のようになることができます。 

気象予報士の予告では、今年は地球のエルニーニョ現象が以前よりもさらにひどくなっています。エチオピアでは、旱の地域の人々が飢餓の苦しみに遭って、ボリビアのポオポ湖は高温の上に雨が降らず湖の水は蒸発しています。またある国では洪水による農作物の被害が出ています。世界衛生組織(WHО)ではジカウィルスを世界緊急公共衛生案件に認定しました。

極端な気候変動に対して、天災の絶えない近況では警戒心を高め、お互いが助け合う人情がなくてはなりません。CО2削減に努めて地球温暖化を防止すれば災難を減少させることができます。

四大不調は天災を造成し、人心の不調は人禍を造成します。皆が真心を以って警戒心を高め、生活と心霊が軌道から外れないことを願っています。人心の調和、浪費の減少と万物共生があってこそ天地気候の調和がとれて、人々が平安になることができるのです。

 

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除夜が過ぎて新春になると、古の人は「一年の計は年の初めにあり」と言います。ですが初心を忘れてはなりません。人生において、別れと出会い、悲しみと喜びは免れられないことですが、もしも悲しみから抜け出すことができないなら非常に苦しいことです。常に爽やかな春を心に留めおいておけるなら、心は毎日がうららかな春のようになります。

この世は修行の道場ですから、無論順調や逆境に出会っても「増上縁」と見て、心に感謝をこめるのです。かりに過去世においていざこざがあったら、この世でさまざまな障害となるので、この世でただちにその借りを返さなければなりません。

「一日の計は早朝にあり」です。毎日の始まりに昨日行ったことが正しかったかと反省するのです。時間を善用していたかと自問し、もしも怠惰な気持ちがあったら速やかに修正し精進することです。 

時を無駄に過ごしていると、無明にぼんやりとした夢の中に追いやられ、怠惰になり道心の妨げになって慧命が腐敗してしまいます。目覚めのない人生は心身共にだるく、煩悩が増すばかりです。

怠惰、煩悩を治すには「四修」に励むしかありません。あます所なく修め、長時間修め、間断なく修め、尊重して修める四修があります。勇猛果敢に精進し一刻たりとも怠ることなく、道心をもち続けるなら、修行は進歩します。無明を取り除いて、学んだことを尊び、散漫にならなければ、福慧共に修められ、この世で造福することによって慧命が成長します。

皆さんの一層の精進を期待しています。

 
NO.231