慈濟傳播人文志業基金會
一歩一歩教育を再建する

ネパール震災後、

慈済は百クラス以上の仮設教室を設置した。

マレーシアから工事の監督にやってきたボランティアは、

建材の運輸や雨季の施工の困難、電力不足等の試練を乗り越えてきた。

しかしそれでもまだ心残りがあった……。

慈済が建設援助した仮設教室で授業を受けるバギスワリ学校の生徒たち。訪問した慈済ボランティアを見ると、合掌して敬意を示した。(攝影/許妙如)

二〇一六年初頭、ネパール大地震から八カ月後のこの時期までに、慈済は百五十八個の仮設教室の建設を支援した。工事は現在も進行中である。

第一期工程の九十七クラスは、カトマンズの市内及び郊外にあったが、工期はほぼ雨季に当たっており、六月から九月まで、工事の進行には相当な困難が伴った。一方、第二期工程の六十一個は僻地農村地域にあり、十月中旬に着工した。マレーシアのペナン州から来た李済瑯と張済玄は、主に仮設教室建設支援の計画と事務を担当した。

「雨季、先生と生徒がテントの下で授業をするのは、不便な上に危険でもあります。第一段階の建設と組み立ては全て、カトマンズ市内から車で一時間半以内にある学校に集中させました。雨が降ると山道はスリップして危険なので、僻地の学校は雨季が終わってから建設することにしたのです」。慈済ボランティアは多くの校長から支援要請を受けたが、被災地の範囲はあまりに広すぎて、大部分は教育局提供のリストによって現地調査と建設工事を行うほかなかったと李済瑯は話す。

「ネパールには公立及び私立の学校のほかに、多くの民間のコミュニティ学校がありました。地震で被災した学校は膨大な数に上り、その一つ一つを再建支援できないことに無力を感じました」。ここ数カ月のネパール震災援助の過程をふり返ると、李済瑯にとってこのことが一番心残りであった。

地震で校舎が壊滅、学校側は何とか授業を継続できるよう手を尽くした。シャンティ中学校では教室不足のため、屋外に帆布を張って青空教室としたが、地震後の変わりやすい天気の時期には不便だった。(攝影/蔡桂嬌)
 

 

簡単ではない仮設教室

 

二〇一五年四月二十五日に起きたネパール大地震では、三万個以上の教室が全壊あるいは損壊し、使用不能になった。そうした学校では、別の場所を確保したり、一時的に廊下やテントの下で授業をしたりなどの対応を取ったが、竹とビニールシートで臨時教室を建てた学校もある。劣悪な学習環境で換気が悪く熱気がこもる空間では、子どもたちの学習進度に影響が出ることは免れなかった。

教育は待ってはくれない。慈済のネパールでの中期援助において、仮設教室の建設は重点的支援項目の一つだった。李済瑯と張済玄は二〇一五年五月中旬ネパールに到着した。「緊急援助の段階から中期援助を見据えていました。雨季に入る前にできる限り仮設教室を建ててしまいたかったのです」と言う。同時に、別のチームは長期的観点から、恒久的校舎の再建についての評価と計画を受け持った。

二〇一四年、マレーシア東海岸大洪水の際、慈済はクランタン州で被災者のための仮設住宅二百棟を建設した。建設期間中、五回の建築規格の修正を経たが、この貴重な経験が意外にも今回の仮設教室建設に大いに役立った。「台湾の仮設住宅の建材も検討はしたのですが、船による貨物の到着時間がネックとなりました」。子どもたちの学習を遅らせないため、またコストを考えて、李済瑯らボランティア一行はマレーシアの仮設住宅を手本に、現地ネパールで資材を求めることにした。

李済瑯は次のようにふり返る。「初めは街のあちこちのホームセンターを回って材料を探しました。最初に回った大手では値段が高かったのですが、その後小規模な店を見て回ると比較的に廉価でした。適切な建材を入手することは、建設チームが直面した困難の一つです。マレーシアの仮設住宅で使用したポリプロピレン板(PP板)はネパールでは入手困難でした。トタン屋根では降雨時、雨音がとても大きくなるのでどうしてもポリプロピレン板を入手したかった。困難がどんなに大きくても、天は人々を見捨てないものです。このような重要な時、いつも必ず恩人に巡りあうことができました」

現地の企業家、チャウダリー氏の手引きで、彼らは信頼できる請負メーカーを見つけ、仮設教室の建材を決定した。鉄骨で壁にはセメントを用い、屋根は防熱・防音効果のため、トタン板にポリウレタンスポンジを加えた。こうして建設された建物の品質は、決してマレーシアのものに劣らなかった。 

「ネパールで見つけた資材の多くはインドから輸入したもので、価格は高価でした。しかも国境の税関が閉まることもあるのです。一時期、建築労働者が不足し、人件費が高騰したこともありました」。建設チームが必要とする資材の一部は、現地メーカーでは生産量が少ないため、輸入に頼らざるを得ず、そのために仮設教室のコストは上昇したが、必要な出費として受け入れるほかなかった。

李済瑯は言う。「毎日折衝、話し合いの連続で、声もしゃがれてしまいました。疲れなかったと言えば嘘になります。しかし教育は待ってはくれません。子どもたちが工事現場のすぐそばの廊下で授業を受けているのを見ると心が痛み、仮設教室の建設をもっとスピードアップさせなくてはと思いました」

 

マレーシアからボランティアに参加

 

建材確保の目途がたつと、マレーシアのボランティアチームがネパールでの仮設教室建設工事のためにやって来た。

「材料は全て現地調達でしたので、私たちはマレーシアから工具一式と、セメント板の接合金具だけを持って行きました」。仮設住宅建設の経験が豊富な張済玄は、「拝命した第一の任務はまずモデルハウスを一軒建設し、それから被災者とともに建設を進めることでした。こうすれば被災地の住民の収入を増やすことができ、また災害の傷跡から一時的に逃れることもできますから」と話した。

接合金具は仮設教室建設において重要な資材の一つだった。ネパールで適当な供給メーカーを見つけられなかったため、マレーシアから持っていくことになったのだ。「ある時、私たちは一・五トンの接合金具を持って行ったことがあります。ところが税関に引っかかってしまいましてね。現地ボランティアが税関と教育部門、財政部門に掛け合ってようやく税関を通過することができました。しかし二週間の時間がかかってしまい、工事の進度に影響が出ざるを得ませんでした」。張済玄は、マレーシアからの資材の輸送に頼らなくてもよいよう、チームの仲間と知恵を絞った。そしてついに雛型不要で、鋸でも簡単に作り出せる骨組みの固定接合板を開発した。

「頻繁に起こる停電にも悩まされました」。電力不足は現地の深刻な問題で、ほぼ毎日停電した。電気ドリルなどの工具は電源がなければ使用できないため、停電するたびに作業を中止せざるを得なかった。

また雨季に入ると工事の速度に影響が出るため、雨季の前に建設の速度を速める必要があった。彼は請負メーカーの協力に感謝する。工事の初期、品質のばらつきという問題にぶつかったことも事実だが、チームの尽力、努力によって、乗り越えることができた。

李済瑯(左から2番目)とシャンティ中学の学校関係者が仮設教室建設援助について話し合う。(攝影/陳国麟)
 

何か別の意図があるのでは?

 

慈済が建設支援を行ったバギスワリ大学のダン・クマール校長は、「お金や物資を学校に寄付してくれた団体はたくさんありますが、仮設教室を寄贈するだけでなく、さらにボランティアを投入して、炎天下、現地の人々とともに教室建設を行ってくれた団体は初めてです。日が暮れても労働者や学生と時間を惜しんで作業を続け、なかなか宿舎へ帰って休もうとしないんですからね」と話す。後にボランティアが自腹で台湾やマレーシアからやって来たのだと知ると、校長はもっと驚いた。

教師たちは仮設教室の質が高く、相当の費用もかかることを知ると、「慈済は何か別の意図があるのではないですか?」と何度もボランティアに確認した。李済瑯は教師たちを安心させる一方、彼らが本当に手助けすることを望んでいる時にはこう言った。「学校の付近にはたくさんの倒壊した家屋や被災者キャンプがあります。そこの人たちが何を必要としているのか、聞きに行ってくれませんか。もしご自身で助けることができないなら、ボランティアがサポートに行けるよう慈済に報告してください。こうすれば皆さんもボランティアの一員ということになります」

『静思小語』をプレゼントされたダン・クマール校長は、毎日ポケットに入れて持ち歩き、教室で授業する時にその中のいくつかを紹介したり、家族にも慈済や静思語について話をするようになった。彼の一番好きな静思語は、「社会の変革はスローガンではなく、行動によって成し遂げられる」だ。

李済瑯がネパールに滞在していた数カ月のうち、最も印象深かったのが現地の濃厚な宗教的雰囲気である。また人々は良い物を積極的に受け入れ、日常生活の中にそれを活かしていた。

李済瑯が初めて参加した国際災害援助は、一九九八年インドネシアで華僑排斥暴動が起こった後に行われた大規模な物資配付だった。二〇〇三年にはイラン・バム地震の援助、二〇〇四年末のインド洋大津波の際には、スリランカで支援活動を行い、その四年後の二〇〇八年にはミャンマーを襲ったサイクロン・ナルギスの緊急援助に参加した。こうした災害援助の経験は、人生の貴重な因縁だと彼はしみじみとした口調で話す。

災害現場で彼は、人生の無常、生老病死の衝撃を味わった。しかしさらに印象深かったのは、無常とはただそれに「出会う」だけではなく、それと「ぶつかる」こともあるということだった。「無常はいつ何時でも起こりえます。私は日ごろから執着を捨て、物質生活にこだわらないことを学ばなければと自分を戒めています。人と人との付き合いでも無常観が必要で、人と悪縁を結んではなりません」

慈済がバギスワリ大学仮設教室の建設援助を行う。「被災者雇用制度」によって、被災者とボランティアが力を合わせて建設を進める。(攝影/蕭耀華)
 

 

ネパールの人々に感謝

 

ネパールは、張済玄が国際災害援助に参加した三番目の国である。過去、スリランカとミャンマーでの慈済の災害援助活動へ参加し、今回はネパールにやって来たが、彼の信念は変わらない。「初めての土地での災害援助では、ただ再建工事に参加するだけではありません。慈済の目標は人心の浄化です。ですから一度一度、一つ一つの因縁を大切にし、慈済について話ができるようあらゆる方法を考えます」

慈済がトリブバン大学パタンキャンパスで仮設教室建設支援を行う。マーダブ・ゴータム学長に慈済について話をする張済玄。(攝影/頼睿伶)

 

今回のネパール援助では、雨季を目前に、仮設教室の建設を急ピッチで進めた。朝から晩まで働き、身体的疲労は免れなかったが、それでも教師や生徒たちと善縁を結ぶチャンスをつかんだ。

「教室の組み立て前に、その学校の先生と生徒たちにセメントとレンガで基礎を作ってもらい、最後のペンキ塗りも手伝ってもらって、ともに工事を完成しました」。こうした段取りは決して人件費削減のためではなく、教師や生徒たちに参加したという実感を味わってもらうためだったと張済玄は強調する。中でもバギスワリ学校の教師と生徒たちの協力には最も感動した。

「工事開始前、私たちは学校に足を運んで説明会を行い、先生と生徒たちに全体のプランを理解してもらいました。技術学部の学生には建設にも参加してもらいました。工事の最初から彼らはとても積極的で、仮設教室がどんなに待ち望まれているかということを実感させられました。先生や学生たちは自発的に建設地を囲み、コンクリートを敷きつめ、雨が降った時には、資材を傷めてはならないと、すぐにビニールシートで覆いました。建設援助期間中、ボランティアたちは飲食物を持参していましたが、先生たちは熱心にお茶やお菓子を勧めてくれました」。こうした思いやりと真心のコミュニケーションが張済玄を感動させたのである。

張済玄はネパールに二カ月間滞在し、マレーシアとの間を三回往復した。ネパールの人々はとても友好的で、海外からの団体の援助に対してもオープンな態度で接するため、ボランティアもやりやすかったと彼は言う。

数回の国際災害援助を経験し、張済玄には新たに悟るところもあった。「被災地の住民に向き合う時、私たちは自分たちの見方や価値観で、彼らの苦しみを推し量ってしまいがちです。しかし被災者の立場に立つなら、実は彼らの必要とするものはそれほど多くはないのかもしれません。自分が必要とするものが多すぎるからこそ、被災者は欠乏していると思ってしまうのではないかと反省させられました。私たちが学ぶべきは物質にこだわりすぎないこと、魂の豊かさこそ最も大切なのだということです」

 
NO.231