慈濟傳播人文志業基金會
四宝の温もり

 

(撮影/鄭碧玲)

 

四人のおばあさんは、年を合わせると三百二十歳を越えます。

年のせいかうまくできない面ももちろんありますが、持ち前の心意気でいつもハツラツとしていらっしゃいます。

基隆の「暖暖リサイクルセンター」の宝、ひいては大地の宝とも言える四人です。

 

冬の日の早朝、朝日が昇ったばかりの頃に、八十八歳の張玉英さんは高架の下へと向かいます。ほかに二人の仲間がもう椅子に座って待っています。

「おはよう!」玉英さんを遠くに見つけた連彩霞さんは笑顔で朝の挨拶をしました。玉英さんは暖暖リサイクルセンターのドアを開け、段ボールと椅子を出して自分の場所に座ると作業を始めました。

「いつも六時には来ていらっしゃいますよ。紙を裂くシュレッダー係をしてくれていて、午前中にダンボール十個ほどをさばいて下さるのです」。この暖暖リサイクルセンターでボランティアのまとめ役をしている楊惟梃さんは賞賛しながら彼女を招き入れました。

玉英さんは懸命にダンボールを裂いています。アルバムのような分厚い物も裂いてカラーの紙と白紙に分けます。ほかにも打ったりたたいたりといった作業をしながら、側にいる仲間に目を配ります。いつも一緒に作業をしてくれる連彩霞さん、柯鴛鴦さんと蘇張雲さんです。四人のお年を合わせて平均するとちょうど八十歳、冗談を言い合って笑い声が高らかに響きます。この暖暖リサイクルセンターの四宝と呼ばれています。

 

列車で通勤

遠いとは感じない

 

四宝の中でも「お姉さん格」の玉英さんは、早朝五時に樹林の自宅を出て列車に乗り基隆市八堵駅で降ります。八十五元のバス代を節約するためその後は杖をつきながらリサイクルセンターまで二十分歩きます。ちょうど朝の通勤時間、人も車も込み合う中、小走りに道を横切る小柄な姿は車の流れに飲み込まれそうでした。

八堵通りをリサイクルセンターへ向かう道にはバイクと歩行者だけが通る地下道があります。オレンジの電灯が照らす中をバイクが警笛を鳴らして追い越していくので、玉英さんは念仏を唱えながら薄暗い地下道を歩くのでした。

草むらの脇を歩くときは蛇に出会わないように気をつけます。樹の枝に絡まっていたり草むらに潜んでいたりする蛇に咬まれたことがあるからです。でも、環境保全列車の旅をあきらめきれない玉英さんは、「まだ大丈夫!」と勇気をふるいおこすのでした。家族はそこまでしなくてもいいのにと心配していましたが、彼女の環境保全に打ち込む潑溂とした姿を見ると、これは玉英さんの心の支えなのだと理解し、応援することにしたのです。

以前は基隆八堵に住んでいたので毎日このセンターに通っていました。春節から一度も休んだことはないそうです。その後樹林に引っ越したので、毎週月曜日と木曜日はたとえ雨が降っても通って来るのでした。この勤勉さは年若い時に中国から台湾に渡って来てからずっと変わらないそうです。

早朝5時山佳駅のホームにて。張玉英さんが娘さんと一緒に基隆行きの始発列車を待っている。遠くても雨の日も風の日も休まず通う。(攝影/鄭碧玲)

 

人生の苦労が福となる

 

「三十年前一万元を払って人に頼み、故郷の中国福州まで尋ねていったのです。家は跡形もなく、両親もすでに亡くなっていました」。昔を思い出して両親に思いをはせる時玉英さんの目頭はどうしても赤くなります。

一九二八年に福建省福州に生まれた張玉英さん、元の姓は劉といいます。十七歳の時、兄とは別の場所で就学していた玉英さんは国共内戦に巻き込まれ、学校の先生に連れられて海を渡り、台湾の松山に逃れてきたのでした。

身寄りのない玉英さんは、繊維工場で働いたり、お手伝いさんをしたりした後、製麺工場で心優しい張夫妻に出会い、養女としてひきとられました。その時に姓を張と変えました。やっと落ち着く場所を得た彼女は、仕事の覚えもよくてよく働きました。二十歳の時基隆八堵の陳さんに嫁ぎ、雑貨店を手伝うようになりました。そこのお嬢さんも同じ玉英という名前だったので、お姑さんに「阿鳳という名前にしなさいよ」と言われたそうです。

その頃は基隆河で砂金を集めたり、炭を売りに行ったりして五人の子供を学校へやり、彼女も基隆海洋学院の中国語クラスで学びました。戦争で学校に行けなかった残念な気持ちを補いたかったのです。彼女が育てた五人の子供はみんな公務員になったので、それがとても嬉しく、心慰められたそうです。

「私は上人さまが台湾だけでなく、全世界を救いたいとおっしゃることにとても感銘を受けたんです。何か災いがあれば慈済はいつも真っ先に駆けつけるのですから!」。幸せを大切に思う玉英さんは、ニュースで慈済の活動を知り、環境保全をして大地を護って貧しい人を救いたいと思うようになりました。彼女は空き缶や古紙を拾ってお金に替え、寄付をすることからはじめました。六十六歳の時、八堵で慈済ボランティアの張春美さんと知り合ったので、道に面した古い家を拠点にして資源回収をしました。張春美さんのご主人の楊惟梃さんも運搬を手伝いました。

 

回収の長い道のり

貧しさをむしろ大切に

 

玉英さんのご主人はすでに亡くなり、子供達も独立したので、倹約しながら生活には不自由なく暮らしています。手押し車で資源回収をするその姿は基隆の街角のあちこちで見かけられました。時には徒歩で一時間以上かかる七堵にまで足を伸ばしたそうです。

彼女はそれだけでなく、お米を買っては道すがら出会った貧しい人たちに分け与えました。一人黙々と救済をしていたのです。「私はお金持ちではありませんが、一人暮らしの貧しい人々よりは幸せに暮らしています。小さいけれどできるだけ良いことをしたいのです」。施すという喜びを満面にたたえながら、「誰にも言わないでね」とそっと付け加えた。

小柄な彼女はとても軽快に歩きます。早過ぎて今までに三回も交通事故に会ってしまいました。一度は足を骨折する重傷だったので、医師から三カ月は休むように言われたそうです。彼女は二十日間だけ休むと杖を二本ついてセンターに戻り、ボランティアをしました。「仕事をすれば治りも早いものです。一カ月もしたらもう杖はいらなくなりましたよ!」と得意げに言いました。

年齢も高くなったので、楊惟梃さんは彼女に、もう回収はいいからセンターの中で分類の仕事をしてくださいと頼みました。基隆の山手に住んでいる息子さんも娘さんもお母さんが出歩くことを心配していたのです。その後このまま一人で古い家に住まわせるのはしのびないと娘さんが迎えに訪れ、樹林のエレベーター付きのアパートに同居することになりました。でも二十年間続けてきた環境保全の仕事を休みたくなかった彼女は、毎日考えたあげく、列車で通うことにしたのです。

 

作業しながら運動もでき

ますます健康に

 

紐でくくられたダンボールの大きな塊を一つ、保管スペースへ投げこむ玉英さん、まだまだ若い人には負けていません。彼女の一番の楽しみは歳末祝福会で福慧紅包(お年玉)を受け取ることだそうです。「一年間作業をして年に一度頂けるお給料、それが楽しみなんですよ!」

戦争の混乱を逃れ、肉親との生き別れを経験し、台湾の経済発展と共に生きてきた玉英さんは、貧しい人だけでなく側にいるボランティア仲間にも寄り添います。姉御肌の彼女を、センターではみんなが「鳳姉さん」と呼んでいます。連彩霞さんは八堵駅の向かい側に住んでいます。二十年前ご主人を亡くした時、その悲しみから長い間立ち直ることができずにいたところを慈済ボランティアに導かれて、ボランティア活動に参加するようになりました。

二人はまるで姉妹のように仲良くなり、もう二十年も一緒に作業をしています。彩霞さんは回収作業をしているうちに骨粗鬆症と診断され、その足腰では重い物をもってはいけないとドクターストップがかかったので、回収をやめてセンターの中で分類をするようになりました。

年の差が十二歳の二人、性格も違います。彩霞さんは古風な人でおしゃべりは苦手、玉英さんはとても話し上手で身のこなしが軽い人、というように。「いつも笑顔が素敵でしょう。みんなが姉妹みたいといってくれるの。顔も似てるんですよ」と玉英さんは嬉しそうでした。

八十歳の柯鴛鴦さん、お住まいはセンターから最も近いそうです。頭に巻いた赤いストールですぐにわかります。パーキンソン病を患っているので手の震えが止まらなかったり、耳の聞こえが悪いそうです。「重い物を持てば持つほど悪くなるの。水を入れたコップさえも持てなくてこぼしてしまうからストローを使います」

鴛鴦さんはすでに慈済会員になって三十年、環境保全ボランティアも十数年務めているそうです。彼女は花蓮に旅行した際に慈済と出会い、人々を救済していることを知って、即座に定期預金を募金したのです。その後病気のため生活に不便が生じても、環境保全の仕事を続けているのです。

座って新聞を平らに広げ、笑いながらこう語ってくれました。「手だけは大丈夫なのです。作業をすると運動にもなるし、ますます健康よ」。玉英さんの目には鴛鴦さんの手足は上手に動かせるように見えませんが、とてもよく働く人だと関心しています。鴛鴦さんにとってはどんな作業も他の人より重労働なはずなのですから。

パーキンソン病の柯鴛鴦(左)さん。手の震えが止まらないが環境保全に奉仕している。玉英さん(右)さんが気遣い手伝っている。(攝影/鄭碧玲)

 

連彩霞(左)さんは骨粗鬆症で重い物は持てない。蘇張雲(右)さんは膝の痛みを抱えている。2人はそれでもセンターへ通ってボランティアを続けている。(攝影/葉晉宏)

 

 

動けなくなるまで続ける

 

七十六歳の蘇張雲さんは過港路にお住まいで、次男の方が毎日バイクでセンターまで送迎をしています。ご長男は交通事故で脊髄を傷め、当面の生活は心配ないとしても完治の見通しは立たず、悲しい思いをしていたところへ慈済のケアボランティア林博信さんが訪れ、蘇張雲さんをボランティア活動へと導きました。

蘇さん自身も膝の人工関節の手術を何度も繰り返し、なかなか回復していないのでした。長い間膝の痛みにさいなまれ、腰かけることができなかったのですが、暖暖リサイクルセンターが基隆市バス休息所の一角を借受け、自動トイレを取りつけたので、蘇さんもボランティアに通えるようになりました。

蘇さんは上人さまにお会いしたくて、夢にまでそのお姿を見たことがあるそうです。「私も鳳姉さんも同じように感じたのです。上人様はとても慎ましい女性でいらっしゃるって。でも志業を世界にまで広げていらっしゃるんですよ、簡単にできることではありませんよね」。彼女は自分自身に願をかけているそうです。「できればずっと続けたい、往生するその日まで!」と。

センターの中のボランティアは互いに思いやり、蘇さんには力のいらない作業を受け持ってもらっています。例えば古紙を重ねて整理する作業です。その時、紐でくくったりダンボールに入れたりする必要があれば、玉英さんと鴛鴦さんが手伝います。きちんと分業と協力ができていますね。

煩雑になりやすい古紙の分類作業ですが、お年寄りは休みなく作業を続けます。白紙を取り出し、カラー印刷があるものや新聞、製本してあるものはバラバラにし、ダンボールをつぶします。「ダンボールはもう検査したよ。大丈夫!」得意げに玉英さんが言いました。

ボランティアの多くは昼食を取ってそれぞれ帰りますが、まだ残って続ける人もいます。午後二、三時になって、山積みだった回収物の分類が終わると、センターからは鼻歌が聞こえてきます。「宿題終わってお日様は西へ、かばんを片付けて帰りましょ……」。歌声の主は玉英さんです。帰りましょうと仲間に呼びかけているのです。

曲がりくねった道路、ガタンゴトンと列車の音、温かく和やかな情景が、今日も基隆暖暖リサイクルセンターで繰り広げられています。年は取っても気持ちは若い、菩薩たちは互いに讃え合い、そして楽しそうです。地球を守るという堅い信念は、基隆河の流れのように、これからも休みなく受け継がれていくことでしょう。

 

NO.231