慈濟傳播人文志業基金會
慈済の原点

二○一五年が終わるころ、慈済が設立してから半世紀が過ぎていた。證厳法師が慈悲心を以て若干の弟子を率いて始めた慈善活動も、現在では菩薩の隊伍が面々と連なり、ボランティアの数は遠く外国の僻地にまで及んでいる。

昨年の歳末祝福会には、二十八カ国からボランティアが台湾へ慈済委員や慈誠隊員の認証を受けに帰ってきていた。肌の色や宗教、文化的背景が異なる善なる人々が一堂に会したのだ。利他精神に基づく同じ所作で、慈済人文や静思の法益を相互に反映している清らかな心霊風景は称賛に値する。

その中で一段と人目を引くアフリカのボランティアを、證厳法師は「黒い真珠」と親しみを込めて呼んでいる。私たちが一般的にアフリカに対して抱く印象は、貧しく、病気が蔓延する土地というものだが、そこには自分たちも苦境にありながらも人助けをする菩薩たちの多くの伝記がある。

あるズールー族のボランティアは結婚後、苦難の連続だった。夫の浮気相手が家に火をつけたため、彼女は着の身着のまま子供と逃げ出した。その後、南アフリカで慈済の活動を推進している台湾人に助けられ、貧苦の同胞に関心を寄せるようになった。二十年来、彼女は不幸な心の傷を持つ女性たちを教え導き、慈悲心を以てエイズ患者をケアしている。

数年前から南アフリカの「黒い真珠」はさらに隣国のボランティアを募り、多国籍の組織を作って五カ国の貧民のケアに当たってきた。泊りがけで遠出のボランティア活動に出かけるときは、食事は簡単に済ませ、疲れると木の下で休み、そのさまはまるで古代の修行者さながらだ。彼女たちが歩いた距離は延べ十万五千キロに達し、地球を約一周半歩いたことになる。

昨年末に台湾へ認証を受けにきたアフリカの慈済委員と慈誠隊員は百人近くに達した。菩提の種子は南アフリカのレソト、スワジランド、モザンビーク、ジンバブエ、ボツワナに芽生え、ボランティアの数は一万人近くに上る。彼らはマンゴーの木の下で研修会を開き、地べたに座って慈済の縁起を学び、仏教の礼を心にとどめている。

この光景は五十年前の苦難に満ちた慈済の早期を思い出させる。同じく物資が困難な中で善行に奉仕したが、その道を求める心は堅く、一日五毛銭の募金から始まった活動資金は、人助けから心を救うさまざまな志業を生み出している。

慈済の根源は「竹筒歳月精神」にある。そしてこれは、今またズールー族ボランティアによって再現されている。彼らは物質的には貧しくとも、その精神は豊かに満たされている。彼らは同胞に「私は無一物の辛さを痛いほど知っています。だからと言って心に恨みをためてはなりません」と言っている。そして歌いながら踊って人々を励まし導く。「どれだけのお金があれば慈済に入れるの?」「私たちはお金がないの、ただ愛があるだけよ」

信仰の背景は異なっても、彼らは慈済の大愛に育まれ、宗教の異なる利他精神によって己の煩悩や苦しみを超越している。人助けをし、試練を受けるうちに「柔和忍辱」を学び、誠を大切にし、猜疑心をなくしている。助ける者、助けられる者、この双方が抱擁する時、二人の間にはいかなる境界線もない。「衆生同体」の単純な信念があるだけだ。これが慈済人が社会に入って活動する志の原点である。

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