慈濟傳播人文志業基金會
大愛で情のある衆生に付き添い 寸歩も離れず大地を護ろう
大地が汚染され、難多き世の中で、ただ手をこまねいていてはいけません。
一滴一滴の愛が累積することで、大愛は続き、人々の心が通じ合えば、
この世は心温まる美しいものになるでしょう。
 
メキシコ中部で、現地時間九月十九日の午後一時十四分(台湾時間九月二十日午前二時十四分)にマグネチュード七・一の大地震が発生しました。被害は甚大で、古い建物は瞬時に崩壊し、ほかの多くの家屋も損壊しました。昨日までの繁栄が無に帰した苦しみを、住民はどう耐えたらよいのでしょう。
 
この世の菩薩は遠路も厭わず,四方八方から集まりました。慈済ボランティアはメキシコ、台湾、アメリカ、アルゼンチン、グアテマラから次々に被災地に入り、支援の計画を練りました。そして、実地調査をしている時に、各地から送られてきた食品、日用品、古着などの支援物資が街頭に乱雑に積み重ねられているのを目にしました。慈済が配付活動を行う時、現地の負担を増やさないように、現金カードを配付し、被災者が本当に必要とする生活物資を得られるようにしています。
 
被災後、困難がのり越えられない家庭を見つけるために、再度、実地調査した記録が必要でした。しかし、慈済ボランティアは知っている人がおらず、現地の人たちも慈済のことを知りませんでした。慈済ボランティアをいくら増員しても足りませんでした。唯一の方法は、被災者を落ち着かせた後、愛の心を啓発し、その愛を力とすることでした。
 
慈済ボランティアは一軒ずつ調査して配付名簿を確認すると共に、熱心な住民に被災世帯の人数や生活状況を記録する手伝いをしてもらいました。次第に住民は、自分も被害を受けて苦しいが、もっと苦しんでいる人たちがおり、人助けできることは、幸せなことだと気づきました。
 
初めの頃、ボランティアは被災者が自分たちを信用しているかどうか心配していました。現地の人たちも外国から来た人たちはだだの見物に来ただけではないかと思っていましたが、やがて慈済人の真摯の愛と友情を感じ、調査ボランティアの訓練を受けるようになりました。震災から一カ月余り、街には慈済ボランティアのベストを着た現地ボランティアが増え続け、助けられる側から助ける側の人になっていました。
 
慈済は五十数年来、無数の国々で救済、救難をしてきましたが、今回のメキシコ支援の状況は初めての経験でした。まだ配付が始まっていない時から互いに親密になり、数百人のボランティアが発心して優しく説いたため、堅い信仰心を持っている人たちも慈済の法を受け入れるようになりました。いつの日か慈済の発祥の地である台湾を見たいと願っていました。
 
最も価値があるのは物資ではなく、計り知れない法と真摯の愛であり、人々の心を広げ、憂いと苦悩から脱け出して何事にも執着せず、再度立ち上がらせることができるのです。被災者は形ある財産を失いましたが、愛の思いやりという無形の心の富を昇華させて、物質的に欠乏した人たちに安らかさをもたらしました。彼らが頭を上げて胸を張り、朗らかな笑顔になるのを見て、苦を楽に転じた力が人々を奮い立たせたのではないでしょうか。
 
 

善意の清流を結集して

社会の汚濁を浄化しよう

 
今年の十一月、フィリピンは台風ハイエン被災四周年に当たり、当時の大災難を振返りました。レイテ省タクロバン市、オーモック市、パロ町が全壊し、十三カ国の慈済ボランティアが次々に被災地を訪れ、被災者雇用制度で被災沙の生活を援助したと同時に、彼らの心を慰めました。次いで台湾から組み立て式の住宅を送って、二つの大愛村を建設し、被災地を復興させました。
 
当時の写真を見ると、慈済ボランティアが紺と白の制服姿で、老いも若きも屈んで連結タイルを敷いており、まさに「一寸ずつ敷きつめて大地を護る」光景です。連結タイルは隙間に雨水が浸透するため大地は呼吸ができるのです。
 
当時の被災者は、今では安定した生活を送っています。多くの人がボランティアに投入して、戒を護り善を行う人生に変わっています。
 
フィリピンの慈済ボランティアは進んで責務を負っています。この四年来、彼らから離れず寄り添い、力を結集して忍耐強く、互いに引き継いできたのは、まさに「大愛で付き添えば情のある世の中になる」ことの表れです。
 
現地ボランティアは普段は弱者や身よりのないお年寄りをケアしていますが、今年の七月オーモック近くのカナンガ町で地震が発生した時、素早く実地調査して物資を配付しました。家を失いテント住まいの被災者には、百二十戸の仮設住宅が建てられ、十一月五日に起用されました。
 
この期間、住民は「竹筒歳月」の精神に応えて、落成式の時、ペットボトルに貯金したお金を持って来るだけでなく、自分の農作物をボランティアに持ってきました。ボランティアはそれらでチャリティバザーを開き、売上をメキシコ地震災害支援に寄付することにしました。それに感動した村人はバナナや野菜、カボチャなどを持ち寄りました。「一粒の米も集めれば俵に、一適の水も大河になる」ように、わずかな力でも軽視してはならず、どんなに遠方でも支援することができるのです。
 
慈済が復興支援を行う際、最も重要視しているのは心のリハビリです。大愛という永遠の情を啓発し、世界中の人の情を連結させることなのです。
 
広い天下に目を向けると災難が多く、人の力ではどうにもなりません。災害は人心の不調や欲念を満足させるため、互いに争奪し合うことから起きます。しばしの快楽が累積すると、災いの発端となり、わずかな汚染の集りは汚濁になり、天地の間に充満してしまいます。
 
世の中の苦難を取り除く最も良い方法は人心から手をつけることであり、善意を蓄積して清流にすれば、汚濁は浄化することができるのです。自分の敬虔な心を軽く見ず、また、その力を疎かにしないことです。観念に目覚め、人心が変われば、生態も変わります。
 
食の欲を抑制して菜食にして殺生しなければ、濁気を薄くすることができます。自分の心を護って人に対しては寛大に、事に対しては一歩下がることができれば、すぐに争いが起きることはありません。生活の中では当たり前の簡単な事を成し遂げるのが一番難しいのです。もし、考え方を変えて、成し遂げられるのであれば、それは実に立派な人です。
 
今年の歳末祝福会のテーマは「大愛で情のある衆生に付き添い、寸歩も離れず大地を護ろう」というものです。同じように天と地の間に生を受けている以上、天下に関心を持ち、大愛を携えて集い、愛を伝えていかなくてはなりません。どこかで私たちを必要としている時、生命の意義を発揮する心構えで奉仕し、お互いの心が同じレベルに立った時、人々は良きパートナーになることができます。
 
天地が汚染を受けている時、傍観するのではなく、環境保全に尽くし、すべての命を尊び、少しのずれもなく、愛のエネルギーを世界に広めれば、この世は末永く安泰になるでしょう。
 

実践して行動することで

体得すれば「道理」に行きつく 

 
十月初旬、南アフリカ、ダーバンとヨハネスブルグが暴風雨に見舞われ、被害が発生しました。この地方は貧困者が多く、ボランティアはただちにいくつかチームを編成して被災地に見舞いに行きました。
 
貧困者が住むこの地方は交通が不便な上、大雨の後、崖崩れが発生しました。普段でも歩行が困難な現地のお年寄りボランティアたちは、苦労を恐れず、ケアに行きました。彼女たちは、「災害が起きれば、真っ先に駆けつけて安心させ、少し努力して困難を乗り越えれば、より多くの人たちを支援することができるのです」と言った。
 
思いやりがあり、責任感のある彼女たちは、得難い救済物資を大事にします。お米や食糧も、飢餓に喘いでいる人に与えるために、堅い志をもって、最も助けを必要としている人たちの家へ行って寄り添っているのです。
 
彼女たちの交通手段は困難を極め、大部分が徒歩です。最も遠い所では慈済ダーバン連絡所から七十キロ離れた所まで行きます。十月に被災後のケアに行った時、全部で五百キロ以上の道を踏破し、二百世帯に毛布と米を配付しました。
 
ある若い女性がおばあさんボランティアに抱きついて訴えました。ボランティアは「災害は過ぎたのだから、もう怖がらないで」と諭しました。ボランティアが困難を乗り越えて訪れてくれたことに、人生でこれほど感動したことはなく、それで涙を流したのだと彼女は言いました。
 
アフリカ本土のボランティアには、意志もあり、福、願、力もあるゆえに自然に周囲の助力が得られ、願を達することができるのです。山を登り、川を渡り、危険な道を歩いて使命を果たすために、困難を排して苦難の人に寄り添っているのです。そして、彼女たちは見返りを求めず、生命に法悦を留めているのです。
 
彼女らはこの「道理」を達成し、歩きつき、やり終えて心に感じるものを得ることができました。しかし、何もやらない人が、永遠に体得できないのは仕方のないことです。
 
普段、彼女らが支部で説法を聞きに行く時は、九人乗りのバンに二十数人乗り、ドアが閉まらず、落ちて怪我したこともありましたが、道心は堅く、説法を聴くことを止めません。彼らが聴く法は台湾語から英語、そして、彼女たちの方言に訳していく過程で内容は少し変わりますが、彼女らは純粋な法を吸収し、耳に入るのは真実の法であり、体で実践しているのは「真の精進」なのです。
 
一般に言う「貧」とは物質の欠乏で、「富」とは財富、名利を享受することです。しかし「富の中の貧」というのがあり、形のある財産があっても、その人生は貧しく、それに比して「貧の中の富」とは、人は貧しくても志は豊かで、勤勉な生活を送っているその生命は真の富者なのです。
 
苦難は貧しい人だけにあるのではなく、富める人も憂いや恐怖など諸々の苦悩に慌てふためきます。喜びは多くの物質を有しているからではなく、アフリカ本土のボランティアの喜びは富んだ心にあるのです。彼女らの生活は貧しくても、少しでも物があると分け合い、自分の食を心配しません。彼女らの、時間も体力も惜しまずに人を助け、貪瞋癡の心がなく、少欲にして足るを知る敬虔で純真な態度には感動させられます。

 

柔和と忍辱心

実直にして諂いなく

 
群衆の中で行う「六度」(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)、日常生活の中で行う「四摂法」(布施、愛語、利行、同事)は心すれば難しいことではありません。しかし、最も重要なのは「柔和忍辱」です。人との態度と声音を穏やかなものにし、常に柔和な態度で接しなければなりません。
 
《法華経 如来寿量品第十六》で「諸有修功徳、柔和質直者、則皆見我身、在此而接法」とあるように、柔和と忍辱は心の三毒の一つである瞋恚が起きるのを防ぐと共に、慧命が傷つくのが避けられ、人々が安心して菩薩道を歩むのを保護してくれます。
 
柔和以外に、「質直」も必要で、「心正しく諂わず」ということです。メキシコのように現地の人が外国から来た菩薩を信頼したのは、慈済人が質直な心と無私の愛、寛大な包容力を持ち、一心に彼らの苦難を取り除こうとしたからです。
 
菩薩の心とは質直心です。ボランティアは現地で人間性の純真さを体得し、人生の無常を理解することで、重い困難にも耐え、種々の善行を喜んで行うと共に、その心にある質朴善純の本性が現れるのであり、それが仏心なのです。
 
世の中ではまだ多くの人たちが支援を待っていますが、その同じ時に多くの菩薩が良能を発揮しています。すかさず奉仕すれば、他人の人生において恩人となることができるのです。皆さんのさらなる精進を願っています。
(慈済月刊六一三期より)
 
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