慈濟傳播人文志業基金會
ハリケーン・ハービーで被災したテキサス州 ケア活動で結ばれた絆
メディアボランティアとして、
一人ひとりが語ってくれた
避難の体験を、
私は忠実に記録しようと努めた。
波が迫ってきた時のことを
思い出して、
涙が止まらない人もいた。
被災者にとって
最も頼りになる力は、
心からのケアであろう。
 
アメリカの四大都市のひとつ、テキサス州ヒューストンは、石油や航空産業、そして運河で世界的に知られている。港は世界で六番目に大きく、アメリカでは一番忙しい港であることから、メキシコ湾最大の経済金融センターと位置づけられている。このような大都市が、ハリケーンの襲来で、市民が慌ててあちこちへ逃れることになるなど、誰が予想しただろうか。
 
八月下旬、ハリケーン・ハービーが上陸した当初、十六歳の娘が家の前に池のような水溜りを見つけ、水着に着替えて喜んで遊んでいた。それを母親は「クリエイティブだわ」と微笑みながら見ていた。だが、間もなく母親の笑顔はこおりつき、すぐさま娘の手を引いて家の中に走って入った。後ろから洪水が勢いよく襲ってきたからだ。
 
目の前にいた母娘は、このように避難の様子を語ってくれた。私はメディアボランティアとして、一人ひとりが語る間一髪で生き延びた体験を、忠実に記録していた。彼らの話を聞いていると、洪水の恐怖がひしひしと身に迫ってくるような感じがした。
 
ある女性は、家の近くにあるダムの水が増水線を越して溢れ出し、住宅地を襲い、家の居間が五フィート(約百五十センチ)の高さまで浸水したと言った。その時、彼女の家族は全員二階の部屋に逃れ、幸いなことにボートに助けられた。後から聞いた話だが、その人の家も浸水して被災したのに、自分のボートで近所の人たちを救助していたのだそうだ。
 
洪水が勢いよく迫ってくる度に、次から次へと場所を変えて避難しなければならなかった。まるで洪水との戦いのように、住民をどこまで避難させれば安全なのか、政府や軍でさえ迷っていた。
 
「避難し始めてから落ち着くまで、友達や見知らぬ人が助けてくれました。十八日間友達の家を点々と移り住み、やっと自宅に戻ってきましたが、持っているお金を使い果たして困っていた時、慈済から義援金の配付の知らせを受け取りました。この義援金のおかげで私たちは助かりました」と被災者の何さんが目に涙を浮かべて言った。
 
●ディキンソン市の物資配付活動の会場で被災者の話を聞く鄭茹菁。
慈済ボランティアの心のこもった愛の行動に住民は感激した。(撮影/陳欣悅)
 
付さんは、あちこちさまよっても避難所が見つからず、途方に暮れていた時、慈済ボランティアから「大丈夫ですか。泊まる所はありますか」という電話を受けた。その時、涙が溢れてきたそうだ。台湾の親戚が慈済のヒューストン支部に連絡し、被災して連絡が取れない家族を探してほしいと依頼したのだった。その温さが身に沁みた付さんは、「慈済を見つけたから我が家に辿り着くこができたのです。私たちはもうこれで安全なのだと思いました」と言った。
 
赤十字のボランティアであるPhuc Nguyenさんが語った話では、彼女はそれぞれのところへ温かい食事を提供しているそうだ。水や電気、台所もない被災者にとって最も重要なのは一日二食の温かい食事だと言う。Phuc Nguyenさん自身も被災者なので、その気持ちがよく分かっている。被災地で援助している人たちは、皆お互いに見知らぬ人たちなのだと気がついたPhuc Nguyenさんは、思いきって支援活動に参加することにした。赤十字で温かい食事の提供サービスを五日間、慈済の配付活動を二日間、あわせて七日間もボランティア活動に参加した。Phuc Nguyenさんはこれからも自分の子供に社会奉仕の教育をし、愛に満ちた社会を築きたいと話した。
 
慈済ボランティアは、物資や現金カードを配付する時、それらすべてのお金はモザンビークやジンバブエ、エクアドル、フィリピンなど世界各地の人々から寄せられたものだと説明した。アメリカの被災状況を聞いたほかの国の人が、心からの愛をボランティアを通してヒューストンに届けたいという思いで、手持ちの小銭を全部献金箱に入れてくれた話を聞いて、現金カードを手にした被災者は感動し、涙が止まらなかった。
 
抱擁と寄り添いは被災者を最も勇気づける。ボランティアたちの肩が、被災者たちのそのような感動から流れ出した涙で滲んでいた。目の前の道は長いが、乗り越えられない苦労はないと信じている。なぜなら、慈済ボランティアの愛が共にあるのだから。
(慈済月刊六一二期より)
 
NO.253