様々な苦難が止め処なく続くシエラレオネ共和国、
二十六年前に勃発した内戦で五万人が犠牲になり、
二0一四年にはエボラ出血熱が発生し、
その後約一年にわたって猛威をふるった。
そして今年、雨期にひどい土石流が発生し、
少なくとも千人の命を奪い、
長年の貧困にさらに拍車をかけることとなった。
世界的に知られていることだが、わが国シエラレオネは十数年に及ぶ過酷な内戦に見舞われたほか、死に至ることもあるエボラ出血熱の脅威に十一カ月もさらされ、もう十分といってよいほどの苦難を味わった。そこにもう一つの災難、洪水と土石流が二○一七年八月十四日に不意に押し寄せてきた。
今まで毎年雨期には決まって洪水が発生し、地勢が低い地区やスラム街などの住民に影響を与えてきたが、二○一五年九月十五日の水害はさらに多くの人命を奪った。
今年発生した首都フリータウンでの洪水と土石流の規模は前代未聞であった。千三百人が死亡あるいは行方不明となり、多くの家屋が倒壊し、六千人が住む場所を失った。
早朝五時 土石流発生
豪雨と洪水は全国各地を被害に陥れた。被害が最も大きかったのは西部地区で、とくにフリータウンのリージェント、クラインタウン、ラムリーなどの地域であった。そのうち、リージェント地区の被害が最も深刻で、付近の山の半分が崩れ、大量の土石流と洪水により集落が押しつぶされ、多くの人が生き埋めになった。
今回の土石流災害は、近年の乱伐、地盤がゆるい地域での住宅建設、水流分断や土地を荒廃させる開発行為が原因とされる。山が崩壊し、無数の巨大な石が山の麓まで転がって行き、大量の泥と洪水が家屋を押しつぶして飲み込んでしまった。
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●米国のボランティアが9月17日にリージェントの土石流被災地に赴いた。フリータウンは三方を山に囲まれ、一方が海に面した地形である。森林伐採と排水設備の未整備により、大雨で洪水と土石流が発生し、川周辺や山の麓に住む住民は真っ先に被害を受けた。 |
この悲劇が発生したのは早朝五時四十五分で、住民はまだ寝ていた。災害発生後、レスキュー隊員が五百体の遺体を収容したが、それでも八百人を超える人が行方不明のままだった。大きく山崩れした場所が集団墓地と化し、生き埋めとなった数百人の村人の中には多くの女性や子どもがいた。
集団告別式 悲しみの幕開け
この洪水の悲劇は、再びシエラレオネ共和国の人々を混乱と絶望、そして深い悲しみに陥れた。災害後、全ての面において再生が必要となった。壊れた家屋や亡くなった命に限らず、打ちひしがれた心の再生も含まれる。
国全体が沈んだ空気に覆われ、親や兄弟姉妹を失った子どもたちは泣き叫び、子どもを失った母親はすすり泣き、伴侶を失った人は涙を流した。国全体が多くの犠牲者と行方不明者により、混乱と恐怖に満ちた感情に包まれた。
人々の涙は大雨の中でもはっきりと区別できた。就寝中に亡くなった家庭、逃げ遅れた人、親戚が洪水で流されるのを目の当たりにした人、巨石にぶつかったり、泥に飲み込まれたりしたため、バラバラの身体で収容された人……。被災者の口からは辛い体験が語られた。
レスキュー隊員や家族、そして土石流の被災地にいる人皆が、崩落現場の地中から救助を求める声をはっきり聞くことができた。
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●ドン・ボスコ・ファンブルの収容センターに一時収容された被災者。 |
この国が犠牲者を哀悼し、洪水や土石流がもたらした困難に必死に立ち向かっている中、数多くのボランティアが政府のレスキュー隊に参加して掘り起こしに協力し、生存者の救出並びに行方不明者の捜索に当たった。
発見された遺体は国立コノート病院の遺体安置室にまとめて安置された。しかし、遺体の数が収容スペースの容量を早くも超え、そのうえ腐敗が始まったため、政府は集団告別式を行った。
この告別式は、各宗教団体が執り行い、犠牲者の埋葬時には、念仏や祈禱が行われた。多くの参列者、とくに愛しい人を失くした人々のすすり泣く声が響いた。
この小さくて貧しい国は、人々の生活に必要なものを守るだけでも精一杯に近い状態であったが、この洪水と土石流により状況はさらに悪化したといえる。食糧、きれいな飲み水、医療、衣類、靴、居住スペースの深刻な不足に陥った。
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●9月18日、ヒル・ステーションにある臨時収容所には、お母さんやおばさんに連れられた子どもたちが列をなし、台湾慈済基金会が配布する朝ごはんを受け取りに来ていた。臨時収容所には土石流によって家を失った住民が暮らしている。この臨時収容所は彼らがコミュニティーに戻るまで開設されている。 |
一般的に被災者の生活支援は政府の責任だと思うだろうが、シエラレオネ共和国はそうではないと言えるだろう。政府のリソースが極めて限られているため、民間団体や企業、個人の緊急援助により、はじめて被災地の村人に物資を届けることができる。
多くの団体や個人が早速シエラレオネ共和国政府の要請に応えたが、その中で最も熱心な援助は非営利団体からのもので、家を失った住民に有効な援助を行った。仏教慈済基金会は、支援要請に真っ先に応え、人道支援を行った団体の一つであった。
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●リージェントの土石流災害現場付近の臨時収容所脇で被災者を慰める慈済ボランティア。 |
食糧不足 中長期的な援助
洪水と土石流が発生したその日の朝、シエラレオネ共和国に在住する慈済ボランティアは、現地慈善団体のキリスト教団体のカリタス・フリータウン、ヒーリー国際救済財団、ラニー財団の一行とともに、被災地であるリージェントとラムリーに急行し、レスキュー隊とボランティアへのサポートを行ったほか、被災現場の状況を評価し、今後の援助活動のために報告をまとめた。
翌日、ボランティア達は被災地のコミュニティーにさらに入ったところ、クラインタウンのカルバートで洪水により千人を超える住民が困窮していることが分かった。
食糧不足による飢餓や栄養失調を防ぐため、慈済ボランティアと現地のパートナーは協議の後、リージェント、カルバート、ヒル・ステーションの住民のために協力して温かい食事を配布することを決めた。
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●クラインタウンの炊き出し拠点で、川沿いに住む被災者に食事を提供した。「病は口から」といわれる。衛生上の問題を減らすために、ラニー財団と慈済ボランティアは、手摑みではなく、エコ食器を使用して食事するよう奨励した。 |
慈済は台湾からの米を提供し、ヒーリー国際救済財団とカリタス・フリータウンは野菜や調味料の調達資金を提供した。そして、ラムリーとリージェントの多数の避難所では、慈済がラニー財団と村人のために米などの食糧を提供した。
九月中旬から下旬頃までの統計では、慈済と協力パートナーが緊急に提供した食事は、カルバートで約三万五百食、リージェントで約六千食、ラムリーで約一万食であった。
災害後の救援は食糧供給に留まらない。海外の慈済ボランティアチームが九月中旬に訪れた際には、毛布、ご飯茶碗、スプーン、おかずを古い学校の避難所やカルバート地区、後に設置されたジュバの避難所三カ所に配給した。
ボランティアは土石流のあった山あいのシュガーローフで災害状況を調査するとともに、住民を訪問した。また、ボランティアはリージェントなどいくつかの非政府組織の被災者収容センターを見て回り、無償援助を提供した。
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●ヒル・ステーションで温かい食事を配布した後、慈済ボランティアは子どもたちと一緒に遊んだ。 |
このほか、慈済ボランティアチームは国立コノート病院と三四軍病院も訪問し、これらの病院で病室の寄贈や医療の質向上支援について評価した。また、ボランティアチームと三四軍病院の医師は、将来の医療研究発展の協力について話し合いを行った。
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●災害後、温かい食事を継続的に提供することで、子どもたちがお腹いっぱいになり、生きる希望が持てるようになる。 |
希望の再構築 全世界から
慈済ボランティアチームはこの行程の最中、セント・エドワード・カトリック教会が主催する世界平和ミサに参加した。このミサはカリタス・フリータウンのCEOも務めるピーター神父が主宰し、米国慈済ボランティアの曽慈慧もそのミサで證厳法師の講話を伝えた。證厳法師は皆が負のエネルギーを正のエネルギーに替えて、シエラレオネの土地で起きた災難に立ち向かおうと励まされた。
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●ヒルステーションの古い学校にある収容センターでは100世帯余りを収容している。ボランティアは夕方に温かい食事を提供した。 |
シエラレオネ共和国の国民、とくに慈済の援助を直接受けた人は、台湾、米国、フランス、スペインから被災地に駆けつけ、温かい食事と援助物資を提供したボランティア達に感謝の気持ちを示した。
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●8月中旬のリージェント土石流では未だ見つかっていない遺体がある。9月19日、慈済人と協力パートナーが土石流災害現場付近の避難所で白米を配布し、多くの人が愛の印を残し、同時に犠牲者と行方不明者に祈りをささげた。
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證厳法師と慈済ボランティアの被災者支援への約束は、食事の提供、子どもたちへの寄り添い、指導と心理的ケア、環境整備、世界の平和への祈りなど、様々な形で表されたことを、多くの村人は感じ取っている。
(慈済月刊六一二期より)
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