慈濟傳播人文志業基金會
喜びの日々
 
日々この世を利する善行を行えば、
日々喜びに満ちるようになり、
こういう人生こそに価値がある。
 

喜びの地から法雲の地に

 
精舎に戻った高雄の慈済人が上人の前で発願しました。
 
「あなたたちが私の前で発願するのであれば、私も菩薩の前で発願します。『仏教の為、衆生の為』にこの人生を費やしましょう。この願はまだ成されていないので、今も精一杯努力しています。『衆生の為』では、私の言うことを皆さんが実行に移してくれていて、とても感謝しています。『仏教の為』に関しては、私はまだ正信の仏法をあまねく世に広めていません」と言いました。
 
上人は近代に伝わった仏教信仰について話しました。民間信仰と結合した結果、多くの人は線香を持って仏や菩薩に自分の幸福や平穏を求め、こういう儀式が仏教信仰だと思い込み、真の仏教精神を理解していません。
 
「仏は人に拝んでもらい、頼みごとを受ける偶像ではありません。仏法は仏が説いた精神理念であり、とても超越したものなのです。深く考え、体得に値する妙法であり、真実なのです。私たちは仏法を復興させる使命と責任を負っているのです」。
 
「この時代に正法を復興することは非常に困難なことは分かっています。しかし正法が荒廃しているが故に、逆に新たに始めるチャンスがあるのです。例えば古い市街地のように、壊れなければ、新たに企画整理して広い道を作ることはできず、整然とした建物を建てることもできません。従って、悪世末法の世は正に仏法を再建する時なのです。しかし残念なことに私には時間は残っていません。唯一できることは、皆さんが引き継いで各地の慈済道場をしっかり守り、荘厳なものにして訪れる人に喜びを与えられるようにすることです。菩薩のいる場所が喜びに満ちる地であり、一旦誰かが喜びに満ちた地を踏めば、私たちは徐々に彼らを深く導き、各地で法雲地(注)にまで導くのです」。
(注)仏教用語で、大乘菩薩が修行する第十の階位。
 
 
上人は「粽(チマキ)の紐」を手にしながら法脈宗門の脈絡を説明しました。
 
「以前にも『四法四門四合一』について話しましたが、今度はこの『粽の紐』を見てご覧なさい。法門がいくつあっても全ては法脈の源に回帰するのです。三足す一が四合一であり、協力、互愛、和気の各チームが心を合わせ、合心という紐で束ねられているのです。そうでなければチームはそこから脱落してしまいます。即ち粽の葉で米と具を包み込むことはできず、包んだとしても紐で束ねなければバラバラになり、形作れません」。
 
「以前はベテラン委員が迎え入れ、先頭に立って付き添い、自分たちが熟知した後にも他の人を迎え入れて付き添い続けました。正に粽の紐のように、一つずつ粽を縛っているのです。一つひとつの粽は一本ずつ紐で縛られ、源に結ばれているのです。一本一本の紐が絡み合うこともなく、整然と源に結ばれていれば、そこを中心にして全部持ち上げることができるのです」。
 
「委員たちが地域で会員を募集したり、愛の募金をすることは、粽の葉に米や具を載せるようなものです。散り散りになった社会資源を集めているのです。粽を上手に包むにはそれなりの方法が必要です。それは体系から来ており、事を成す時は規則と規律を守らなければなりません」。
 
規則や規律は精神理念から来るもので、システムをはっきりさせ、団体の運営がスムーズにいくようにするのが目的ですが、一人ひとりの慈済人が心に法を取り入れ、普段互いに交流する中で各自が持っている法脈宗門の精神を発揮するのです。皆で推薦した「四合一」の幹部は誰もがよく知っている法縁者ですが、人にはそれぞれの習気があるのは仕方ありません。そこで、足ることを知り、感謝し、善に解釈して包容の精神を持てば、人と心を一つに和気藹々と、互いに愛で以て協力し合うことができるようになるのです。
 
上人によれば、仏陀の教えはとても奥深く、宇宙に精通しており、森羅万象をも包み込みます。しかし、その中心となる精神は至って簡単で、『真空妙有』なのです。上人は子供の頃から単純で、家にいる時は幼い兄弟の世話をして家庭の重責を担っていました。出家してからは天下の重責を担い、一生重責を担い続けているのです。
 
上人は推薦された慈済人を励まして言いました。
 
「生命の価値を大切にしなければいけません。もし誰かに幹部の仕事を推薦されたなら、正しい認知と方向を維持すれば『進んで行うことで喜びが得られます』。そして毎日、世を利することをしていれば、常に喜びに満ち、自分のしたことにも喜びを感じます。それでこそ価値があると言えるのです」。
(慈済月刊六三七期より)
NO.278