慈濟傳播人文志業基金會
己を小さくすれば愛される
李英秀さんは結婚すれば円満で幸福な人生を送れると思っていたが、自分の気の強さで周りの人を傷付けていた。彼女は無明を一枚一枚剥がした時、まるで玉ねぎの皮を剝く時のように涙と鼻水を流し、最後にやっと清々しく全身がすっきりとした。
 
二○○一年の「九一一同時多発テロ」が全世界を震撼させた。その年、李さんの家庭でも嵐が吹き荒れていた。結婚して二十年、「パパが浮気している」と子供に告げられた時、彼女の世界も青天の霹靂のように揺らいだ。

厳しく育てるほど、子供は遠くへ行ってしまう

台南の大内郷に生まれ、長女だった李さんは小さい頃から姉御肌で、何かにつけ弟と妹は罵られた。彼女は中学校を卒業すると、騒々しい生家から逃れるために紡績会社に勤めた。三年が過ぎた頃、彼女は白馬の王子に憧れ、「結婚すれば働かなくてもよく、楽しい幸せな日々を過ごせる…」と夢に描くようになった。十九歳の時、叔父からの紹介で結婚の願いが叶った。
 
彼女は一心に主婦となって、二男一女を育てた。夫は下請け工事の関係で、いつも出張先で宿泊し、月に一回しか家に帰ってこない時もあった。滅多に会えない夫を見ても、彼女は、一緒にいる時間を大切にしないばかりか、文句ばかり言った。家庭を支えている辛さを夫に分かってもらい、慰めてもらいたいばかりに、きつい語気と態度でいつも言い争いした。
 
彼女の生活は子供第一で、片時も目を離さないほどべったりだったため、逆に子供に嫌われた。
 
「自分の子育て法は親に教わりました。どこが間違っているのかも言わず、すぐ叱ったり叩いたりしました」。彼女は悪い友達と付き合うのを心配して、子供たちの外出を厳しく制限した。定時制の学校に通う子供に、放課後まっすぐ家に帰るよう言いつけ、コミュニケーションを取ることもしなかった。子供の気持ちを考えることもなかった。
 
下の娘の張雅柔は彼女を避けるようにしていた。中学校の時、家に戻ってもママが家にいると挨拶もせず、さっさと自分の部屋に閉じこもった。娘によると、親子間で口をきくとすぐ喧嘩になってしまうから、そうした方が「災難」が少なくなるのだそうだ。
 
李さんも緊張した親子関係を改めたかったが、要領が分からなかった上、子供の行為が逸脱するのを恐れて、親としての権威を振るって制限するしかなかった。
 
親子関係が膠着状態に陥った彼女は三十九歳の時、夫の浮気を知って大きな打撃を受け、彼女の顔から笑顔が完全に消え去り、子供との間はそれまで以上に敵対的になった。「ママはパパへの憎しみを私たちの身に振り向けていました。ママはとても苦しんでいましたが、私たちも面白くありませんでした」と次男の張克強が当時のことを振り返って言った。
 
夫は知り合いの保証人になって、自分の家を銀行の担保にした。この「わが家」を守るために、三人の子供はアルバイトをしながら定時制の学校に通うことを選択した。その後、また夫は商売の資金調達のためにヤミ金融からお金を借り、遂に借金を李英秀と三人の子供に残して夜逃げしてしまった。
 
「夫とは喧嘩の日々は、言いたいことも言わず、恨みと憎しみだけでした。遂に夫は全く家に帰らなくなりましたが、彼の借金を返済し終えた後、やっと偶に家に顔を出すようになりました」と李英秀が言った。夫婦関係は暗礁に乗り上げ、家計も危機に面していたため、彼女は家から出て、自分と子供たちのために第二の人生である美容師になることを決意した。
 
●以前パソコンが使えなかった李英秀は、真剣に勉強した結果、今では西橋リサイクル拠点と花蓮静思精舎をオンラインで結び、「晨語」番組を放映する重責を担っている。

まず相手を許す。言ったことは実行する。

「運命を改善したいのなら先ず善行すること」。李さんはある有名な人の言葉を思い出し、美容院で慈済ボランティアの鄭涵憶さんと知り合った後、直ぐに慈済会員になり、毎月寄付するようになった。
 
鄭涵憶は彼女を思い遣り、家の事情に関心を寄せ、大愛テレビの番組を見るよう勧めた。「家に帰ってもぼんやりしているだけだから、大愛テレビで何を演じているか見てみよう……」と思った。暫くして、李さんはやっと大愛テレビ番組を見た。静思語の「心に愛があっても、行動の中に愛がなければならない」という言葉が出ていて、彼女はそれを聞いて反省し始めた。「以前の自分はとても気が強く、人の話が耳に入らず、何もかも目障りでした。心には愛があっても、表現できなかったのです」と言った。
 
鄭さんと一緒にリサイクルステーションに行き始め、環境保全に力を尽くし、家族や周りの人に愛を与えることを学び始めた。
 
「実践すべきだとは分かっていましたが、随分悩みました。自分の好きな人を愛するのは簡単ですが、好きでもない人を愛するのがとても苦痛でした」。李さんは、夫を許すばかりでなく、子供たちにもパパを尊重するよう勧めなければならなかったのです。
 
初め子供たちは、ママがパパを甘やかしている、ママの頭が可笑しいのでは、と思っていた。李さんは毎日、慈済の「四神湯」(足るを知る、感謝する、善に解釈する、寛容になる)精神で夫に接し、できる限り夫の長所を子供に話して、夫の立場を理解してもらうようにした。次男の張克強は次第に家庭に責任を負わなかったパパを拒まなくなった。「ママは訪問ケアに行った時にもっとひどいケースを見て来ました。私たちのパパは少なくとも私たちを育ててくれたのです」と言った。
 
下の娘、雅柔は両親が離婚するよう主張していたが、軍隊に志願入隊してからは軍隊生活を経験して大人ぽっくなった。そして「ママは慈済に入ってから、静かに私たちの話を最後まで聞いてくれるようになり、無理強いしなくなりました。また、人生は無常なもので、人と争わなければ、心が穏やかになる、とまで言うようになりました」と言った。
 
「人を許すことは、自分に優しくすること」。李英秀はいつも静思語を思い出しては使い、人間関係を円滑にすることに努めた。母子はたまに帰って来る「一家の主」に対して、別世界の人を見るような目で見ることはなくなり、尊重する態度で接するようになった。次男の張克強は結婚する時、自分から電話でパパを招待した。
 
●以前、美容師となって家計を支えた李さんは、今訪問ケアの時に必要とあればいつでも散髪をしている。(撮影・俞柏清)

善の門をくぐる。誰もが修行している。

謝英美師姐の勧めで、李さんは慈済ボランティアの養成講座に参加し、二〇一〇年に慈済委員の認証を受けた。小家庭から慈済という大家庭に入り、多くの人や物事の挑戦を受けている。
 
平日、美容室を経営している李さんは、協力チームのリーダーを引き受けた。認証を受けて間もない彼女はチームメンバーをまだ完全に知り尽くしてなかったが、活動がある時は人員を動員しなければならなかった。「よく客から『電話を掛けるのを後回しにして、私の髪を先にしてちょうだい』と言われましたが、葬式や助念する人員を先に探しておかないと、落ち着いて仕事ができないのです」と言った。
 
チームメンバーに連絡する前に、先ずメンバーの都合の良い時間を知っておかないといけない。誰が平日に時間があって、誰が休日しか参加できないか。まだ状況が飲み込めていなかった彼女は、「勇猛に役割を担い、喜んで合わせる」と単純に考え、皆もそうだろうと思っていた。手伝ってくれる人が見つからなかった時、初めて「大変なことになった」と気付いた。
 
「電話を掛ける時も耐え忍ぶ修行が必要で、一部のメンバーはつっけんどんにものを言うのです。特に私が認証を受けたばかりの時、多くのメンバーは私のことを知らず、互いの間に愛が存在していなかったため、とても大変でした……」。彼女の悩みを聞いた謝師姐は、早速人を探し、時間を割いて自ら運転して連れて来た。状況がよく変化するボランティアの仕事に対して、「一人前になるには、心から善意を示すことです。今日参加できなくても、いつも参加できないとは限りません」と謝師姐は彼女に教えた。
 
謝師姐の励ましに拠り所を感じ、努めて役割を引き受けて円滑に物事を進めることで、自分の心を落ち着かせると同時に人の心も落ち着かせた。「全ての人が、修行が出来てから慈済に来るわけではない」と彼女は行動しながら人生を理解し、少しずつ自分の考え方と態度を修正していった。
 
「もし私を訓練してくれる慈済道場がなかったら、『我』執をなくすことはできなかったでしょう。私の性格はとても強く、自分で変えなければ、誰にも変えられません」。彼女は思うように家庭がうまく行かなかったことを経験した後、夫の浮気を許すと共に腰を低くして親子関係を修復し、協力チームリーダーを務めたことで成長してきた。しかし残念ながら、さらに大きな試練が彼女を待っていた。

痛くても善い事は続ける

二○一二年、彼女は健康診断で甲状腺腫瘍と告げられ、関節リウマチも罹った。穿刺検査の結果、悪性だと分かったが、「大した事はなく、取り除けば大丈夫だろう」とぐらいに彼女は思った。
 
落ち着いて手術を受けたが、手術後の痛みで生活にいろいろと支障をきたすようになった。跪くのも立ち上がるのも大変で、肩全体がこわばり、手足の関節が痛んだ。
 
「ひどい時には触ったり風に吹かれるだけで痛みました。毎日薬を飲み続け、顔がお月さまのように丸くなっても体は痛みました」。彼女は健康の大切さに気付いた。以前、動作が速かった彼女は手術後、足を地に付けるだけでも激痛が走った。しかし、彼女は気丈にベッドから下りて、痛みを我慢しながら歩くと、脚の筋肉が解れてきて痛みが和らいだ。影のように付きまとう痛みは、彼女の意志の強さを試しているようだった。
 
二○一四年、李英秀は美容院を閉め、慈済の事に専念し、リサイクルステーションを第二の家とした。各種の活動でメンバーに参加を呼びかける役目を持っているが、自分も基本的なメンバーであり、必要な部署があれば、どこへでも直ぐに駆けつけた。暫くして、体を動かせば動かすほど健康になってくることに気付いた。
 
「痛みは我慢できる範囲内なら薬を飲まないことにしています。薬を飲まずに毎日ボランティアをしたいのです」。多くの病は心理的な要素から来ていると彼女は思う。プレッシャーは内分泌の失調をもたらすと医師も言っており、彼女はできるだけ心を調整してプレッシャーに立ち向かうことが根本的な解決方法だと思った。
 
●57歳の李英秀さんは1歳を過ぎた孫娘を連れて、一緒に夜間のリサイクル活動をしている。

私は変わった、世の中に難しい事はない

心を調整するにも「心の法」が要る。李さんは「暁に目覚め、法の香に浸る」活動に参加し始め、證厳法師の法語で自分の無明の悪習を浄めている。
 
台南市永康区西橋リサイクル拠店では二○一四年から、花蓮静思精舎とネットを通じて、ボランティアたちは毎朝五時二十分から證厳法師の朝の開示を聞いている。
 
朝起きたその瞬間から気力を養うと共に、長期間、仏法の香りに浸って来たことで、彼女は自分の能力と忍耐力が増したと感じている。以前、悩んでいたことが消え、困難だったことも些細なことに変わっていた。
   
「私たちは自分を見下し、やり通す能力がないと自分で思い込んでいるのです。慈済道場のお陰で、私たちを強くし、人を善に解釈し、寛容になったことに感謝しています。慈悲心で人、事、物を見ると全てが違って見えるのです」。彼女は微笑んで、分かりやすく自分の感じたことを話した。
 
「以前はそれほど智慧に富んでいませんでした。というのも、協力チームのリーダーを引き受けてから、法の香に浸る活動に参加しなければならないというプレッシャーを感じていたからです。初めは『宿題をした』という気持ちでしたが、次第に自分の心が浄化され、傲慢さが取り除かれていきました」。
 
もし法水で清められていなければ、自分はもはや変える必要なところはないと思っていた。今の彼女は他人の邪魔にならないようになるまで、自分を小さくすることを学んでいる。
 
「歩むうちに、外の世界が自分の考えているものと違うことを発見し、物事を見る角度も広くなります。身内であっても法縁者との関係であっても、人間関係がよくなりました」。法の香に浸る活動に参加していると、彼女はある日突然、善に関する話が上手にできるようになった。仏法の薫陶の下、彼女は何が欲望で、何が必要なものかが判断できるようになった。物質的、金銭的、精神的領域で何も追求せず、煩悩を放下して心安らかで自在になることができるのだ。
 
李さんは慈済に入ってからの状況を玉ねぎの皮を剥くことに例えた。身に付いていた無明を一枚一枚剥き、玉ねぎの皮を剥く時には涙と鼻水を流すように、最後には身も心もすっきりするのである。「こうすることで、自分の足りない部分が見え、自分を小さくすることができるのです。これが私の収穫です」。
(慈済月刊六三三期より)
NO.278