慈濟傳播人文志業基金會
心身一体となって法華を書く 書道家・周良敦
書道大家の周良敦は一年かけて、六万文字余りの『法華経』の経文を仏陀の法像の形に書き上げた。制作過程は非常に艱難だったが 「人生の最期の一刻になったとしても、完成させる!」と言う彼は、多くの人がこの「法華経仏像の図」を見に台中精思堂へ来て、自分と同じように法華の精神を体得することを期待している。
 
高さ六百六十センチ、幅二百二十五センチで、『法華経』六万字余りの経文で仏陀の法像を描き出したこの作品は、書道大家である周良敦が精魂を込めて制作したものである。二〇一九年一月四日、慈済ボランティア十人が護送し、台中市永春東路にある周良敦の自宅から文心南路にある台中精思堂に運ばれ、福慧庁に安置された。
 
周良敦は一九九〇年から仏経の研究を始めた。初めに読んだのは『地蔵王菩薩本願経』であった。内容が分かりやすく、読めば読むほど得るものがあった。ある日、彼は経本をめくり、地蔵王菩薩の法像を見た時、一万七千字余りの経文を書道で菩薩の法像を描く考えが芽生えた。
 
四か月半を掛けて描き上げた作品が新聞で報道されると、大勢の人が鑑賞に来たため、彼はこれを契機に自信を持って、百八回、合計二万八千八十文字の『心経』で観世音菩薩の法像を描いた。その後、彼は『論語』で孔子を描き、その作品は故宮博物館に収蔵された。
 
ある年の夏休み、周さんの奥さんが親戚を訪ねに花蓮に行った時、帰りの電車の中で、慈済ボランティアの静淇と隣合わせになった。会話するうちに静淇は彼女の主人が書道を教えていることを知った。そして数日前にテレビである人が書道で二つの仏像を描いた話をした。彼女はバッグから一枚の写真を取り出した。「何故この有名な方と写真が撮れたのですか」と静淇は驚いて訊ねた。テレビで見た人は自分の主人だと静淇に言った。
 
そこで静淇は、もし縁があれば、周先生に『法華経』を書いて欲しいと頼んだ。周良敦は静淇からヒントを得、その経は世の中の人々を教育するだけではなく、仏陀が入滅する前に弟子に講じたものだと思い、描く計画を立てた。
 
●周良敦(右)が創作した「『妙法法華経』世尊仏像図」の高さは2階建ての階高に相当し、花蓮と中国に出展したことがある。普段は自宅に保存されている。(撮影・游國霖)
周良敦は十六年間公務員として勤めた栄民工程事業管理処を退職し、創作に専念した。何創時書道芸術基金会の会長である何国慶氏が彼の決意を聞いて、励ます為に彼に三百年の歴史を持つ乾隆時代の画紙を贈呈した。それは何氏が所蔵していた四枚の内の一枚だった。
 
『法華経』の書写は大仕事で、大きなチャレンジでもあった。長さ約七メートルの紙を広げるとミスは許されない。書き始めると春夏秋冬を通して行うことになり、夏場はエアコンを使えず、そよ風を背中に受けるしかなかった。
 
一センチの文字の大きさを揃え、墨汁の色を均一にし、濃度も垂れないようにしなければならない。どうあっても書き始めたらミスは許されない。紙の性質まで理解しなければならなかった。
 
周良敦は何度も墨の研ぎ加減を試みた後、一回墨を研げば六十文字から百文字書くことができ、注意が散漫になることもなくなり、禅定により心身の統一が保たれるようになった。
 
講義する時以外、彼は殆ど外出せず、四カ月半下書きして、七カ月半掛けて作品を完成させた。一九九二年に作品を完成させるまで実に、一年以上の年月が経った。 
 
●2018年8月に台中静思堂の文化センターで開催した「法味生活芸術観覧会」をテーマとした芸術祭において周良敦が自分の作品『前赤壁賦』を紹介している。(撮影・王秀吟)
 

書道に打ち込み、淡白な生活を送る

子供の頃、周良敦は丁寧に鉛筆で文字を書いて先生に励まされたため、成人した後、綺麗な字を書くという職業に就くことができた。その為、彼は書道に対して独特の情が芽生えた。三十歳の時、彼は書道大家の陳其銓に師事し、一年も経たない内に台中市と台中県の合同書道コンテストに参加して一等賞を取った。それは彼が書道を始めてから初めて参加したコンテストで、初めて取った賞である。その後、彼は清水紫雲巖で開催された全国観音杯書道コンテストに参加し、またも一等賞を取った。
 
陳其銓は周良敦の書道に広い門戸を開けてくれた。周良敦も倍の努力をし、仕事の合間に書道の練習に打ち込み、終に十三種の書体をマスターし、書道教室を開くまでになった。
 
書道で有名になった周良敦は、成功の秘訣は「努力」だと思っている。
 
彼が幼少期を送った一九五〇年代、アメリカの援助は生活が貧しかった台湾の人々にとって救いの雨だった。援助でもらった「米中協力」の文字のある小麦粉の袋を再利用して作った下着を着て街中を走り回っている子供をよく見かけた。周良敦は貧しい家庭に育ち、一家九人は花蓮に住んでいた。両親は家賃が払えなかった為に大家に追い出され、一家はより安い家賃の所を転々とした。兄弟四人が履いていた下着は「米中協力」の小麦粉の袋ではなく、葬式場から払い下げられた垂れ幕の布地で出来たものだった。客が家に来る時は笑われないよう、それを着て客間に入ることは許されなかった。
 
貧しくても、周良敦は常に向上心を持つよう自分に言い聞かせていた。母親はこの二番目の息子は生来、活発で頭がいいと分かっていたので、彼があまりに才能をひけらかすことで嫉妬を招くのを一番心配した。「多くの場合は、知らないふりをしなさい」と言い聞かせたことがあった。
 
周良敦は母の言葉を肝に銘じて、後に書道界で有名になっても、依然として書道を教えたり、練習をし、時には筆を執って公益活動に参加したりして、芸術家としての簡素な暮らしを送っている。書道は芸術精神と人文を兼ね備えるべきだと思っており、作品の値にはあまり拘らない。「書道は人格が大事で、カッコ付けることなく、着実であればいいのです」と言った。
 
一九九四年、彼は台中刑務所で受刑者に書道を教える要請を受けたが、それは技能よりも人格を重んじられたからである。彼は受刑者の良き師であると共に友として教え、彼らにコンクールへの参加を勧めた結果、多くの良い成績を残した。また、彼は台中市政府文化局に生徒たちがストリート・パフォーマーを審査する機会を与えられるよう働きかけた。「先生はこれ以上の成功は要りません。貴方達の成功は私の成功でもあるのです」と彼は常に生徒に言っていた。
 
また新しい生徒には「ここに入った訳を今も出所した時も私に言う必要はありません。何故なら、私が知りたいのは現在の貴方と未来の貴方で、私は貴方達を誇りに思っているからです」と語りかけた。
 
●自宅で書写する周良敦。彼は、心さえ鎮めていれば、いつでも、どんな状況下であっても彼の書写に影響することはないと言う。(撮影・施龍文)

今生を大切にして全力で臨む

「法華経仏像図」が台中静思堂に安置されてから、一周間後の一月十一日に丁度證厳法師が「歳末祝福会」を主催する為に来られた。一九九三年、その作品が花蓮文化センターに展示された時、法師も見に来られた。今回は台中静思堂で展示できることを周良敦がとても光栄に思った、「慈済のこの大きな殿堂で『法華経』を再度展示できたことをとても光栄に思います。この作品は経典と仏像を一つに表したもので、人々は経と仏像を同時に見ることができます」。
 
『法華経』は二十八品の章節によって構成され、周良敦は作品を通して世の人に経文の意義と法華の精神に触れてほしいと期待した。「この作品を制作したことが私の功労だと言いたくありません。ただ、この作品を創作した過程は苦労の極みであり、皆さんに勇猛に前進する精神をもたらすことができれば満足だと思っています」と言った。
 
この作品を台中静思堂に展示できたのは、志玄文教基金会台中終身学習教育センターとの関係からだった。各地の社会教育センターは年度末に一、二日間の作品展示会を開催している。人文を深めるには長い時間をかけて馴染ませる必要があると台中社教対外担当の洪美麗は考えた。そこで一カ月間に及ぶ芸術祭を企画したのである。
 
二〇一八年八月に開催された芸術祭のテーマは「法味生活芸術鑑賞会」で、社会教育センターの先生らのプロの作品が多く展示された。その中に、周良敦の大型作品である『前赤壁賦』が壁一面を掛けられていた。そこには一気に書き上げた行草書体の気迫がみなぎっていた。開幕当日から人が溢れ、多くの書道愛好家が鑑賞に訪れた。
 
展示会場は繊細且つ優雅に飾られ、芸術と人文の雰囲気を兼ね備えていた。そして周良敦を感動させたのは、『前赤壁賦』を背景にした開幕式の企画であった。「あなた方の誠意は私にとって思いも掛けないことでしたでした。これは一般の展示会場では容易に作り出せない雰囲気です」。
 
「もし一つの国に一枚の文化の壁があれば、他の文化水準もそれに伴って向上するでしょう」又、「皆が慈済の文化についていけば間違いありません。生活の質も向上します」と彼は感動のあまり、来賓にこんな話をした。そして、「もし縁があるなら、もっと大きな作品である『妙法法華経』の世尊仏陀像図をここに展示する機会が訪れるかもしれません」と彼は言い続けた。
 
洪美麗は彼の話を聞いても余り自信がなかった。何故なら「法華経仏像図」の高さに合う展示会場を探すのは難しいのだ。しかし、『前赤壁賦』だけでこれだけの人を台中静思堂に引き付け、慈済を理解してもらえることができたのである。洪美麗は周良敦のこの話が忘れられなかった。
 
夢が実現し、洪美麗は感極まって涙を流した。「『法華経仏像図』の展示を機会に中部地区の弟子たちは上人の期待の下に、慈済人の心を結集し、真の大乗佛法を実現させる決意を表しました。安心してください。これは私にできることです」。
 
●10人の慈済ボランティアが守る中、「法華経仏像図」は周良敦の家から台中静思堂福慧庁に運ばれた。(撮影・游國霖)
 
仏法を生活の中に取り入れ、慈済ボランティアが世界各地で苦難に喘ぐ衆生に奉仕していることが即ち菩薩道を歩んでいることであると同時に、法華の精神でもある。周良敦は決心して「たとえ死ぬ直前まで掛かっても完成させるのだ!」と自分に言い聞かせた。彼はただ作品を展示するというだけでなく、もっと大切なのは見に来た人に法華経の精神を理解してもらい、何ごとに対しても全力を以て臨む気力を持ってもらいたいという願いがあったのである。それは生活や仕事の上で大きく役立つはずである。
 
周良敦は法華の精神を以て人々を励ましている。「人身は得難く,仏法は聞き難い、人生を惜しんでこそ無駄には過ごすことはない。このように、為せぬことはなく、何事も不可能ではないのではありませんか?」
(慈済月刊六二九期より)
NO.278